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  加藤尚武先生の講演 08.11.2002





 8月6日、「校生フォーラムin倉吉」の開会行事において行われた鳥取環境大学学長 加藤尚武先生の講演を勝手にメモをして、加藤先生の目を通すことなく、ここに公開します。公開の許可だけはいただきました。内容については、私も加藤先生も責任は持ちませんので念のため。


「21世紀の生き方」  加藤尚武

 自分は、今後27年間ぐらい生き、92歳で死亡する予定。現在65歳。お葬式を出すときに葬儀場への自動車はガソリンで走ると思っている。皆さんの葬式のときには、自動車は何で走るのだろうか。

 20世紀までは、あらゆるものが高まったり、増えたり、強まったりしてきた。しかし、21世紀は、どこかで峠がでてきて、あるものは減る。上昇から下降への転換が起きる世紀である。

 人口の話をしよう。21世紀の人口予測は2050年に93億人。インターネットのWorld Population Clockで調べれば、今日の人口がでている。93億人になると、地球の上の半分は、アジア人とアフリカ人である。それが良い時代になるかどうか、それは努力次第だが、アジアというものの重みが増えることは事実。

2050年をピークにして、それからは人口が減るのではないか。1970年に2%という増加率が最大値になって、現在の増加率は、1.3%である。このような推論から2050年からは人口の絶対数も減るだろうと言われている。21世紀、人類の歴史上、人口が初めて減る経験をする。

国連の93億人の数値予測が出た翌日、食糧の話をした。食糧関係の役人は、食糧不足の半分は、技術開発で解決できる。例えば、遺伝子技術。残り半分は聞けなかった。世界人口の最大ピークを何名と予測しているのか、その人は80億人と予測していた。この数字のずれは心配になる。

レスターブラウンの話。段々と悲観的な顔になっている。1984年が一人当たりの穀物の生産のピークである、というテーゼが彼の最大の貢献である。そうなれば、穀物を増産すればお金が儲かるはず。穀物の短期的な変動を見て、早とちりだという批判が出たが、実際のところ、ジグザグをならすと、1984年以降、1人当りの穀物生産高は減り続けている。米国には、農場を作った。地下水を使うという農業も無限にはいかない。昔は散水機で撒いていたが、今は、根の部分だけに給水する方法

水不足は深刻な理由は、人口に比例して水が増えないからだ。穀物は水食い虫。穀物1トンの生産に水は1000トン必要だから、水を汚染することは人類生存にとって危険なことだ。水が穀物の量を決める。

2050年で食糧需要も最大のピークを迎える。1984年にすでに、1人当りの穀物の生産高はピークを迎えた。このような厳しい時代に21世紀は生きなければならない。2050年にピークを迎えるとしたら、様々な困難を引き受けよう、という考え方にならないと、悲惨になる。

地球の意味が大分変わってきた。京都議定書というものがある。温暖化原因ガスの排出実績に対して、その目標を達成しよう。日本でもその約束に加盟した。川口外務大臣は、多くの国に参加を呼びかけている。京都議定書は、地球の歴史から見ると、なかなか面白い。

ツバルという国では、すでに水浸しになっている。標高3m。1万2000人の人口。ツバルの人にしてみれば、なんでそんなことに目に会わなければならないのか。

京都議定書は、様々な国がそうなる前に、未然に世界の国々が集まって、それを防止するために合意をしようとした。

同様の取り決めもあるにはある。ダムダム弾、毒ガス、生物兵器は使わないように決めたが、原爆とか機関銃とははそうならなかった。

保険金を考える。火災保険と消防の話。保険金を払っている家だけを消すわけではない。これを非排除性と呼ぶ。映画館は非排除性はない。行きたい人だけ行けばよいからである。伝染病の予防の場合には、非排除性で無ければ困る。予防医学は何でも対応することが必要だから。

地球全体で、温暖化をやめさせようという仕組みを作る場合にも、非排除性という特性を持っている。これまでの国際条約は、入りたくない人は、入らないでよい。しかし、取り決めの恩恵からは除外される。入った人は恩恵に浴する。こんな排除的な特質が成立していた。

しかし、温暖化対策では、アメリカを排除するわけには行かない。国際条約が非排除性という特性をもった最初の例であると思う。これに、加入しないということは許容されない。これにただ乗りをした国に対して、どのような対応をとるべきか、これは問題である。

地球規模での非排除性が成立するという特性が成立する。そのために新しいことを考えておかなければならない。

21世紀は、貧富の差を拡大するような時代だろう。韓国と日本なら余り違わないが、アフリカでは悲惨なことが起きている。携帯電話の中にビスマスが使われている。ビスマス入りの半田である。ビスマスの世界的な提供の何%は、コンゴの非正規軍から提供されている。この軍隊はビスマスを製造している。非正規軍の兵隊は、子供にわざと残酷なことをして軍隊を維持している。このような人権を無視したことがコンゴでやれているということは、21世紀の貧富の差が、ますますこのような事例を増やしてしまいそうであることを示唆している。

93億人になると、世界中で12億人が1日で1ドル以下で生活をすることになるだろう。現在でも、8億人がそんなものだ。最貧の生活。1日100円で生きるのは大変だ。鳥取環境大学の学生は、100円で種を買ってそれを播いて食べるという答えがでたが、それは現実には難しい。

世界は、貧困問題を解決するような方向には向かっていない。21世紀の皆さんの時代には、どうなっているだろうか。貧しい国から、日本とか韓国とかいった国に移った方が良いと思うのでは無いだろうか。別の世界のできごとだと思っていることが、アジアの中で貧困問題が起きることになるだろう。

世界的にみると、大きなギャップの時代だと思われる。このような21世紀にどのようなことが必要なのか。我々のこれまでの常識的義務であった、約束を守る義務、ウソを付かない義務などがあるが、20世紀の終わりごろから、予見の義務というものが義務のひとつになりつつある。京極純一氏の文章に出てきている。

アメリカでHIVがはやり始めたときに、日本はHIVを国内に入れないといった。しかし、血液製剤で入ってしまった。2名の人が裁判に掛けられた。大学の先生は無罪、もう一人の役人は有罪になった。年寄りを無罪にしたな、といったら、加藤先生はそんなひどいことを言う。裁判官はそんな人ではない。

そこで、学者には学問的な判断について、間違いを犯す権利がある。しかし、行政官は間違いを犯す権利がない。だから判断が分かれたと表現し直した。

しかし、今後、新しい危険に出会う機会があると思う。動物の臓器を人間に移植するときの危険性について検討する、文部科学省の委員会にでていた。生物学的な安全性の基準を作ることの中身ではなくて、このような基準を作ることそのものについての意見を求められた。遺伝子操作とかの専門家が安全性についての基準を決めた。どういうことが心配になったか、と言えば、豚の心臓をヒトに移植すると、それまでは安全だったウィルスがヒトに入ると、遺伝子を変えないでも危険なものになりうるし、環境が変わるとその影響によって突然変異を起こす可能性がある。こんなことはHIVという病気が発生したとき、ミドリサルからヒトにウィルスが起こしたことかもしれない。

普通の意味での安全策を考えた。無菌状態で帝王切開をして取り出し、完全に無菌状態で使う。しかし、これでも危ない。あらゆる経過について、記録を保存する。そのような治療を受けた人は、全部を記録をすることが安全策である。

BSEが最近日本では問題になった。これが人間に感染しているのかどうか、日本ではまだ良く分からない。感染の可能性は否定できないということから、牛を焼却処分することになった。石川県でクローン牛を作った。遺伝的にすぐれた牛をクローン技術で作った。加藤先生食べますか、と聞かれて、イエスと返事をした。遺伝的に同じなので、全く安全なのではないか、と判断した。

3頭の牛が怪しいということになったので、多くの牛が焼却された。病原体というものがあるという対処をした。パスツールとコッホが大体同じころに同じことを言ったのだが、1892年頃、病気の原因が病原体だということを掴んでから、たったの100年しか経っていない。パスカルの言葉で有名な言葉、「人間はか弱い葦」である、と言った。その前に、「宇宙の中の一滴のガスでも人間を殺すことができる」、と述べていた。伝染病は大気の中に発生するガスだから、気圧を測定することによって予見することができる、という考え方があったのだ。気体の法則のパスカルと病原体のパスカルはここで繋がる。

19世紀の末になって、やっと病原体という概念になった。ウィルスもその後に発見された。菌は加熱することによって殺菌できるということを確立した。クロイツフェルトヤコブ病の原因は、普通のタンパク質である。加熱しても死なないプリオンである。光学異性体が他のプリオンを光学異性体にする。20世紀になって、新しい病原体を掴んだ。

今後、どうなるか、予見ができないから記録をするしか方法がない。

異種移植の場合、生きた細胞を移植する場合、殺菌滅菌という方法論をとることができない。それに変わる安全の基本的コンセプトを作る必要がある。ここで考えたことは、情報を管理し保管することであった。

しかし、生命工学以外でも、情報を管理しないと危ないという考え方が上がってきた。廃棄物がその一つである。ある会社が、ドラム缶の5〜6本廃棄物がある。一本5万円掛かるが。「わが社はすでに倒産しているなあ」といって、穴を掘って埋めた。ところが、これが地下水を汚染して、その処理に220億円かかった。廃棄物業には、一次業者は、、、、、六次業者があるが、六次業者になると、船に積んでどこかにドラム缶を捨ててくる。実際に走っていた。これを止めされるのに、夜中に東京湾で見張るのも答えの一つ。マニュフェストというものを作った。

生きた細胞の場合。血液製剤について、血液の経過を管理しておけば、HIVが発生することはなかった。脳の硬膜を見たことがある。さわろうとしたら手で触ってはいけませんと言われた。この硬膜にはチェコと東ドイツの境界あたりの名前が付いていた。脳の硬膜は経過保存的なことに対して、ある会社はその記述にウソを付いた。そのために、CJDが出た。

食肉についても同様に経過保存的な記録が必要のようだ。

経過消滅的な電子マネーを作ることができた、「よかったよかった」、という人がいた。お金は、経過消滅的でなければならないからだ。電子帳簿に載っていたお金を、人に移す。経過消滅的なお金を作ることが重要。自分は、止めてくださいと言った。所得には正しい所得と正しくない所得がある。正しい所得は経過が正しければ正しい所得である。正しくない所得とは、経過が正しくなえれば正しくない。これを経過主義と呼ぶ。

お金は経過消滅的故に、不正な所得ができる。経過保存的なお金にすれば、どこかの誰かが、二階に金塊を持っていたとか、ピーナッツが赤坂の坂を上り下りしたとか、こんな話が無くなる。

我々の社会は、見方を変えると、そんなことはできないと思っていたことが、できるということがあった。お金を経過保存型にするのは、できないと思われてきたが、今ならできる。

お金は、本来、ものの変わりをするものなのに、保存しておいても価値が減らない。これはおかしい。価格低減型貨幣をケインズは発明をした。地域通貨を考えている人もいるし、価値低減型の貨幣を考えている人もいる。

21世紀は人口最大ピークを迎えて、21世紀の真ん中は、食糧不足を解決する必要がある。解決する手段として新しいお金を、という案を出した。

環境については、有利なお金を出すという仕組みを考えている人もいる。

大変難しい問題が人類に降りかかってくるが、人類は解決のできないようなのっぴきならないような状態にある訳ではない。

解決法には技術的手段、例えば、収穫量が多い作物、グリーンレボリューションのようなものを含む。これが通常もっとも重要な問題解決法である。科学技術による解決である。社会科学的な技術もある。これも技術とする。

ある経済学者の話、「加藤先生の著書「環境倫理学」で気に入らないことが一つだけある。それは、倫理という言葉が使われているからである」。経済学者の考え方は、自分が欲しいものを買うという自由市場主義を正しいと思っている。

合意形成が旨くいかなければ、どんな技術も旨くいかないのだ。クローン人間を作るかどうか、科学技術庁がアンケート調査をやりたいといってきた。個人的にはアンケート調査だけをやる社会科学者としては失格だと思っている。

アンケート方式を考えて欲しい。自然科学的な間違った答えをした人を除外してほしい、といったが、これは採用されなかった。

例えば、原子力発電を続行するかどうか、というアンケート。インターネットによる投票によって、直接民主主義で行うことも不可能ではない。炭素税を課してよいのか、これも同様である。

すばらしい高度な合意形成の方法論と組み合わせて、質の良い合意形成をする能力と技術的な開発をする能力を有する大人になって欲しい。