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リサイクル論」の誤謬 09.02.2000






 最近、やはり武田効果とでも言うのだろうか、何回も同じような質問をいただく。
 曰く、ペットボトルの製造には10円以下しか掛からないのに、それを集めて再生ペット樹脂にすると、30円程度も掛かる。すなわち、リサイクル増幅係数が3以上になっていて、リサイクルをすることは、環境負荷の増大になっているに違いない。ペットボトルは一般ゴミと一緒に焼却してしまう方が、結果的に環境負荷が低くなるのではないか。

 これまでも、本HPにおいて、この「反リサイクル論」が間違っていることを、断片的ではあるが、何回も記述してきている。しかし、やはりまとめてその誤謬の理由を示しておくことが必要だと考え、本記事を作成した。
C先生:これほどまでに「武田効果」があるということは、そのような質問をする人も、同様な考えをもっているということなのだろう。今のリサイクルがどこか妙だという考えを持っている人が多いということなのだろう。
 本日の議論の方法だが、現時点のリサイクルがどのように妙かというポイントを指摘して、次に、その意味と「反リサイクル」の意味をもう一度考えて、結論にいくという道筋を取りたい。

A君:今のリサイクルがなんか変だということですが、例えば、この4月から完全実施された容器包装リサイクル法のその他プラの取り扱いで、自治体によっては、マヨネーズのプラチューブも洗って出せというところがあるらしいですね。これは妙だと考えても、当然でしょう。

B君:これは昨年度のことだが、川崎市で市民から回収されたペットボトルが事業者側に引き取られないで、山積みにされた。折角集めたものが、なんで有効活用されないのだ、とやはり何か妙だということになる。

A君:だから、ペットボトルは別途収集することなどしないで、一般可燃ゴミとして集めて一緒に燃やしてしまおう、という考え方になる。容器包装リサイクル法の枠組みに乗せてしまうと、焼却という選択肢が無くなるが、それが不合理である、規制緩和が必要であるという考え方になる。

C先生:技術的な観点からみても、容器包装リサイクル法において、その他プラスチックの処理法として、油化などが上げられているが、もともと、様々なプラスチックが混合した状態のものを集めたところで、油化などはできない。まあガス化ならできるが。なんといっても、95年に基本的な枠組みができた法律だからね。妙なところも多い。

A君:容器包装リサイクル法ということだと、コスト負担の原則がおかしいですよね。

C先生:それはそうだ。あまり良くは分からないのだが、現状だと、回収費用の20%ぐらいを事業者が、80%位を自治体が負担しているようだ。どのような場合に税金という公的資金で面倒を見るのか、どういう場合には見ないのか、という議論が必要になる。最終的には、どのような方法でやったとしても、消費者・市民が負担するのだが、間接的な税金という枠組みが良いのか、そうではなくて、商品価格に含まれた金で回収・処理費用を直接的に負担すべきなのか、という議論なんだ。

B君:それは、この容器包装リサイクル法が画期的だったという評価をしている通産省あたりに言わせれば、「法律成立時に自らのテリトリーが侵されると考えた自治体関係者が悪い。あのときに、自治体が容器包装から自分達は手を引くを言わなかったのに、いまさらコスト負担が大きいからなんとかしてくれ、と泣きついても駄目だ。この容器包装リサイクル法が成立するまでは、すべての一般廃棄物の処理コストは税金という枠組み内で処理されていたではないか。自治体のやり方=回収法が悪いだけなのだ。20%程度にすぎないとはいっても、事業者が処理コストを負担すること自体、画期的なことなのだ」、となる。

C先生:容器包装関係以外のリサイクルではどうだ。

A君:家電リサイクル法は、まだ実施されていないので、どうなるやら分からないのですが、この法律関係で問題なのは、プラスチックの外装材をどうするか。特に、テレビなどの外装材には、難燃剤を含むスチレン樹脂が使われていますが、これをどのように処理するか、でしょうか。恐らく、排ガス処理装置がしっかりしている焼却炉に入れるのが現実的。しかし、そもそも家電リサイクル法の枠組みでは、熱回収は再商品化率に算入しないので、本当のところはどうするのでしょうか。

B君:自動車の場合、通常のリサイクル率は75%程度。これを徹底的に手分解プロセスを導入ことによって、90%以上に上げている企業がある。その場合、果たしてコスト的には見合っているのだろうか。

C先生:再生紙だが、これも初期段階では、こんなにもコストが高くなるのなら、再生などをしない方が環境負荷が低いのではないかという話が随分あった。最近は、再生紙の価格も、まずまずというレベルになってきたが。
 さて、こんなところで事例は良いか。それでは、これらの例について、その意味するところを検討しよう。

A君:その妙という意味ですね。まず、容器包装リサイクル法関係ですが、マヨネーズのプラチューブを洗うのは大変だという点。これは、確かにそうでしょう。洗うよりは、焼却処理が合理的でしょう。

B君:確かにそうなんだ。マヨネーズの容器などを洗ったところで、実はそれがリサイクルされる可能性はほとんど無い。なぜならば、あのような単純な容器に見えても、実は、ガスバリア性を高めるために、すなわち、酸素が中に入らないように、相当複雑な多層構造になっているものと思う。だから、そもそもリサイクルなどができない材料だと見るのが妥当。

C先生:結論的には、マヨネーズのチューブは焼却が妥当。ただ、この言い方をすると、結果的に反リサイクル論と同じになる。我々の議論はさて、どこが違うかだ。

A君:それは、境界条件の設定が違う、ということですよね。マヨネーズのチューブがゴミになった。これを前提としてそれから先の処理を考えれば、当然焼却が良い。だから、マヨネーズのチューブは焼却処理が合理的。これが反リサイクル派の主張です。しかし、我々は違う。考えてみれば、マヨネーズという製品は、チューブ入りだけとは限らない。ガラス容器だって良い訳で、チューブ入りの製品ばかりが本当に必要なのか、これを市民に考えて貰いたい。何が必要なのかをしっかり考えて貰いたい、そのために、チューブを洗えという自治体が存在しているとも言える。すなわち、社会の仕組み全体を境界条件として、善し悪しを議論しようというのが我々の考え方。

B君:昔は、確かにガラス瓶に入っていたな。あれなら、洗うのも簡単。リサイクルするかどうか、ではなくて、その製品を作るべきかどうか、この議論に移って欲しい。

C先生:2000年は、日本全体として循環型社会へ入った年なのだ。だから、すべての製品類は循環型に適したものにして、社会全体として環境負荷を下げる、という方向に変化させていく、ということが決まった訳だ。残念ながら、容器包装リサイクル法は、ペットボトルを見ても分かるように、かえって循環型社会の実現を遅らせる方向に作用しているように思えるが。

A君:まず、容器としてどのようなものが環境負荷が低いかを考慮し、環境負荷の低い容器へ社会全体として変換していく。そのような枠組みで考えて、マヨネーズの容器として、プラスチックのチューブが良いのか。こんな風に見なければならない、ということですよね。要するに、反リサイクル派は、マヨネーズの容器はプラスチックチューブである、という前提でものを考えている。そして、それがゴミになったら焼却が良い、と主張する。要するに、境界条件の点で間違っている。

C先生:そういうこと。恐らく今後は、ガラス瓶のマヨネーズを復活させることになるだろう。

B君:ペットボトルのリサイクルについては、費用負担原則が間違っているというのが我々の主張だが、反リサイクル派は、その費用負担の点を別の角度から突っつく。回収費用などが非常に高い。だから環境負荷も高い。これがリサイクル拡大係数の主張だ。
 この考え方には、2つの大きな過ちがある。一つは、コストと環境負荷が比例しているという誤謬。ニつ目に、輸送による環境負荷が非常に大きいという誤謬。

A君:コストといっても様々。現在のペットボトルの回収は、自治体が自治体流でやっているためにコストが高いという現実もある。すなわち、人件費がふんだんに掛かっているということなんですが。

B君:人件費に関してだが、我々も、LCAでものを考えるときに議論をやるが、組立作業用の製造装置を機械化すると、やれエネルギー消費だ、それ二酸化炭素排出だといった環境負荷を勘定しなければならないが、もしも、すべてを人海戦術で製造すると、環境負荷がゼロという計算でよいことになる。これはおかしいのではないか、という議論だ。

C先生:まあ結論としては、LCAとはそんなものなんだ、で良いだろう。しかし、人力という環境負荷項目を設けておけば、状況を判断する材料にはなるだろう。こんなところだ。
 人間の生存が環境負荷を掛けていること、これはすべての人の共通的理解である。食糧は食べるし、排泄はするし、エネルギーは使うし、ということだからね。でも、それでは、環境負荷を減らすために、人を殺すことはできるのか。そんなことはできない。となれば、生存を保障するために雇用機会を与えることは必須だ。となれば、人力を使った製造なり処理なりを行うことは、意味がある。自動化は、人件費が高くなった先進国において、製造コストを削減するために採用される方法で、それに伴って様々な要素が環境負荷に算入されることは、まあ先進国のハンディキャップであって、ある種の公平性を確保しているとも言える。

A君:人件費によるコストの上昇がペットボトルの回収・リサイクル費用の高さの原因ですから、反リサイクル派が、これを環境負荷が高いと言うのは暴論ですよね。

B君:というと、「人を使えば作業着が必要だし、輸送すれば、タイヤも減るから、人件費の増大に見合った環境負荷が増えていると考えられるのです」、というデタラメな反論が来るのだ。

C先生:人件費がそのままイコール環境負荷ならば、こんなのはどうだ。例えば中央高速を使って調布から甲府を往復するのに、タクシーで行った場合と、自分の車で行った場合を比較して、タクシーだと、まあいくらだろう。6万円ぐらいかな。自分の車で行けば、ガソリン代+高速代で8000円ぐらいか。だからタクシーで行く方が環境負荷が8倍だ、と言う議論をすれば、誰が聞いても、「それはおかしい、間違っている」、ということになると思うが、ペットの回収費用になると、実はあまり違わない議論をしているのに、そのおかしさが見えないのはなぜだろうね。

B君:やはり、それは、自分から遠いところで行われている行為だからだ。自分の懐に直接影響が無いことなんだろう。

A君:そのタクシーと自分の車の比較ですが、同じ車種だとすれば、恐らく、自分の車で行く方が環境負荷は高いでしょうね。なぜならば、車のライフサイクルを考えると、車の製造にかかわる環境負荷は、タクシーなら数10万キロを走るから1kmあたりにすると低い。一方、自家用だと、まあ6万キロぐらいだから、走行1kmあたりの車製造の環境負荷が大きい。それに、大体からして、自家用だと余分な贅沢品アクセサリーが付いているでしょうから、同一車種とはいっても製造にかかわる環境負荷は高いでしょうし。

B君:そんな独り言みたいなことを言ってもあまり意味はないな。そもそも人件費に限らず、コストというものが、環境負荷を十分に反映しているものならば、この世の中のシステムはもっと環境負荷を低減する方向に回るはずなのだ。

C先生:そうとも言える。またまた原油価格が高騰しているようだが、原油1バーレルが33ドルだということは、何を意味するのか。1バーレル15ドルのときの原油よりも、今の原油は環境負荷が大きいのか。こんな妙な議論になる。価格というものは、多くの場合、市場メカニズムで決まる。すなわち、需要と供給のバランスが価格を決めるのだ。それに手間賃を足したものが、製品の価格だと考えても、間違いとは言えない。

A君:もう一つの輸送の環境負荷が実はそれほど大きくないという議論ですが、ガラスのリターナブルビンなどを考えても、たとえ回収距離が1000kmになったとしても、十分なビン回収量が確保できれば、こんな長距離の輸送を伴ったとしても総合的環境負荷は低いという結論になる。

B君:フルに積載することができれば、輸送の環境負荷は、それほど大きいとは言えない。むしろ問題は、フルに積載できないこと。ペットボトルの場合もそうだし、発泡スチロールの場合もそうだが、まず、2トン車程度で回収をまず行うのが普通だが、積載限界の1/10も積めれば良い方で、下手をすると、1/20程度しか積めないようだ。要するにかさばるのだ。空気を運んでいるの同じことになる。

C先生:それも事実だが、必ず正の方向の輸送はある。すなわち、製品を小売店に輸送せざるを得ないのだ。回収も、この帰り=逆方向を利用すれば、合理的。小売店に中身が入った飲料を輸送して、帰りには、空き容器をもって帰る。これができれば、トータルの輸送にかかわるコストも、環境負荷も大幅に減らすことができる。だから、リターナブルの問題点は、輸送の環境負荷というよりは、むしろ小売段階でビンを取り扱うのが面倒だということに尽きる。

B君:そして、ペットボトルのリサイクルに戻れば、やはりリサイクルすべきであると考える。現在のような容器包装リサイクル法に守られて、20%という低いリサイクル率を達成しているだけでは不十分である。むしろ、50%といったリサイクル率を課し、この実現を事業者に強制することが必要。他の素材、アルミにしてもスチールにしても、ガラスにしても、65%以上のリサイクル率が確保されているのだから。そして、もしも実現できなかったら、課徴金を取る。となれば、事業者としては、リサイクルをできるだけ安定に行うために、水平リサイクルを指向するだろう。すなわち、リターナブルのペットボトルの実現と、ペットボトルtoペットボトルのリサイクルの実現だ。そして、どうやっても、それが経済的に合わなければ、他の素材に変化していくだろう。すなわち、リサイクルが目的のリサイクルともちょっと違う意味だ。リサイクルを強制することによって、容器の材質転換を狙う。

A君:現状のペットのリサイクルの一部は、ポリエステル繊維へのリサイクルですが、これは、細いノズルを通して繊維化するために、どうしても再生品には混じる泥などによって、困った事態が起きやすい。すなわち、このリサイクルは、より安価なものをより高価なものへとリサイクルするアップワードリサイクルなので、まあ無理があるということですね。

C先生:ペットボトルのリターナブル化は、すでにヨーロッパ諸国では実現している。可能なのだ。社会全体として循環型に変換できるかどうかの良い試金石だと思う。その前段階として、ペットボトルtoペットボトルがあり得る。内側には、バージンのペット樹脂を使うべしといった議論になるかもしれないが、まあ、そうしなくても、そんなに健康リスクが増大するとも思えない。

A君:ペットの場合、燃料としてエネルギー回収というシナリオがありますが、実は、余り効率的とは言えないことも、もう一度主張したいですね。なぜならば、作るのにエネルギーが相当必要だし、またペットは部分的に酸化したような状態だから発熱量が低い。ポリエチ、ポリプロなら、熱回収を行って、まあ、燃料にしても石油を直接燃やした場合に比べて、50〜60%程度の効率は確保できる。しかし、ペットを燃やした場合には、石油を直接燃やした場合の20%程度の熱回収にとどまるのではないでしょうか。すなわち、ほとんど熱回収しても意味が無い。

C先生:その件、LCAデータが各種あって、実際のところよく分からない。ヨーロッパのデータと日本のデータの違いが大きいのだ。まあ、いずれにしても、リサイクルが当面の解決法の一部であることに変わりはない。

B君:最終的には、容器を含めてすべての商品が、その総合的な環境負荷に応じて課徴金を払う時代になるだろう。地球の限界ということを考えれば当然だから。そうなれば、リサイクルなども含めて、環境負荷を総合的に低減するような方法論が自然に採用されるだろう。そのような時代は、一気に来るとは思えないので、循環型といった中間目標が設定されるのだ。

C先生:まあ確実なことは、原理・原則が変りつつあるということだろう。コストミニマムが20世紀における商品開発などの目的関数であったとすれば、21世紀はそうでは無いこと。コストミニマムだけでは、21世紀には、勝負をさせてもらえない時代になるということだろうな。このあたりの社会の変革に反対しよう、という意図で反リサイクル論は展開されている。なぜならば、素材産業にとって、循環型社会は生存の危機だから、なるべくその到来を遅くすることが重要な戦略なのだろう。

A君:コストミニマムが時代遅れという点なんですが、米国が現在バブル経済真っ直中であることもあって、まだコストミニマム=自由競争による富の追求こそが、米国流の経済発展の理想形だということになって、世界中がグローバルスタンダードという名の米国製コストミニマム標準を押しつけられている状態ですね。

B君:ヨーロッパは、多少違った価値観を確立しようとしている。「コストミニマムを実現して量で勝負」、という米国流よりは、「付加価値を高めて少量で勝負」、という方向のようだ。日本はどちらを向くのだろうか。日本が製造業でしか生きられない国だというのは、向こう20年間は避けられない現実だろうから、できるならヨーロッパ的な価値観をもった製造業群を作るべきだと思う。韓国は、どうも米国流で突っ走ることを決めたようだし、台湾もそうかもしれないが。

C先生:まだ議論することが残っているようだが、長くなりすぎた。あと少しで止めよう。容器以外のリサイクルで何か。

A君:自動車などのリサイクルは、容器とは違って、自動車という商品を他のものに置き換えるという観点は無いですよね。ですから、自動車が最終的に廃棄されることを前提とした境界条件の中で最適解を求めるしか無いですね。

B君:費用負担をどのように制度化するかが重要だ、ということに尽きる。

C先生:紙も、再生資源がきちんと確保されていること、これが条件。最近ヨーロッパの林業は、認証を取ることが普通になった。要するに、持続性が高いやり方で林業を営んでいるという証明を取るのだ。世界的に林業がこのようになれば、再生資源を有効活用する方向が無条件に正しいことになるだろう。生産量を越えた資源の採取が行われないのだから。再生紙を作る場合にも、一部の低質な再生紙を燃料にする方法。すなわち、再生紙だけから再生紙が作られるといった考え方に転換すべきかもしれない。もっとも、再生紙がエネルギー源として別の場所で使用されていれば、その分を考慮するというやり方でもあまり変わらないのかもしれないが。いずれにしても、紙の繊維には寿命があるから、無理無理リサイクルすると、化石燃料の無駄になる。紙は再生可能資源であることを充分考慮して、適当なところで止める必要がある。
 さて結論。容器包装材料については、それがゴミになったところから考えるのではなく、社会全体の環境負荷低減を狙って、どの容器を選択するのか、そして、どのように最適化するのか、こんな境界条件でものごとを考えなければ、正解に到達することはできない。もしこの結論に追加する部分があるとすれば、「コストミニマムは、すでに過去の目的関数だ」、ということだろう。