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どんど焼きと神社の対応 01.13.99 01.14.99追加






 久米さんのニュースステーション1月11日で、神社に集まる正月の松飾りをどのようにして処理しているか、について放送された。そうも神社総庁から、焼却する場合には、プラスチック製の飾り部品は取り外してから行うべしとの通達が出ていたようで、放映された神社では、多数の神官巫女が手作業で解体作業を行っていた。


御意見追加  01.14.99


C先生:先日、Webにアップしたばかり。余りにもタイミングが良いので唖然としたぐらいだった。

B君:焚き火の楽しみを奪ったのは誰か、その答えがここにもひとつある。要するに利便性とコストだけを考えて、プラスチックを使った飾り物を作る業者とそれを買う消費者、これが焚き火の楽しみとどんど焼きの楽しみを奪った犯人なのだ。
 すべての製品について言えるのだが、その製品がどのようなライフサイクルを経るのか、特にどのような形で廃棄され処分されるのかを考えないで製品を作ること、また、それを全く考えないで製品を買うこと、これが落ち葉焚き、どんど焼きの楽しみを奪った真犯人だ。

E秘書:前回私は次のように言いましたよね。
「どんどで焼いた餅も良いものですよ。 どんど焼きも復活を!! 昔は、「このお餅を食べると健康によい」、とされていたのですからね。だけど、復活も無条件ではだめ。プラスチック製の正月お飾りは、禁止にしましょう。伝統的なものは、伝統的材料を使ってやるのが正統派というものですからね。」
 なんと正しい発言なんでしょうね。自分ながら、惚れ惚れします。どんど焼きで焼いたおもちではありませんが、お汁粉をどうぞ。

A君:ごちそうになります。この件ですが、是非とも、来年の正月の松飾りは、プラスチックを使用していないものを選択しましょう。皆様、絶対にですよ。

C先生:これをダイオキシン問題だと単純に理解しないで欲しいという思いがある。ダイオキシン問題だというと、測定結果などを持ち出して、ダイオキシンはほとんど出ていないと主張しかねないグループがあるからね。以前から、プラスチックとかゴムとかは、焚き火には入れないという暗黙の了解があった。なぜなら、臭いや煙が不快だからだ。人間にとって不快なものは、まず確実に健康に悪い。多分環境にも悪い。こういう直感は概ね正しいのだ。このような直感を皆さんに持っていただきたい。また、昔の人々の直感は伝統的に培われた知恵の中に反映されているものでもあるのだ。
 神事のような伝統を守ること、これは日本文化を守ることでもあって、伝統的な行事に使われる正月の松飾りは、まさに、伝統的に作ろう。伝統的な材料を使おう。このような考え方が、最終的には、環境の維持保全の思想に繋がる。



”どんど焼きと神社の対応”について・・・雑感

 石坂 眞澄 様  
 農業環境技術研究所 農薬動態科

 いつも興味深くお話を読ませていただいています。
さて,”どんと焼きと神社の対応”を読ませていただきました。確かにおっしゃることはわかります。ただ,少し私にとっては違和感もありました。
 それは,伝統伝統とは言うけれど,その意味が本当に分かっているのか? ということです。学者ではないのですから,意味が分かるというのは大げさですが(私も詳しくは知りません),少なくとも’飾る’気持ちは感じていてほしいと思います。(主語が無かったですね。主語は’お飾りを買う皆さん’です)
 何故飾るのか,何故稲わらなのか,何故その形なのか・・・伝統行事は’気持ち’が大切だと思います。
 そして,その稲わらはどこから来るのか,誰が作っているのか。そういったことを考えてほしいとも思います。
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 わが家は昔農家だったので今でも自家用に’お飾り’を作ります。でも水田はもはや無いので,農家からわらを分けてもらってきます。(もちろんお礼はします)父は正月飾りの講習会などで講師をやりますが,いつもたくさんの人が来るそうです。しかし,教わった人も翌年わらを入手するのに苦労しているようです。コンバインなどの機械で収穫したら稲わらは使えませんから。今は’お飾り’用に特別に稲を刈り取らないとならない時代なのです。(場所によっては,わらに’青み’を残すために青刈りするところもあります。)

 15日の小正月には,わがふるさと(東京八王子市)の家では繭玉を飾り,小豆粥を食べ,どんど焼き(サイの神の祭り)をします。近年はしかたがないので繭玉団子はアルミホイルで包んで焼くことにしています。(お団子をつける木の種にも土地土地で約束があります)
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 12月から1月にかけては農家・商家それぞれに多くの行事と約束事があります。それらには材料に至まで意味があります(ありました)。
 ’お飾り’を作る人,売る人,買う人それぞれが,昔の人たちの神に感謝し,おそれ敬う気持ちを感じるなら,形だけのお正月やどんど焼きも無くなるのでは無いかと思います。稲や米に有り難みを感じない人には稲わらの意味も感じられ無いでしょうから。