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武田先生との対談自己評価 06.11.2000




 武田先生の「リサイクルしてはいけない」に反論する対談を行った。これが日経エコロジーの7月号、p34から4ページの記事になった。こうなった理由は、以前に、本HPにて、武田先生の本「リサイクルしてはいけない」を批判したため。実際に話した内容は、この4ページに表現されている内容の10倍ぐらいはあった。しかし、まずまずのエッセンスが盛りこまれている。もっと突っ込むべきだという批評もあるが、対話だとどうもこんなところで終わってしまった。もっと攻撃的性格になければならないのか。。。。


B君:ちょっと山本良一先生と会って話しをしたら、武田先生との対談は、「生ぬるい」との評価だったですよ。「LCA的に評価して、それで駄目な材料は課徴金だ!、と言わなければ駄目だ」、そうですよ。

A君:やはり、ちょっと生温い感じはしますよね。

C先生:対談というものをどうみるか、学問的な場であれば、「間違っている」ということは絶対的な意味があって容認すべきではないのだが、こんなたぐいの本の場合には、別の要素があるんだ。売れなくても良いという本と、このような新書のようなものでは、これまた違う。出版社にとっては、新書は「売れてなんぼ」のものなんだ。だとすると、あんな本を書くのも武田先生にとっても、「売ること」を強制されているとも言えて、となると、できるだけセンセーショナルな表現を書かざるを得ない。そして、一旦、「書いた」という事実があると、いくら間違っていると自分で思っていても、それを認めるわけには行かない。こんな状況での対談だから、まあ、余り攻撃をしてもしょうがない。本当は、相手にしないのが一番なんだ。

B君:最初から、手加減をしていては駄目。

A君:センセーショナリズムは、環境の敵でしょう。

C先生:その通り。本日の同時アップの記事も、話題はセンセーショナリズム。

B君:それじゃ、方法論の出鱈目さは本当?

C先生:それは本当に出鱈目だ。だがね、LCA的にみて、ペットボトルをリサイクルすることが本当に環境負荷を下げているかどうか。その検討をまだやっていないから、なんとも言えない部分があるが、検討すれば積極的にやる必然性は無いという結論になりそうだと思っている。大体、現時点でリサイクルをやって、資源・エネルギー的に本当に意味がある材料は、アルミ、銅のように元素として高価なものに限られるから。だから、まあ、武田先生の方法論が全く出鱈目でも、結論としては同じになってしまうのではないか、という弱みがあってな。

A君:出鱈目な方法は批判すべしでしょう。

C先生:だから、「学問としてそういう主張だ」と言われれば、それは厳しい批判の対象にはなるが、「本を売るために、直感を数値にするとこうだ」、という意見に対して、そんなに厳しいことを言っても、余り意味が無い。言論の自由を弾圧しているような感じになってしまう。

A君:例えば、「リサイクルの目的と手段を混同している」というところ、などは、すり替えの議論だと思うのですが。「リサイクルを止めて、ペットを焼却すると、ペットの消費量も減る」、などというところは。

B君:その考え方は絶対に嘘だろう。

C先生:「なんでもリサイクルをすれば良いとわけではない、リサイクルそのものは目的にはならない」、これは、我々の主張でもある。だが、なんでも焼却することによって、ペットの使用量がどうして減るのか、これは検証不能だし、まず嘘だろう。しかし、「ペットをリサイクルしていることが免罪符」になっていることは、どうも事実のようだ。先日、上智大学で講義をさせてもらって、それに対する学生の感想文を読んで見ると、「ペットはリサイクルが上手くいっている材料なんだから、問題は無いと思っていた」、という感想が結構多かった。最近の大学生は新聞などを読んでいないから、スーパーや生協などにペットの回収箱があったり、ペットの分別回収をやっていると、それで上手く行っていると思い込んでいるらしい。

A君:焼却してしまえば、目の前から消滅する訳だから、誰も痛みを感じない。それでペットの消費が下がる訳は無い。「リサイクルが免罪符にもならない」ことを、きちんと説明することが重要なのでは。

C先生:ここの部分、議論がこれまた水掛け論になったんだ。最近のリサイクル法は、ほっておいたらリサイクルされる訳が無いものを、強制的にリサイクルさせるという考え方だが、その意味について、議論しても良かったのだが、武田先生に、無責任に国の方針は間違っているという、先日批判した日経と同じことを言われても困る、ということで、避けたという感じかな。

B君:しかし、センセーショナルな本を書くことでしか世間に注目されないということは、どうしても容認し難い。

A君:「リサイクルしてはいけない」を最初に取り上げたのが、週刊文春。週刊誌の好きそうな取り上げ方だったから。

B君:テレビと週刊誌はどうしようもない。センセーショナルリズムしか頭にない。新聞は多少ましなんだが。

C先生:武田先生の本がセンセーショナリズムを売り物にしたこと、これは事実。ただし、買った人は誰なんだろう。

A君:そうですね。まず、「本気でリサイクルを考えている人」が買ったのでは。これは、問題のある本だとして。そして読んで怒っている。

B君:「政府のいうリサイクルはおかしい」と思っている人も買ったかもな。容器包装リサイクル法は、事実おかしいし、それ以外のリサイクル法も、かなり本当の狙いが分からないと、おかしく見える。

C先生:「良心的リサイクル派を攻撃する目的の人」はどうだ。

A君:立ち読みじゃないですかね。

C先生:「リサイクルのすすめ」を書いても余り売れない。それは、リサイクルは当然だという了解になったからリサイクル派は買わない。もともとリサイクルに関心の無い人も買わない。

B君:となると、やはり、センセーショナリズムで売りつけるしか方法が無いのかな。

C先生:武田先生は余りはっきりさせたくないという感じだったが、どうも、5万部は売れた、と推定した。結果的に、センセーショナリズムの勝利だったようだ。日経エコロジーの記事がきっかけになって、ますますあの本が売れたら困るなあ。