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廃棄物の定義とリサイクル 02.12.2001



 2000年をもって、日本という国は循環型社会に変貌することを宣言したが、実際には、「循環」を業として営むには、まだまだ色々な問題点があるようだ。その一つが廃棄物の定義であるとされている。ある使用済みの材料・製品が資源なのか、それとも廃棄物なのか、場合によっては大変貴重な宝物なのか。これに対して、科学的な基準を作ることはまず不可能で、その所有者の主観が決定的な要因となることは事実だろう。リサイクルの推進に足かせとなる状況とは何か。それが、今後改善される可能性はあるのか。


C先生:家電リサイクル法がいよいよこの4月から施行されるが、まだ消費者の費用負担のうち運搬手数料に関わる大枠が固まらない。このような状況では、市民レベルへの周知徹底がちゃんとできないから、最初はかなり混乱するのではないだろうか。この話に限らないが、「循環」を実際に執り行うのは、それを業とする人々だから、その人々が業をやりやすいような状況を作らなければならないのだ。しかし、それがまだまだ十分ではない。

A君:そうですね。家電リサイクル法に対応するために、家電業界としても、リサイクル施設を作りましたが、この認可を取るのにかなり苦労したようですね。その理由は、廃家電が廃棄物にあたるからだと聞きましたが。

B君:その手の話はよくある。廃棄物を取り扱うには、やはり色々な認可のシステムがある。なぜならば、それは、負の価値をもったモノを取り扱う場合、もっとも簡単に利益を得る方法が、不法行為だからだ。なんらかの負の価値をもったものを、適正に処理するといって引き受け、それをそこいらへんに不法投棄すれば、これはぼろ儲け。豊島の事件なども、「それは資源だ。絶対資源だ。資源を集積しているだけだ」、という業者の大嘘を、早い段階で暴けなかった自治体の無能が大きな原因だ。

C先生:確かにそうなんだ。これまで、色々とリサイクルが行われてきているのも事実。例えば、塩ビの場合も、そこそこのリサイクル率があるとされている。製品別で言えば、塩ビ製パイプ関係なら、これまでも恐らく20%程度のリサイクル率は有ったはず。なぜか、といえば、それは加工工場から出る端材をリサイクルしていたから。この端材は未利用だから綺麗だし、全く同一の素材だから、リサイクルと呼ぶのもおかしいぐらい、簡単なプロセスで再利用できる。すなわち、低コストで処理できるから、20%ぐらい出るスクラップ(端材)は、商品として売れる価値をもっていて、実際、有価で取引されていてた。すなわち、廃棄物ではないのだ。廃棄物の第一の条件が、負の価値を持っているものなのだから。
 ところがだ。循環型社会形成推進基本法などができると、経済産業省などが様々な材料・製品製造業者に対して、「リサイクルすべきである」との指定をして、自主的なリサイクル計画を提出させる、ということが行われている。日本の業界はまずまず素直だから、80%のリサイクル率を達成します、といった計画を作ることになる。となるとどうなるか。当然のことながら、工場からでるスクラップだけでは全く不足だから、消費者の手を経た材料をリサイクルすることになる。となれば、当然廃棄物を取り扱うことになる。それは、消費者の手を経ると、ほとんどすべてのモノは負の価値をもった材料になってしまうからだ。

A君:そこで、廃棄物を取り扱うことは許認可の対象になって、それでとたんに困ることになるのですね。認可が取れなくて。

B君:ここで、一つ言って置かなければならないことがある。それは、「誰が許認可権を持っているか」、ということだ。国ではないのだ。地方自治体なのだ。だから、ここに一つのすれ違いの要因がある。国はリサイクルをせよという。ところが原料は廃棄物だから、廃棄物処理業の認可が必要。これは自治体の認可。国の権限と、自治体の権限がすれ違う。

C先生:まあ、そう言うこと。

A君:認可が本当に取れないのですか。

C先生:取れない訳ではない。自治体としては、「住民の合意を取ってくれば認可する」、と言うようだ。だから、人口密度の低い地方では、比較的簡単に認可が取れるようだ。ところが、リサイクルというものは、もともと「都市を鉱山とする材料精錬業」だから、都市に存在しているのが合理的なのだ。廃棄物処理業ということで、都市で住民合意を取ることは、極めて難しいだろう。住民の一人でも反対すれば、現在のところ、合意を形成する方法がない。

A君:またまた、「環境問題に関わる不公平性の問題に帰着」ですねえ。

B君:この問題の解決無しに、環境問題の解決無し。だから、研究をする必要がある。ということで、現在CREST研究チームが存在している。

C先生:自治体としても、困っているのだろう。合意形成技術ということで、CRESTの研究チームにも自治体からの参加を求めたいぐらいだな。

A君:でも、名案があるのですよ。リサイクル対象物質・製品というものを法律で定めて、その物質・製品については、廃棄物の定義からはずす。家電リサイクル法ができたら、廃家電製品は資源だと見なして、負の価値を持っていようがいまいが、廃棄物ではないとする。そうすれば、認可が不要になる。

B君:その考え方も一つの方向性だな。しかし、いくつか難点がある。それは、不法投棄などの不法行為が起こりうること。さらには、その処理工場周辺に公害が発生する可能性があることだ。

A君:それは、その工場がそれなりの対策をすれば良いから、問題は無いでしょう。

C先生:家電業界が作る模範的なリサイクル工場に類するものについては、確かにそうだろう。しかし、そんな例がすべてという訳ではない。例えば、これまでも材料のリサイクルをやっていた市街にある工場が、それが、リサイクルの事業規模を拡大しようとすれば、何が起きるか。

A君:これまでの工場からのスクラップだけではなくて、使用済みのスクラップが入る。なるほど。それは、ホコリだらけ、泥だらけの材料が工場に持ち込まれて、資材置き場に置かれることになる。当然、ホコリの量は格段に増える。それを洗うことになるから、汚水も出る。最初からそれを想定して工場を作るのであれば、対策は取っているだろうが、以前の工場でそのままリサイクルを拡大すれば、想定外の作業をするのだから、確かにある種の公害が発生する可能性は高い。

B君:となると、役人的発想としては、当然、許認可の対象にしておいて、もしも不都合が出たらすぐにでも許認可を取り消すといった考え方になる。

A君:でも、不都合が出たら、許認可を取り消せば良いのであって、出ないと思われるような施設の基準を作ってそれに合致していたら、とにかく許認可を出して、そして、問題が出たら対処するのが現実的でしょう。

C先生:その通り。だから、そんな方向性に向かうべきなんだろうとは思う。ところが、その基準作りも、そう簡単ではない。なぜならば、どんなものを取り扱うか、によって大幅に負荷が違うからだ。例えば、硬質塩ビのパイプをリサイクルしようとしたときに、そのパイプがどこでどのぐらいの期間使われていたか、これによって、処理施設の基準が異なるだろう。

A君:でも、なんとかしなければならないとしたら、基準を作るしかない。となれば、最悪の状態というものをある程度見積もって、それに対応した基準にすれば良いのでは。

C先生:それはそうなのだが、リサイクルというものが、先日やったばかりのエントロピーの考察で分かるように、適正処理技術であるべきで、過剰処理をしてはいけないという大原則もあるから、そこのところが難しい。いずれしても、ある種の合意形成技術が必要であることは間違いのないところだ。

B君:どうも廃棄物としての取り扱いが特別に緩やかなものがあるだ。それは、個々の事情によって決められているだが。

C先生:そうらしい。現時点で認められているものは、ほとんど例外的な扱いなんだが、建設汚泥、NKKの廃プラ、廃タイヤのセメント原料が、廃棄物扱いをしないで済むように、特別に措置されている。建設汚泥というものは、汚泥という名称が付いてはいるが、現実的には普通の泥に単に水が混じったようなもの。だから本物の汚泥、例えば、下水汚泥などとは本質的に違う。NKKが高炉吹き込みによって処理する廃プラも、処理費をもらってやっているはずだから、本来なら廃棄物であるのだが、高炉へ吹き込むという作業をやっている場所が場所だけに、周囲に余り迷惑を掛けない。廃タイヤについても同様。セメント工場なら場所的な余裕もあるし、まあ周囲に余り迷惑を掛けない。ということで特別措置。

A君:もっと一般的に広く措置できないのでしょうか。

C先生:余り皆さんにも公開していないのだけれど、実は昨年4月から、行政改革本部の規制改革委員会というところで参与という役割をやってきた。そこでも議論になったのだが、このような特別措置をして貰う場合に、何を基準として行われるのか、その基準が定かでない。ざっくりした基準としては、なんらかの社会的要請が高いもの、周囲に迷惑を掛けないもの、といったもののようなのだが、申請書があって、それを書けば審査してくれるといったものではないようだ。そこのところのルールをもっと明確にせよ、という要請を規制改革委員会からの見解書には書いた。

A君:そんな方向にいくのでしょうか。

C先生:まあなんとかしたいところ。

B君:いやいや、なかなか難しいのでは無いか。なぜならば、廃棄物の定義をいじることは、旧厚生省のテリトリで、今は、環境省のテリトリだが、廃棄物行政の根幹に関わることだからだ。廃棄物行政は、やはり、廃棄物という負の価値をもったものを取り扱うためか、性悪説に基づいて様々な方針が決められているように思えるのだ。となると、なるべく従来の枠組みを維持するのが、全体としての方針にならざるを得ないのではないか。

C先生:そんな感じがある。社会全体として循環型に向かうには、毎回主張しているように、そこに生ずる新たなリスク、余り大きなものではないと思うが、これを容認し、これまでのような個人の都合を全面的に主張するといった態度ではうまく行かない。だからといって、警察国家のような体制に移行するのは、言語道断。となると、各個人が、社会全体の利益のために、譲るところは譲って、社会側は、その譲った行為に対して、きちんと対価をもって答えること、こんな方針に変更しなければならない。

A君:しかし、日本の場合だと、「ゴネ得」という言葉で代表される状況が有りますね。これはなんとかしないと。

B君:米国などでは、最初から、補償金額の交渉に入るのが普通のようだ。大体、プロ野球の契約更改の今年のキーワードだった、代理人=弁護士社会だから当然なんだが。日本では、「最後は金銭的解決しか無い」と分かっていても、しばらくは、金は無関係といった態度で議論が進んで、多くの場合には、精神的にこじれる。それから金銭交渉に入るから、決着を見ない。こんな悪循環という感じだな。

C先生:いやいや米国だってそういう要素は多い。今回の米国カリフォルニア州の電力不足事件の背景には、住民が発電所の建設に大反対したために、発電所ができず、それで電力供給の絶対量が不足したことが挙げられている。米国だからといって旨くいくとは限らないのだ。環境問題には、色々難しい問題があるが、最後の最後まで残るのが、この不公平性をどのように解決するか、といった観点からの問題ではないだろうか。