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  原子力関係施設と技術者倫理 04.12.2002




 日本工学教育協会という学会がある。この協会に、昨年度、文部科学省からの予算で、日本における原子力関連施設における技術者倫理がどのような状況にあって、今後、技術者倫理がどのような役割を果たすべきか検討し、一般向けの広報資料を作れという調査研究の依頼が飛び込んできた。

 実は、日本工学教育協会の、技術者倫理検討委員会の委員長を務めている関係で、この話にも、なんらかの回答を出さざるを得ない状況になった。

 そこで、委員会メンバーが手分けをして、日本の原子力関連施設15箇所を訪問し、技術者倫理の教育がどのように行われているか、あるいは、行動憲章のようなものが準備されているかどうか、といった調査を行ってきた。

 分担して実際に訪問したのが、久里浜のGNF−J(核燃料会社)、核燃料サイクル機構の東海事業所(再処理関係)、そして、東北電力の女川原子力発電所である。

 結論としては、日本のあらゆる企業群の中でも、原子力関係の企業は、現在もっとも倫理的な意識が高い企業集団である。これはまず確実だ。しかし、その中でも、いろいろと風土というか、カルチャーというか、若干の違いが見られるところが面白いところである。

 全体として見れば、原子力関係の倫理教育は、過去の「JCOによる臨界事故」以来、さらに「原電工事によるキャスクのデータ改ざん事件」以来、相当な改善が進んでいるように思える。


C先生:今日は、諸君達に、原子力関連施設における技術者倫理がどのような状況にあるかを調査したので、その報告と議論をしてみたい。

A君:その文部科学省の調査というのは分かりましたが、個人的にはどのようなスタンスで調査に臨んだのですか。

C先生:現時点で、原子力関係を取り扱うのは、若干センシティブだと考える人も多いが、現実問題として、向こう30年間以上、日本が原子力発電から足を洗うことは考えられない。ドイツにしても、原子力発電を止めると表明したが、すぐに止めるわけでもなんでもなくて、原子炉の寿命が来るまでは、きちんと運転して、そして徐々に終焉させるということだ。スウェーデンも、電力需給が許せば止めるといっているが、これから、電力需要が下がるとも思えないので、止めることができるとは思えない。EUは、北欧の水力発電、フランスの原子力、といった得意技を生かした、国境を越えたベストミックスが可能だが、日本のように、島国ゆえに単独でエネルギーセキュリティーを考えなければならない国は、そう簡単に原子力から足を洗うわけにもいかない。

A君:ドイツなどでは、原子力からの離脱政策は、現在の政権が生存するための方便だという考え方もありますね。

C先生:現政権が生き延びるためには、反原発を唱えなければならないことは事実だろう。

B君:というと、そのような条件下で、何を考えるのがもっとも現実的で、なおかつ安全性が確保できるかということが現実的な思考だと。

C先生:そういうことだ。これまでの原子力関係の事故、例えば、JCOの臨界事故にしても、また、多少古くなるが高速増殖炉の「もんじゅ」の事故にしても、技術者倫理という観点から見て大問題が含まれていたものが多い。技術者倫理教育が十分に行きわたっていれば、未然に防げたのではないか、という観点から、この問題を考えたい。そして、今後、事故が起きる確率を少しでも下げることができれば、という思いだ。

A君:日本の場合、原子力行政はかなり特殊ですが。

C先生:日本だけではないが、原子力行政はもともと国の安全保障と密接にかかわるから、特殊といえば特殊だ。

B君:その最たるものが、絶対安全神話だった。

C先生:メディアは相変わらず絶対安全神話を採用しているように思える。彼らも信じている訳ではないのだが、記事を書くときには、相変わらず絶対に安全であるべき原子力が事故を起こした、というトーンになっている。この話、4月9日に訪問した女川原子力発電所に起きた2月の火災事故と絡めて、最後に議論してみたい。

A君:技術者倫理といっても、原子力発電所の場合であっても、そんなにも一般化していないのでは。

C先生:と思っていたが、キャスクの仕様書を誤魔化した事件以来、電力関係の事業者は、倫理的な考え方の欠落に問題意識をもって積極的に取り組んだようで、かなり普及している概念のようだ。

B君:しかし、技術者倫理とは何か、という定義そのものも確定していない。

C先生:それは、倫理なんてみんなそんなものだ。技術者倫理のワークショップなどでも、絶対的な真理などは存在しない、という話をしている。すなわち、個人の価値観と同様、倫理的判断にだって、さまざまな考え方に基づいたものがあり得る。

A君:たしかに、絶対的に正しいというものは無いのですが、絶対的に間違いというものはありますね。だから、絶対に悪いものをいかに避けて、社会に対して説明責任を果たすことができるような判断を下すということが、まあ妥当な解を見出すことと同義なのでしょう。

C先生:技術者倫理の場合だって、結局のところは、各人が自律的に判断できるように訓練するということでしかなくて、訓練ができている人は、全体がある方向に一気に流れようとしているときにも、ちょっと待てと言える、という程度でしかないのだ。しかし、そのような人が存在が、あるグループの判断が結果として間違わない要因のひとつになるということだ。

B君:原子力の場合に限らないが、絶対安全神話などは成立しない。なぜか。それは人間が作ったものだからだ。しかも、機械というものは、必ず壊れるものだからだ。これが技術者倫理の原点だ。

A君:しかも、運転しているもの、これまた人間で、人間には判断ミスが付き物だ。これも、もうひとつの原点。

C先生:人間の判断ミスが、実は最高に怖い。人間に関すること全般をヒューマンファクターと呼ぶが、ヒューマンファクターを事故発生側の要因から、むしろ事故抑制側の要因に移すことができれば、それが最大の味方にもなりうる、それには、技術者倫理がなんらかの役に立つはず、というのが、倫理委員会の主な主張だ。

A君:機械は自動的に警報を出したりする。しかし、その警報がどのような意味を持つのか、予測される範囲内であれば、マニュアルなどを完備しておけば、ヒューマンファクター無しに正しい判断ができる。しかし、事態はそれだけではない。

B君:もしも、マニュアルに書かれている以外の事態、すなわち、想定外の事態が起きたときに、それに対応することが可能なのは、人間だけだ。すなわち、想定外の事態が大事故にならないようにできるのは、その人間が適切な対応をできたときであって、その適切な対応には、まず「適切な判断」が必須。技術者倫理教育を行う過程で得た、総合的な人間力がその判断力をサポートするということだろう。

C先生:そうだ。簡単に言えば、機械が見逃すミスでも、訓練を積んだ人間は感じることが可能だ。正しい判断を下すことも、人間が行うことだ。その訓練には、倫理的な教育が必須で、運転担当のチーム単位で技術者倫理を受講することで、誰が異常な状況下でどのような判断をするか、こんなことがお互いに分かるだろう。そして、そんなことが、非常事態に有用になるだろう。

A君:そんな発想は、まだ受け入れられないのでは。

B君:やや理想主義的に過ぎないか?

C先生:諸君らの指摘は、実質上正しい。まだ、このあたりになると、やや先に行き過ぎているとも思うが、実際、ここまで行かなければ駄目だと信じる。

A君:ところで、女川原発には、4月9日に査察が入ったとか。

C先生:その理由だが、情報を完全に把握している訳ではないので、ひょっとしたら違うかもしれないが、火災事故があったとき、それをメディアに届けなかったらしい。

B君:それは、駄目だ。

C先生:そう思ったのだが、よくよく聞いてみると、別に悪気があったとも思えない。消防に届けを出すと、自動的にメディアに伝達されるが、それを知らなかったようだ。

A君:でも、それでも駄目でしょう。

C先生:事情を最初から説明すべきだったようだが、この火事が、現在点検中の2号機の保守用の特殊塗料のスプレー缶が終わったので、缶に穴を開けていたら引火したというのが実体らしい。最近のスプレー缶はLPガスが入っているから、引火する。本来、そのまま廃棄すべきだったのかもしれないが、管理区域から外に持ち出すので、廃棄物量を減らしたかったらしい。

B君:そんな特殊用途のスプレーぐらい、フロンで作るべきだ。

A君:フロンなら火災の可能性も無い。最近のフロンは、オゾン層を破壊はしませんが、温暖化係数は大きいですね。しかし、どちらがトータルにリスクを減らすのか。温暖化なのか、それとも、スプレー缶からの火災なのか。

C先生:どうも画一的な環境対策の欠陥が出たのが、今回の女川原発の火事事件。そして、その報告が遅れたのは怠慢とも言えるが、最終的には、マスコミに叩かれて、査察に至ったようだ。まあ、メディアの問題意識も分からんでもないが、「しっかり倫理的勉強をしている原発関係者、単に叩くだけのメディア」。叩く側は気持ちが良いだろうが、叩かれている側が真面目で、叩く側は倫理的勉強などをしているのか、と思うと、ちょっと気の毒な気もした。

A君:それに、特殊スプレーぐらいフロンで作る、といった、トータルな視点が必要なのが、原子力。

B君:どの種の安全性をどのぐらい重み付けをして確保するのか、こんな総合的なリスク管理が必要だ。

C先生:怖い怖いと騒ぐだけではなくて、定量的な議論をしなければならないのは、環境問題にも共通する。