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  化学物質のリスクコミュニケーション論 02.06.2002




 「化学物質のリスクコミュニケーション手法ガイド」なる本がある。日本化学会の同名の研究会が編集したもの。委員長は、浦野紘平先生(横浜国立大学)。その他のメンバーは、付録参照。

 現在、環境省の主催による「化学物質円卓会議」なるものに参加しているが、そこでの議論のために、自らの考え方を固めるべく、この記事を書いている。本日、第2回目で、リスクコミュニケーションが主たる話題で、浦野先生のプレゼンテーションもあった。

 個人的感想だが、議長役であったもので、大変に疲れた。


C先生:この本は、リスクコミュニケーションのガイドとして、なかなか良く出来ている。特に、気に入ったのが、コミュニケーションにおける誤解というものが1〜10まで出ている。これはなかなか本質をついている。

A君:リストアップしてみましょうか。
誤解1:化学物質は危険なものと安全なものに二分される。
誤解2:化学物質のリスクはゼロにできる。
誤解3:大きなマスコミの情報は信頼できる。
誤解4:化学物質のリスクは、科学的にかなり解明されている。
誤解5:学者は、客観的にリスクを判断している。
誤解6:一般市民は科学的なリスクを理解できない。
誤解7:情報を出すと無用の不安を招く。
誤解8:たくさんの情報を提供すれば理解が得られる
誤解9:詳しく説明すれば理解や合意が得られる。
誤解10:情報提供や説明会、意見公募などがリスクコミュニケーションである。


B君:なかなか良い。誤解8、9、10がやや重複気味なのが多少問題なぐらいで、あとは、なかなか本質を突いている。

C先生:それでは、個別の項目について議論をしてみよう。このHPでいつも言い続けていることが、この誤解でまとまるだろう。

A君:それでは、まず、
誤解1:化学物質は危険なものと安全なものに二分される。

B君:これは、毎回我々が言い続けていることだ。パラケルスス(1493〜1541年)なる人がいて、まあ毒物学の元祖みたいな人だが、「ある物質が毒であるか毒でないかは、その摂取量による」といったとされる。毒物であっても体内に入れなければ良いし、また、どんな栄養物であっても、例え砂糖でも毒物であって致死量が存在する。まあ1kgぐらいだから、自殺するのは不可能だが。

A君:次は、
誤解2:化学物質のリスクはゼロにできる。

B君:しゃべりたいだろ。順番を変わろう。

A君:まあ。上の誤解とも関連する項目ですが、どんな物質も毒性はある、ということもありますし、普通の食品も毒性が高い。また、自然はリスクだらけで、太陽の紫外線は、突然変異を起こしやすく、皮膚がんの原因。

B君:この誤解1、誤解2の関連事項として、誤解:天然物は安全、人工物は危険というものある。

A君:天然の毒物は良くできていて、とても人間技では作れないというのが本当のところなんですがね。現在、最高の毒物と言われているボツリヌス菌の毒素などは、たんぱく質だから、とても合成などできません。

C先生:先日来の狂牛病騒ぎがまだ収まらないが、このことからも、日本という世の中が、いかにリスクゼロ指向か良くわかるから、かなり根強い誤解なのだろうな。

B君:それでは、
誤解3:大きなマスコミの情報は信頼できる。

A君:これも、毎回やっていますね。今月の環境で虚構を指摘しましたが、「肌着ほかほか」といった比較的罪の軽いものから、ダイオキシンのニュースステーションの虚構まで、さまざまですからね。

B君:基本的に、マスコミの大部分の記者は科学音痴。科学部とその他の社会部や文化部などとの連携がなっていない。

A君:次です。
誤解4:化学物質のリスクは、科学的にかなり解明されている。

B君:これは、化学者側の思い込みが強いということか。まあ、ほとんど無限にある化学物質のリスクが全部分かる訳がない。だから、比較的なじみのある物質を上手く制御して使う方が良いかもしれない。そうでないと、すぐ代替品を開発したがるのが化学業界なんだ。

A君:化学物質を攻撃する側も、それを理解してからやるべきですね。

B君:次は、
誤解5:学者は、客観的にリスクを判断している。

C先生:これは、私が言った方が良いだろう。この件、学者を以下のように分類すると良いと思う。
*その課題で研究費が取れる人か?
*その課題に近い専門領域か?
*それ例外の課題にどの程度の見識があるか?
*全体を見ながら判定を下すタイプか?
*社会的な正義感を持っているか、それとも村論理に支配されているか?
 この分類をどのように使うかは、皆様にお任せ。

A君:次が、
誤解6:一般市民は科学的なリスクを理解できない。

B君:これは誤解だとは言えないと思う。リスクという概念はやはり難しい。確率的概念を理解することは、やはり多少の理系的な教育が必要なのではないか。

A君:リスクをどのような形で示すか、そこに多少の工夫があっても良いのではないでしょうか。

C先生:最近、様々なところで講義や講演をしてみて、損失余命という考え方がリスクを比較的冷静に受け取ってくれる表現のような気がしている。これに関しては、すでに「化学物質リスクと死因」 08.26.2001で取り扱っている。一応、表紙へのリンクだけ張っておこう。http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/

B君:次が、
誤解7:情報を出すと無用の不安を招く。

A君:これは、産業界のお偉方が持っている誤解だと言えそうです。それは、過去の歴史を振り返ると、そうだったと言わなければならない様々な状況があったのでしょうね。

B君:しかし、これを根底から変えることが実は、市民社会とのコミュニケーションを行う際にもっとも重要なことなんだと思う。

A君:次です。以下、3項目は同じようなものですが。
誤解8:たくさんの情報を提供すれば理解が得られる
誤解9:詳しく説明すれば理解や合意が得られる。
誤解10:情報提供や説明会、意見公募などがリスクコミュニケーションである。


B君:コミュニケーションの本当の目的が分かっていれば、こんな誤解をすることはない。これまでの考え方だと、行政と企業がすべてのことを決めて、もしもなんらかの健康被害がでれば、それは補償をすればよい、といった発想だったのが、すでに時代遅れだということだ。

C先生:そういうこと。しばしば、ステークホルダーといわれるが、様々な階層のいずれもが、ある件に関して意思を決定することに関与する権利を有する。経済的な当事者でなくても、その社会の構成員として当然の権利をもっていると考えなければならない時代なのだ。

A君:だから、市民団体も、地域住民も、リスク管理対策について、自らの問題として意思の決定を行うことに関与して当然というのが、新しい考え方ですね。

B君:この考え方について行けるかどうか、それが問題というところだ。

C先生:これで、この本に掲載されている誤解は終わったが、何か足らないことは無いか。

A君:多少追加したいところです。
誤解11:環境リスクはますます拡大中
誤解12:DNAのわずかな傷もガンの原因
誤解13:予防原則こそが解決原則だ
誤解14:人体影響だけがリスクだ


B君:それに誤解ではないが、もう一つの原則を追加したい。
原則15:市民側の要求の原則
 とにかく納得できること
 企業はそれで商売をやっている
 自分は利益を受けていない


C先生:妥当な追加と妥当な指摘かもしれない。

A君:それでは、一つずつ。
誤解11:環境リスクはますます拡大中

B君:これも、メディアの報道などだけを見ていると、そう思わされてしまう。しかし、実態は、多くの環境汚染が1970年ごろにピークがあったというのが、日本の現状なのだ。

A君:例えば、大気汚染、水質汚濁、それに、ダイオキシンなどの放出量、いずれもその原則に会いますね。

B君:ただ、いくつか例外があって、例えば、道路脇のNOxやSPMなどはそれほど下がっていない。それは、輸送量が増えているからだ。

A君:ある種の利便性の向上に伴う環境負荷も下がっていないですね。その代表例が紙おむつという名のプラスチックおむつ。

C先生:しかし、明確に有毒という物質の放出量は、最近になって極端に減りつつある。それは、PRTRが効果を見せているからかもしれない。

B君:次。
誤解12:DNAのわずかな傷もガンの原因

A君:これは、最近の分子生物学の進歩のお陰で、発ガンリスクなどの正確な議論ができるようになってきたということでしょうか。

B君:DNAに関する知識からちょっと考えると、人間の体というものは、極めてダイナミックにできていて、DNAに傷がつくことが前提で人体というものが設計されていることが分かる。そうでなければ、人類などという複雑なものが、これほど地球上にノサバることはできなかったに違いない。

C先生:普通の人が思っているより、体はタフ。その割りに、神経が繊細でストレスが体に悪影響、というのがヒトという生物の実態のようだ。

A君:それでは、次です。
誤解13:予防原則こそが解決原則だ

B君:これは難しい問題だ。ここが最大の議論になるところだろう。

A君:かつて水俣病のように、ある被害が明らかになっているのに、原因が不明。そのような場合には、想定される原因をすべて一時的に止めるというのが、本来の予防原則だったと思うのですね。

B君:ところが、最近の予防原則は、なんらかのリスクがあれば、その原因は予防的に取り除くべきだという主張に用いられる。ところが、何事にも何らかのリスクがあるから、もしもこれを実現しようとしたら、コーヒーも禁止の対象になってしまう。コーヒーだって、100杯飲めばカフェインが致死量を超す。

C先生:だから定量的に、という話にするのか、ということになるのだが、そうなったときに、何を基準にしたらよいか。これが問題。なぜならば、環境要因のものの多くは、かなりリスクが低くなっていて、タバコからの副流煙のリスクを超えるものが果たしてあるだろうか、という程度だからだ。

A君:いずれにしても、ここが最大の議論でしょうね。

B君:次。
誤解14:人体影響だけがリスクだ

A君:人体影響だけを考える時代は終わったというのが、本HPの最大の主張ですよね。地球上における人類社会の持続可能性を問題にするのが21世紀だ、ということで。

C先生:そうだ。生態系影響、地球資源への影響、を人体影響と同次元で議論すべきだとうのが本HPの主張。今年の環境問題の最大の問題が実は、京都議定書を批准した後で、日本は何をやるのか。言い換えれば「温暖化のリスク」をどのように考えるかだ。

B君:リスクアセスメントだけを考えればよい時代ではなくなった。これをリスクコミュニケーションに活かすことが可能なのだろうか。

A君:確かに、大問題ですね。

B君:それでは、最後の原則
原則15:市民側の要求の原則
 とにかく納得できること
 企業はそれで商売をやっている
 自分は利益を受けていない


C先生:これも、化学工業会のすべての人に認識をしてもらいたいものだ。市民はステークホルダーの一つになったが、その原則は、指摘の通り。被害だけを受ける可能性はあるが、利益は無いのが普通。

A君:とは言いながらも、間接的に化学製品の御利益には与っているわけで、そこを考慮にするかどうか。

B君:それに、その物質を使わないことによる他の環境負荷の増加をどう考えるか、といった課題もある。

C先生:例えば、塩ビはかなり嫌われ者になってしまったが、塩ビをもしも全面禁止したら、下水管などは何で作るか。何を使ったにしても、恐らく、環境負荷はかなり増大しそうだ。

A君:やや間接的とは言いながらも、リスクとベネフィットを考えるといった発想を持つ必要がある、ということですか。

B君:現在のような経済状況だと、雇用の創出という役割も大きい。これが社会全体の安定性に寄与している。これも、その製品のベネフィットの一部だという理解が必要だろう。

C先生:この議論は、なかなか高度で、より広範な議論の中で理解を求めるしかないな。

A君:しかし、日本列島上に持続型の社会を構築するために、何ができるか、といった発想で、ものを考えて欲しいですよね。

B君:市民団体の発想がそこに行けば、それはすごいことだ。そこまで行かなくても、せめて温暖化防止と、化学物質のリスクとのトレードオフが議論できればねえ。

C先生:化学物質のリスクコミュニケーションがきちんとできるということの最終形はどのようなものなのか。さらに、その効果として何が期待できるのか、そんな議論をやっておく必要がありそうだ。



付録: 日本化学会リスクコミュニケーション研究会
委員長:浦野紘平  横浜国立大学工学部
 委員:今西良文  日本鉱業協会・日鉱金属
    大島輝夫  化学品安全管理研究所
    大歳幸男  日本化学工業協会・旭硝子
    織 朱實  東京海上リスクコンサルティング
    加藤忠利  日本自動車工業会・トヨタ自動車
    北野 大  淑徳大学国際コミュニケーション学部
    関沢 純  国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部
    高崎 誠  日本鉄鋼連盟・新日本製鐵
    角田季美枝 バルディーズ研究会
    長島 實  協和発酵工業
    村山武彦  福島大学行政社会学部(当時)
    元川浩司  日本生活協同組合連合会(当時)
    横山裕道  毎日新聞東京本社論説室
    吉野由利子 日本電機工業会
    渡辺一法  神奈川県環境農政部