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「リサイクルしてはいけない」武田邦彦著 03.22.00






 しばらく前の週刊文春で紹介された本である。PlayBook783、青春出版社刊。(不思議なことに、奥付に発行年月日が無い。筆者前書きは、2000年1月になっている)。週刊文春の記事は、ちらと眺めただけだが、ペットボトルなどはリサイクルすればするほど環境を破壊する、環境にやさしい生活をするためには、「リサイクルはしてはいけない」と主張している本のようだった。その後、立ち読みをしてみようと思って何軒かの本屋を歩いたが、見つけることができなかったため、HPでご紹介することもできなかった。しかし、とうとう発見して、買うことができた。
 筆者は、芝浦工業大学教授の武田邦彦先生。武田先生が主張されていること、その思想のすべてが理解できない訳では無い。しかし、残念ながら、ペットボトルのリサイクルについては、その解析結果から「リサイクルをしてはいけない」という結論にはならない。部分的に同意できるところもあるので、内容の吟味をしてみたい。
 ちなみに、我々のペットボトルに対する考え方は、この記事をご参照ください。「PETはやはりやめよう」02.20.2000
 さて、どのような本だという結論になるのだろうか。恐怖本の一種なのか、そうではないのか。

A君:C先生、本を一冊買って来ました。ペットボトルのリサイクルはすべきではない、と書いてありますよ。

C先生:おう、A君か。たった今、読み終わったところだ。

A君:なんだ重なりましたね。

B君:俺だけ読んでないのか。ちょっと見せて。

A君:武田先生の考えをまとめます。「ペットボトルのコストが1リットルもので1本あたり約7円。そして、廃棄に2円。合計9円で済むものに、回収に26円、洗浄して乾燥するのに1円。合計27円かかる」、そうで。武田先生の考えでは、「リサイクル増幅係数」というものを考えて、「リサイクルしたものが新しいものと同じなら100」というもので、ペットボトルの場合には、27/7だから、370という数値になる。もしも早稲田大学の寄本先生の回収コストデータ、55円を採用すると、増幅係数は760、つまり、リサイクルすることによって7倍以上も環境を汚すことになるのです」

B君:なぜ、LCAを使わないのだろう。

A君:説明がありますよ。「LCAはアメリカの会社が自社製品が環境に良いことを証明するために作った指標で示す標準基準です(なんだか言葉は変だ)。比較的簡単に環境評価ができるので、最近良く使われ、ペットボトルのリサイクルシステムを決めるときもこの手法が使われました。しかし、LCAは適当に項目や数値を変えることができるのと、第三者が計算の途中をチェックすることが難しく、公平性を欠くので、本書では採用しませんでした」

B君:その最後の部分は、「公平性を欠く」というのはLCAに対する余りにも悲しい誤解だな。

C先生:そんな疑いがLCAに掛けられているとしたら、それは相当問題だな。でもねえ。まあ、確かに、外部から見にくい部分はある。プラ処理協が出した新しいLCAのデータにしても、どうやって信じたらよいの? と聞きたいぐらいだから。

B君:だからといってLCAよりも、そのなんだっけ、ああその「リサイクル増幅係数」が正しいという主張はどんな風にされてるんだい。

A君:それは、「むしろ、価格というのは、物質の使用量とエネルギーの使用量によって決まりますので、価格の方がより環境の指標になります」。ということのようですよ。

B君:はははは。なるほど。全くの誤解だ。

A君:確かにね。我々の主張は、モノの価格が物質の使用量とエネルギーの使用量で本当に決まるのならば、この地球上から資源・エネルギーはすぐには枯渇しない、ですからね。

B君:しかし、その言い方は、誤解の元だ。モノの価格は、むしろ、手間賃とか市場における需給関係で決まる。エネルギーの価格などがまさにその典型。今の原油の価格はどうして上昇しているのだろうか。とうとう$30近い価格になってから相当期間経過しているが。しかし、原油の生産コストは、$2〜3と言われている(北海油田は$7〜8とか)。この部分が物質とエネルギーの使用量に比例するところ。残りは、市場が決めている価格。

C先生:それもまだ誤解を招く。物質の使用量とエネルギーの使用量で、価格の大部分が決まるというモノは、それほど多くは無い。しかし、原油・石炭・鉄鉱石のような基本的なモノの価格が一定だと仮定すれば、全く無い訳ではない。いわゆるコモディティーケミカル(多くのプラスチック)、コモディティーマテリアル(鉄、セメントなど)。武田先生はこの方面の専門家なのではないか。大学卒業後に旭化成に入社されたようだし。例えば、ペット樹脂は確かにそんなものかもしれない。しかし、ペットボトルの回収プロセスの費用が「物質の使用量とエネルギーの使用量」で決まるというのは余りにもひどすぎる仮定だ。輸送のコストは、実はそんなにも高くない。ペットボトルの回収コストの大部分は手間賃=人件費なんだ。

A君:武田先生の理解は、やはりどこか間違っていますね。p42には、「ペットボトルをリサイクルすると、ペットボトルの形をしたゴミは減りますが、ボトルを運んだトラックのタイア、トラックの燃料や燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器、回収用の箱や袋など、形が変わって出る」、という理解までは、なかなか面白いのですが、「「リサイクル増幅係数」である3倍から4倍もの「別の形をしたゴミ」が廃棄物処分場に運ばれることになる」、との結論に導くところは、全く根拠が無いですね。

C先生:そうだ。費用を基準とした場合には、手間賃を差し引いて、そして比較をする必要が有る。そうすれば、結論が大幅に違ったものになるだろう。
ちなみに、LCAの世界では、人力をどのように取り扱うか、しばしば議論になる。最近の大勢は、人力は無視すべきだ、という方向。これが正解とも言えないけどね。

B君:それで、武田先生は、ペットボトルはどうやって処理すべきだと言っているんだい。

A君:焼却です。

B君:ペット樹脂は焼却しても回収できるエネルギーは少ないから合理的ではないけど、減量だけが目的なら焼却が確かに一番。でも、飲料業界と化学工業界が喜ぶ結論だな。

C先生:ペットを焼却して良いという結論にすると、いくらでもペットボトルを作って燃やせば良いことになる。これは、環境を悪くする最悪のシナリオだということが認識されていないように思う。やはり、全体として環境負荷低減に向けた整合性が取れた考え方であるとは思えない。

A君:リサイクルだけでは問題は解決しない、と言いたいのではないでしょうか。

B君:それは事実だな。リサイクルもしないで済むような社会にすること、これが本来の目的。

C先生:それはそうだ。「大量生産、大量消費、大量廃棄」が「大量生産、大量消費、大量リサイクル、大量廃棄」に変わるだけでは、リサイクルをすることが何の役にも立たない、ということの主張なら受け入れるが。

A君:どうも、リサイクルをすれば、それで良いことをしたと信じている一部環境運動家の単純思考に冷や水を掛けることが、この本の本当の狙いなのでは無いですか。

B君:ほーー。結構、厳しい見方ができるじゃないか。

C先生:うん。実際そんな気がする。実は、題名から判断して、この本がリサイクルを取り扱っていると思っていたのだが、立ち読みしたら違うみたいなので買った。題名にだまされてはいけない。リサイクルは単なる一例だった。ペットボトルの他に、紙のリサイクルが取り上げられているが、こちらの考え方は、ペットに比較すれば、の話だが、かなり真実に近い。

A君:紙は、バージンであれば、木が持っているエネルギーを有効活用しているけど、再生紙の製造プロセスへのエネルギーの供給は、確かに化石燃料からだから、化石燃料を大切だと考えれば、再生しない方が良いというLCAデータを、我々も、先日発表したばかりですよね。紙のリサイクルは、森林資源の保護が重要という観点だけから行われている。

B君:紙も、すでに植林した森林資源への依存が多くなっているし、そうでない場合でも、森林減少の主たる原因ではないことも事実。製紙業界が言うように、今後植林がどんどん増えると、紙は再生しない方が総合的にみて環境負荷が低いという結論にならないとも言えない。現時点では、紙の繊維は、3回ぐらいリサイクルして使うのが妥当だと思うが。

C先生:話を戻して、環境運動家に対して、「環境を考える考え方には、色々あるぞ」、と言いたくて武田先生はこの本を書いたというのが実体だ、という仮定についてだが、この本の第1章が、オオジカの棲息数の話から始まっていることから見て、妥当な仮定のように思う。

B君:例の話ですか。閉鎖空間では、棲息に適当な数があるという話。餌の有る限り増殖して、後は餓死するという話。

A君:それに加えて、オオジカを捕食するオオカミとの共存によって、オオジカがより健康な状態になったという「皮肉」付きですよ。

B君:今の環境運動が、「ヒトに対して、完全なゼロリスクばかりを狙って、オオカミの存在を考えていないだろう」、ということか。その真意が理解されるだろうか。

C先生:「石鹸の方が、中性洗剤よりも危険だ」、とかいう記述もでてきて、どうもそんな狙いの本のように思える。「環境問題は現代の魔女狩り」であるとの記述も出てくるし。

A君:「魔女狩り」をしないで、冷静に環境問題に対処した人として、2人の女性が紹介されていますね。一人は、鉛の害を冷静に説いたアリス・ハミルトン。そして、もう一人は、農薬の害を主張したレイチェル・カーソン、「沈黙の春」の著者。

B君:そう言えば、最近の環境研究者の一部には、レイチェル・カーソンとシーア・コルボーン(「奪われし未来」の著者の一人)の2名に対して、環境問題を正しく指摘した歴史上の重要人物だという評価があるみたいだな。

C先生:そういえば、先日の八ヶ岳の異分野交流でもそんな議論をしていた人が居た。

A君:シーア・コルボーンは、一応科学者ですよね。でも、本当にあの本を書いたのは、ダイアン・ダマノスキなるジャーナリスト。

B君:カーソンとコルボーンとでは、周囲の状況が余りにも違う。カーソンの時代には、誰もそんなことが言えない雰囲気の中で、農薬の害を指摘し、カーソンは周囲からの総攻撃を受けた。コルボーンには、立花隆のような味方が居るし、ジャーナリズムも概ねその味方。

C先生:それどころか、環境ホルモンの研究者もコルボーンの熱烈サポータだから、全く状況が違う。現時点では、むしろ、「環境ホルモンは何が問題なのかが問題だ」と発言する方がよっぽど勇気が要る。コルボーンを高く評価するのは、間違いのように思える。私個人としての評価も、一般市民に無用な心配を与えた(?)というマイナス評価も考慮してから総合的に再評価すべきだ、というものだ。

A君:八ヶ岳の異分野交流からの情報を加えた新しい判断だと、「環境ホルモンは何が問題」なんですか。

C先生:まだ、有害情報が定量的に確立していないのがまず問題。それは、厳密にかつ科学的に求める必要があるだろう。とは言え、最後の結論は、徐々に見えてきたように思える。すでに、規制の対象になっている有機塩素系の化合物群(PCB、DDT、BHC、ダイオキシンなど)は、やはり規制の強化と積極的な処理によって、特に、PCBについてなんとかしなければならない。しかし、いわゆるエストロジェンミミック、すなわち、女性ホルモンのマネをする物質、例えば、ビスフェノールA(BPA)、ノニルフェノール(NP)がその代表だが、これらについては、直接口に入れないように、といった程度の注意をすればそれで十分ではないだろうか。むしろ、DESに見られるように薬品類は確実に怖い。場合によっては、ある種の化粧品の方がBPAやNPよりも怖そう。フタル酸エステルは、種類によって多少違うが、さらに緩い対応でもそんなに重大なことにはならないように思える。スチレンダイマーなどは、恐らく単なる濡れ衣。
 以上の記述は、まだ、予測・推測の段階だから信用しないように!!!

A君:武田先生の本に戻りますが、この本の真意が、環境活動に対して一石を投じることだとしたら、週刊文春の取り上げ方は、間違いということになりますね。

B君:それは週刊誌だもんね。おもしろければ、それで良し。

C先生:いつものことながら、このような取り上げ方は問題。それは、一般の善良な市民、いわゆるサイレントマジョリティーが、このような週刊誌記事に惑わされて、「リサイクルなど意味が無いと誤解する」ことの害悪が読めていないから。これまた、週刊誌だから当然という声もありうるが。しかも、ペットのリサイクルの部分が、この本の中でもっともできが悪い部分のように思える。

A君:リサイクルについての見解を多少まとめたいのですが。

B君:よし。なぜリサイクルをするのか。それは、(1)リサイクルをすることによって、経済的に有利だから、(2)リサイクルすることが法律で決まっているから。

A君:先に言われたか。それでは、(3)リサイクルすることによって、資源・エネルギーの節約になる場合は、極めて少ない。経済的に有利である場合は、この条件も自動的に満足する。(4)包装材料の場合、ゴミを減らすために、わざわざ資源・エネルギー・お金を掛けてリサイクルしている。ゴミ減量以外の環境負荷は増えている。

C先生:(5)リサイクルの効果を判定できるのは、「リサイクル増幅係数」などではなくて、やはり情報を完全に公開したLCAによってである。