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環境NGO論−含む日本子孫基金 08.11.98
  






 環境ホルモン問題に乗って一躍有名な団体=NGOになった日本子孫基金であるが、このようなNGOが今後どのように成長するか、注目に値する。なぜならば、日本には、先日のCOP3のときにも指摘されたことではあるが、有力なNGOが存在しない。しかし、環境問題の重要性を認識したNGOの存在が、不可欠なのである。
 以下、自称NGOのA君、B君、C先生がNGO論を戦わせる。


C先生:今日の話は、なかなか微妙だ。環境ホルモン問題も、「奪われし未来」によって広まった話であり、いわば市民としてのスタンスからの指摘が問題の発端になっている。日本では、日本子孫基金なる団体が、この流れの中で「元気」のようだ。もうしばらくは、この団体の自主的な動きに任せておいても良いのだが、下手をすると、妙なことになりかねない兆候を示していることも事実。
 NGOの存在形態、実は非常に難しいのだ。本日のテーマはこれだ。

A君:企業に居ますと、企業はNGOのターゲット役しか演じることができないのが実態。しかし、それではいけないと思うのです。NGOは非政府組織ですから、企業もNGOのメンバーに堂々となりうる訳です。しかし、なかなかそうも行かない。

B君:大学人は個人NGOみたいなものだから、その環境へのスタンスは重要で、いつも自ら検討して、どのような立場を取るか考えてます。

C先生:確かにそうだ。環境問題は、自分の立場を明らかにしないと意見を述べることもできない。そんなこともあって、多くの大学人は評論家に徹して、自分の意見を述べない。立場を明らかにすることを嫌がっている、あるいは、怖がっているのだろうね。
 A君に、NGOの立場がいろいろあるという整理でもしてもらおうか。

A君:そんなに詳しく知らないので、これは狭い観点からの議論だと思ってください。まず、日本の環境問題が公害問題から始まっているという歴史的認識は正しいと思います。NGOもやはり公害問題NGOから始まっていると考えるべきでしょう。公害問題を定義すれば、それは、「被害者と加害者が明らかになっている環境問題」でしょう。先般地裁判決が出た川崎公害訴訟は、被害者は明らかですが、賠償を求められたのが国ですから、少々変形の公害問題だったといえるでしょう。公害問題の特徴は、その解決法が明らかなことです。問題になっている対策を直接的に実行すれば良いわけです。公害型NGOの主たる役割は、「告発」ですので、告発型NGOと呼ぶことができると思います。
 地球環境問題が認知されるようになって、公害問題とは違った形式の問題がでてきたことになります。すなわち、加害者と被害者の区別が明らかではない。消費文明が加害者、市民が被害者という言い方もされますが、むしろ、加害者と被害者が同一化したと考えるべきではないでしょうか。となると、NGOも告発型が成立しにくくなり、自己警告型とでも言うべきNGOになります。
 環境問題を研究したり、関心を持ったりする理由は、解決を指向するからです。環境問題の解決は、公害問題の解決と異なって実は簡単ではなく、あらゆるトレードオフのしがらみのなかで、最適解を模索することになります。したがって、告発型のようにある部分のみを専門に見ているだけではだめで、環境総体の中で何が重要で何が重要でないのか、すなわち、公平なスタンスからリスクの評価を行って、リスク最小が解決法であるという立場を取らざるを得なくなります。これができるNGOはまだ存在していないように思えます。

B君:それはそれで分かるが、リスクなどというものは、問題がかなり解明されてきて始めて分かるもので、現在の環境ホルモン問題のように、未知なことが多すぎるときには、そのような解決型NGOを要求すること自体無理なのではないだろうか。

C先生:両君の発言の要点は、告発型NGOが自らを告発型NGOだと規定して動いているうちは、余り問題はないが、解決型NGOを目指すと、その実現にはいくつかの条件が満足されないとなれないし、さらに、環境総体を眺める能力が求められるということだな。

A君:解決型NGOになるには、環境リスクの考え方をかなり固める必要があるということです。「なんでも告発」なら簡単ですが、そのどれから解決するのかということになると、優先順位をつける必要がでてきますから。

B君:環境モルモンのリスクは定量的にはまだ分からない。しかし、確かに、いくつかのことは言えそうだ。ダイオキシンやPCB、DDTなどのようなもともとの蓄積性・毒性の高いものは別として、その他の最近になって問題にされている環境ホルモン類は、大人には問題を起こすことはほとんど無いだろうということ。乳幼児、妊婦あたりが問題ということ。だから、子供をどのように育てるかという問題に限定して良いことになる。

C先生:だから日本子孫基金か。日本子孫基金も当初は完全な告発型のNGOだったと思う。しかし、マスコミがおだてるものだから、かなり色々なコメントをするようになって、その意見に的外れが出始めたりしている感じだ。

A君:具体的な指摘はしないのですか。

C先生:やってみようか。しばらく前の週刊文春(5月28日号)の環境ホルモン特集で、日本子孫基金の植田氏がいくつか発言をしている。発言は再度、要約してあるので念の為。 
 「スチール缶にはペットボトルと同じ樹脂のフィルムを張りつけたタイプの缶もあります。これは安全。」
 これは、環境ホルモンという観点だけから、容器の環境負荷を判断している。トータルにみて環境負荷が低いかどうか疑問だ。環境問題は、環境ホルモン関係だけではない。
 「たき火がなんでも悪いわけじゃありません。燃やすのは、酸化という自然界の分解作用を手伝うということです。プラスチックの原料である石油も元は生物ですから全部が悪者ではない。要は、塩素を加えた塩化ビニール製品を徹底的に分別すればいいのです。」
 これも疑問。塩化ビニールを包装材に使用することは私自身禁止すべきだと考えている。しかし、ダイオキシンの原因は塩化ビニールだけではない。食塩を含む厨芥の焼却もほぼ同罪。ダイオキシンは人工物ではなく、もともと天然に存在している物質で、木の枝を燃やしてダイオキシンは出る。塩ビだけを敵視しても解決にはならない。
 「空気中に含まれる環境ホルモンのほうが、食べ物として入るものよりも影響が大きいんです。食物は肝臓という解毒装置があるけれど、空気は肺からすぐに血中に行きますから」
 これは事実誤認か記述ミスか。肝臓は血液を浄化する臓器であって、胃から食物が直結して入る臓器ではない。それに、空気中に含まれる環境ホルモンとは何? 分子式を見れば分かるように、環境ホルモンで気体のものは考えにくい。ダイオキシンの場合は、蒸気圧があるから気体も問題だが。他の環境ホルモンで気体が問題になるのは何?
 これらの疑問点について、Eメールで質問したのだが、なしのつぶて。まあ、告発型NGO自身が告発されるとは思っていないのだろう。

B君:告発型NGOの存在意義は認めている。しかし、その告発の科学性が問題。となると、この日本子孫基金も問題は多い。機関紙をちらっと見せてもらうと、環境ホルモンではないスチレンモノマーの溶出データとか、電磁波測定器の直販とか、まあ、余り科学的とは言えない部分が目に付きました。

A君:これは、さる食品関係の企業から聞いた話ですが、日本子孫基金と名乗らずに、個人名で社長宛てに質問状が来る。「御社の製品中に、以下のような環境ホルモンが含まれているかどうか○×で回答せよ」といったものらしい。科学的に考えると、これに答えるのは難しい。なぜならば、ここ10年間程度でこの類の物質に対する分析限界が3桁も向上した。これまで、ppmというとかなり低濃度だと考えていたのが、pg/リットルとかいう単位の量が測定できるようになり、もはやfg/リットルも可能といえる時代になった。となると、×を付ける行為自身、科学的とは決して言えない。毎日飲んでいる牛乳中やジュースにだって、多分、そのリストの物質はすべて含まれている。

C先生:だからリスクの話をしないと解決にならないのだ。告発型NGOは、日本の原子力行政の失敗を知ってか知らずか、完全リスクゼロが存在するものだという仮定のもとに告発をしている。実際、現在の科学的常識から言えば、完全なるリスクゼロなどは存在しないことが明らかだ。ここが今ひとつ同調できないところだ。

B君:さらに言えば、リスクゼロを標榜しながら自分で商品を売り始めると、これは、その商品のリスクがゼロであることを保証することになりますね。これは自己矛盾なのでは。うわさでは有機無農薬野菜の直販を推奨しているらしいですが、ダイオキシンを含まない野菜など入手不能ですから、自ら推奨している商品が、告発対象の企業の商品と同じレベルということになって、自己矛盾ですよね。

A君:電磁波測定器のような反文明的商品を売ることも妙ですよね。

B君:日本子孫基金は、生協系人脈らしいですが、生協の売っている商品は完全に環境ホルモンなしだという訳ではないですよね。有機無農薬野菜指向の点で、両者は確かに似てますね。

C先生:告発型NGOが商売に繋がると、そこからは堕落だろうな。

B君:生協は我々の共同研究者ですから悪口ではないのですが、昔のような高邁な精神から消費者を教育しようというスタンスが消えかかってますね。ナショナルブランド商品も平気で売っている訳だし。消費者が欲しがると何でも売るというスタンスに近いし。

C先生:そろそろ、今後の環境NGOのあるべき姿の検討をしたい。こんな考え方はどうだろう。
 本来、環境問題とは、人類共通の問題であって、すべての人間の叡知を結集して解決に向かわなければならない。となると、解決を目指す環境NGOが必要だ。全人類共通の問題なのだから、解決型NGOの取るべき態度は、決して反体制的であったり、反科学的であったり、反文明的であってはならない。すなわち、政府、企業などと手を組めるNGOこそ、その存在意義が高い。
 環境問題の解決に完全なものは無い以上、環境を総体として見たときに最適な解を選択するという態度をとるべきである。リスクコミュニケーションが重要だ。ある要素だけを重要視するNGOの存在意義は、告発型に限られる。告発型NGOはその問題の存在を指摘することにだけに留まり、解決に向かう能力を有するものではない。
 要するに、告発型NGOが解決型NGOに向かうには、大きなバリアーを超さなければならない。

B君:ただし、政府御用達環境NGOも迫力が無い。経団連御用達環境NGOはまだ無いみたいだけれど、なんとなく底が割れている。

C先生:やはり、日本はNGOが育ちにくいのかも知れない。