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科学技術と社会 10.28.2000




 21世紀の社会と科学技術を考える懇談会(以下、21世紀懇談会)が終了した。この懇談会は、2001年1月にスタートする総合科学技術会議の活動方針を決定する一助となることを狙った懇談会であって、これまでのように科学技術の専門家がその進展だけを一方的に考えるのでは、一般社会と科学技術との乖離が進むばかりである、という認識に基づき、具体的な提案を行うために行われた。メンバーの紹介は、科学技術庁のWebページをご覧いただきたい。http://www.sta.go.jp/shimon/cst/kondan21/main.htm
 そして、最後に、本Webページ流の新しい提案を行ってみたい。


C先生:本日のお題は、科学・技術と社会とが乖離した状況をどのように改善するかだ。まず、21世紀懇談会における議論をご紹介すると、まず「科学技術と社会は乖離しているし、ますます乖離の度合いは広がるだろう」という基本認識があって、この点に関しては、次のようなことが話題になったと思う。そのすべてが議論された訳ではないが。

(1)乖離した現状を改善できないのは、科学者側の努力が足らないからである。
(2)乖離した現状は、一般市民の努力不足が原因である。
(3)乖離した現状を解決するのは、初等中等教育における科学教育を改善する必要あり。
(4)乖離したのは、日本の科学ジャーナリズムの弱体化が原因である。
(5)乖離したのは、市民が、これ以上科学技術が進歩しても、何も良くならないと考えるから。
(6)乖離したのは、科学技術行政に対する不信感が原因。
(7)乖離したのは、命至上主義とでもいうのだろうか、今だけが良ければ良いという風潮(現世享楽的傾向)が原因。
(8)乖離を増長したのは、金銭的価値のみを重視し、努力などの精神的価値の低下である。
(9)乖離した根本には、何を規範とするか見失った世代の存在がある。
(10)社会から乖離することが、新しい生き方であるという間違った認識が広まった。
(11)14歳ぐらいで偏差値が分かってしまうと、先が見えた気になることが乖離の原因。

 恐らく、これらのすべてが要素として存在しており、すべてが正しいと思うが、どう思う?

A君:乖離したのは市民の勉強不足という主張も分かりますが、残念ながら簡単には理解できないと思うのですね。だから、科学者を多少含めて、科学ジャーナリスト、あるいは、メディア側の問題だと思います。

B君:別件だが、米国のテレビ番組はつまらない。刺激的かつ低脳なバラエティー番組がほとんどない。一方、日本のテレビが、なんでこんなにも低俗なバラエティー番組だけになったのか。やはりそれを求める視聴者が悪いと思う。しかし、制作者側も同時に悪い。今日の話題は、この議論と全く同じ部分がある。
 日本でもCATVや衛星だと見ることができるが、Discoveryチャンネルという放送があって、年がら年中サイエンス的な番組を流している。こんなことは、今の日本ではできないだろう。経営が成り立たないだろう。これが日本の現状なんだが、誰が悪いのか。どうやっても、 Discoveryチャンネルが存在できる状態にはならないと思う。だから、科学技術と日本の社会が乖離するのも当然で、絶対に改善されない。日本では、科学雑誌など、絶滅危惧種だから。

C先生:そんな諦めを言っていると、いつまでたっても解決もしない。いや、そのうち、自然に解決するという可能性もゼロではないと考えるが。

B君:その「自然に」というのは?

C先生:20年ぐらいかかるだろう。そのココロは後ほど分かるだろう。

A君:やはり解決は難しいように思いますね。個人的には、上の箇条書きの(5)、(6)あたりが重大だと思うのです。例えば、原子力行政についても、やはり、絶対安全という嘘をつき続けたことが悪い方向に影響しているように思うし、そこにJCOのよう臨界事故が起きれば、それ見たことか、という発言がメディアに一斉に取り上げられる。それに、同じメディアが、ドイツは原子力を止めることになったが、これも科学技術万能という時代の終焉であるといった報道もするから、状況の違いとその本質的意味を議論しないで、日本だってもう止めても良いだろうと思うし、科学技術などが無くても日本だって活きていけると思っている。ところが、実際の生活になると、ここ10年間ぐらいで発展した科学技術に首まで浸かっている。例えば、iモードをはじめとする多機能な携帯電話なんですが。

B君:個人的には、やはり初等中等教育が大きいと思う。自分が大学の教師だから、という訳ではないが、大学の理科系の教官は、まあ理科の楽しさを教えることができる程度の人間が揃っている。中学・高校の先生達で、理科の楽しさを教えることができるか。

A君:最近同僚の間でも話題になるのですが、小学校などで、学級崩壊になっているのは事実のようですね。あれはまず親達が悪い。さらに言えば、親が受けた教育が悪い。すなわち、現在の子供達の祖父母が悪い。授業参観をしながら、携帯電話を掛けている親が居て、先生が注意をしたらふくれっ面をしたという話があるが、どうも本当らしいですね。

C先生:科学者側が悪いという主張をされる委員も数名おられた。一般社会に対して、分かりやすく自らの研究を語れないようでは、科学をやる資格なしといった強い主張だったように思う。どう思う。

A君:それはなかなか難しいのでは無いですか。なぜならば、バリバリの研究者は結構忙しい。それに、多くの研究者は、論文を書けば、自分の役割は終わりだと思っている。企業関係の研究者だと、特許を書けばそれで役割は果たしたと考えるし、守秘義務があってへたな情報開示は却ってマイナスだと考えていますから。

B君:それに、研究者の生態として、自分の研究が一般社会に与える危険性だとか、あるいは社会的に見れば価値が低いとかは決して言わない。なぜならば、研究費が取れなくなってしまうから。自分の研究を批判的に見るなどということは、自己破滅だとおもっているから、まあ絶対に無理。

C先生:研究者も良心をもって公的な研究費に対するアカウンタビリティーを持たなければならない。その研究の意義、対費用効果などを意識すべきだ。
 研究課題として何を選択するか、完全なる自由度を持っているのは、純粋理学的研究だけで、多くの学問は実学だ。実学の場合には、その研究が直接実用になるかどうかという観点はいつでも必要という訳ではないが、少なくとも、産業界など実社会に何名か、観客としてその研究の経過を見守ってくれる人の存在が不可欠だろう。
 対費用効果の問題は、新規物質・材料・装置などの開発型の研究課題である場合には、不測の事態が起きて、達成不能という場合もあるが、機構解明や分析法開発といった解析型の研究課題でもしも達成できなかったとするならば、それは見通しの甘さを追求されても仕方がない。

A君:先週(10月26日)のNHKニュースに、ブループラネット賞の授賞式に参加するため来日したシーア・コルボーン女史が出てきて、「推測に基づく心配」を相当述べていましたが、環境ホルモン問題に国が投資した研究費で、何一つ解明できていない。まあ、もともと証明が難しい問題なのは分かりますが、シーア・コルボーン女史に2年前と同じことを言われても反論できないという状況を改善できないようでは、責任を果たしているとは言えないですよね。

B君:日本の場合、ダイオキシンや他の化学物質の環境中への放出量は、現在低下しつつある。この事実を踏まえて、最終結果はまだだろうが、中間的な結果でも、また、シーア・コルボーン女史の発言も推測に基づくものばかりなのだから、推測を交えた見解でも良いから個人的意見の表明が必要だ。

C先生:日本の場合、なかなか難しい訳もあるのだ。これは絶対に必要不可欠な研究だと言って予算を獲得して置いて、全く問題無かったとも言えない、という雰囲気があるのだろう。なぜならば、そんなことを言うと次の予算が取りにくくなる。もともと、環境ホルモン問題は、社会的な安心感を買うために、あれだけの予算を付けたと思うが、研究を実施しているご本人達には、そのような割り切りが無いのでは無いだろうか。

B君:色々な人工的物質が人体に取り込まれているのは事実なのだが、トータルの量、いわゆるドーズとして見れば、最近は減っていると認識すべきではないか。やはり、PCBやBHC、さらには、DDTなどという有害物質を考えれば。また、農薬の不純物として含まれていたダイオキシンにしても、1970年ごろがピークなのではないだろうか。そのころの農薬は、パラコートといった農薬(除草剤)なら自殺もできたが、最近の農薬では自殺もできないから、人工的物質の毒性も下がっている。

C先生:例外的に近年になって摂取量が増えている人工的物質としては、どんなものが考えられるか?

A君:そうですね。まあ、例外的でしょうが、アースレッドとかいった、霧タイプの殺虫剤はどうでしょうか。さまざまな除菌剤もそうかもしれない。

B君:その類で言えば、防虫剤もそうではないか。昔は、防虫剤は衣装缶の中で使ったものだ。ところが最近では、ウォークインクローゼットなどというものがあるからそこに吊すことになる。これは化学物質過敏症を作るようなものではないか。特に、最近の家は気密が良いから特に注意を要する。

A君:化学物質過敏症と言えば、最近は濃度が落ちてきたようですが、相変わらず建材からのアルデヒド系の化合物は出ているのではないですか。

B君:それだって、気密の良い住宅を作るようになった副作用のようなものだ。

C先生:諸君達の議論にで来なかったが、やはり人間側が相当変わったのが大きいのではないだろうか。特に、食肉や養殖魚に含まれる抗生物質をかなり大量に摂取するものだから、感染症に掛からなくなっている。そうなると、免疫システムのバランスが狂って、物質に対してアレルギー的反応を起こしやすくなる。このような変化を見逃して、なんでも環境ホルモンのせいだと考えること自体、誤った結論を導くだけのような気がする。
 それに、化学物質過敏症は、トータルでの摂取量が利くと考えられるので、それまでの職業歴がどのようなものかも、重要な要素だと思うが。

B君:いずれにしても、食品添加物や残留農薬が問題にされるのに、防虫剤、除菌剤、殺虫剤といった日常的な物質や、さらには、化粧品中の有効成分や食品中の抗生物質を問題にしないのは、やはり科学からの乖離ではないでしょうか。

A君:化粧品中の有効成分というもの勿論それなりに問題だが、無効成分というものも問題なのではないですか。コラーゲンを売り物にしている年齢化粧品などがあるけど、コラーゲンなどといっても、所詮はゼラチンみたいなものですからね。あんな物質が皮膚から吸収される訳はない。せいぜい保水効果しかないでしょう。高い金を出して買うようなものではない。飲むコラーゲンにしたって、コラーゲンは吸収されるときには、分解されている。

B君:そんなことを言い出せば、なんのメリットもないミネラルウォータに水道水の1000倍のお金を払うこと自体、ほとんど迷信のレベル。

A君:そういえば、キッコーマンの人が嘆いていましたが、醤油というのは、9ヶ月も掛けて作るのに、ミネラルウォータよりも安いことがある。醤油の原料に水もちゃんと使っているし、容器のペットボトルだって使っている。それなのに、なぜミネラルウォータより安いのだ。原料の大豆代や、発酵するための手間、時間、それはどこに行ったのだって。

B君:大体、水道水が飲めないと言うのなら、ビールだって飲めない。大部分のビールは水道水を使っているから。

C先生:確かにそんなところなんだが、このような常識で考えればすぐ分かるような事柄も常識にならない。これは科学・技術の乖離というよりそれ以前の問題のようにも思える。こんなところが万人の常識になれば、環境技術に対する受容性もかなり改善されると思う。どうしたら良いと思うかね。

A君:となれば、やはり初等中等教育ではないですか。

B君:そういえば、日本経済新聞が、10月23日から教育を朝刊第1面で取り上げ始めた。何回の連載だかしらないが、28日現在、6回目になっている。この6回目の記事が、教育現場の危機感のなさ。50歳前後のベテラン教諭達がすべてを牛耳っていて、若手が危機感をもっても潰される。

C先生:いや、なかなか本当のことを言いにくいのだが、まず、第一に、そのころの自然科学と今の自然科学は全く変わってしまった。50歳前後の理科の教諭が昔のつもりで教えていたら、まあ、とんでもない授業をやっているだろう。それに加えて、我々の頃からしばらくの間は、中学・高校の先生になるというのは、デモシカ先生と言われていた。「他の職業に付けないから、先生にデモなるか」。「先生にシカなれないから先生になるか」。という意味だが。勿論、高い見識と使命感をもって先生になった人も多いのだろうが、平均値として言えば、もともとレベルが低いことも事実なんだろう。

A君:現在40歳ぐらいまでがレベルが低いとすると、入れ替えが行われるには後20年掛かりますね。

C先生:そう、それが上に述べた20年後には自然に解決する可能性あり、という期待なんだ。

B君:20年は長い。これはなんとかしなければならないな。最近は大学のレベルが落ちていることは問題にされているが、これほど大学進学率が高くなれば、レベルが落ちて当然。最近、大学院のレベルが落ちたのが実感できる状況。これだって定員を増やしすぎたからだ。どしようもない連中が多くなってきた。
 それに対して、中学・高校のレベルが落ちているのは当然のことになりすぎた。もっと問題にしないと。

C先生:教育に対して文部省がでしゃばり過ぎたツケが来ている。教育内容の最低水準を決めるのが本来の文部省の役割だと思う。最低でもここまでは教えなさい、という形で。ところが、現在では、ゆとりの教育とか言って、これ以上高度なことは教えてはいけない、といった規制を作るのが文部省の役割だと思っている。これは基本的に間違い。ここから変えないと。大体、円周率π=3ではまずい。

A君:それは、年輩の教諭のレベルに合わせているのでしょうね。

B君:噂では、文部省でも若手は、我々見たいな考え方なんだが、ベテラン組がどうしてもゆとりだといってきかないとか。

C先生:実は、先日、日本化学会で、会員のために環境教育講演会を行って、ライフサイクルアセスメントについて講演をしたが、その講演会の本来の趣旨は、高校の先生に是非とも参加して貰いたいということで、土曜日の午後に開催したのだが、残念ながら、高校の先生で参加してくれた人は3〜4名(?)だった。

A君:恐らく、高校の先生はそんな時間的余裕も無いのでしょう。

B君:向上心も無い教諭が多いというべきでは無いか。

C先生:というような状況を打開するためもあって、現在、まだ構想中だが、「高校で理科を教えたいと勝手に言う大学教官の連合体(理科高校授業勝手連)」を作ろうかと思っているところだ。もしも、このような活動に同調していただける大学教官や、受け入れてやろうという高校教諭が居られたら、どのようにして具体化するかご相談したいので、是非ご連絡を。文部省関係者も歓迎。こんなことで、科学技術と社会との乖離が少しでも防止できればと考えている次第。