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  「環境と健康」第2巻 11.02.2002




第1巻がさほど売れなかったのに、なぜか、「環境と健康」第2巻を執筆中である。そのため、HPのアップデートが遅れている。やはり、本を書くのは結構大変なのだ。

いくら、HPに元となる原稿があるからといって、ほとんど書き直している。それは、分量の問題。HPの分量は自由だが、本となると、そうとも行かないのだ。多くの場合には、半分程度に縮めて全面的な書き直しになる。

その一部をご紹介して、今週のHPは誤魔化しモードとさせていただく。


地球と生命のすべて 環境問題とは何か

C先生 環境問題とは何か。これを考えることが、実は環境問題を理解する根本的な行為で、これをやらないで議論をはじめると、すれ違いが起きる。

A君 自分の健康だけを守りたい、という意識から始まって、最終的には、地球という惑星の上での何か価値のある存在をすべて守りたいといったところまで、まさに保護すべきだと考える対象は広いですね。

B君 環境科学を学問とすることを考えてみても、なかなか難しい。例えば、力学という学問は、ニュートンが運動方程式という形で整理をしてくれたから、その方程式に基礎を置く学問を力学と定義すれば大体いける。電磁気学にしてもマックスウェルの方程式だ。しかし、環境科学は、一体何を基礎に置いたら良いのだ。

C先生 現時点で、日本の大学には、非常に多くの「環境xx学部」、「環境△△学科」、「環境○○研究科」が出来ているが、そもそも環境科学とは何かという議論が行われて、その結果そのような組織が出来たとは思えない。

B君 まあ、他人の大学の悪口になりそうで言いたくはないが、教養課程を整理する必要があって、また、「環境」というキーワードを使うと、学生が集まるという経営上の視点もあって、多数の「環境」関連組織が大学にできてしまった。これが実態。

A君 民間企業だと、社内事情だけで組織変更をすると、碌なことは無いのですが。同様のことが起きたということでしょうか。

C先生 大分前になるが、環境科学特別研究なる研究チームが科学研究費で活動をしていた。そのときの枠組みが、日本の環境研究の枠組みを決めたといっても良いと思うが、(1)生態系、(2)人体影響、(3)改善技術、(4)社会システム、(5)計測技術、といった区分になっていて、(1)が理学部、農学部、(2)医学部、理学部、(3)工学部、(4)法学部、経済学部、文学部、教育学部、(5)工学部、理学部から、多数の先生方が参加されていた。

A君 環境科学のすべてを語ろうとしたら、理学博士、農学博士、医学博士、工学博士、経済学博士、法学博士、文学博士、教育学博士、といった博士号を一通り取るようなものですね。

B君 だから、細かいところまでの議論を一人の人間がカバーするのは不可能だということになる。

C先生 しかし、環境研究をリードする人間は、やはり、ぼんやりとでも良いから、全貌を把握する必要がある。その方法が何かを表現することは、ある意味で簡単で、「地球と人間」のすべてを一通り知ればよい。(1)地球46億年の歴史と、その中での生命・人間の歴史。これが基本になる。(2)人間なる生命がどのようにして生きているかといったメカニズム、特に、環境に対応する機能として、免疫システムや食料とは何かといったこと。(3)人間の生存を支えている食糧を地球上で生産するということの意味と限界。(4)エネルギーと物質をどのように地球から採取して人が使っているか。その意味と限界。(5)社会システムとは何か。そして、地球を考慮したシステムとは何か。 以上5項目。ここまで考察を進めることができれば、それで大体のところはカバーできたと思える。

B君 ここまでだと抜けているのが、環境改善技術。これは完全に抜けている。しかし、現在の日本の状況を考えれば、プロに任せておくことで良さそう。ただし、エネルギー・資源多消費型は駄目といった原則論は必要。

A君 これからの環境論は、ライフスタイルをどのように変えることができるか、ということに多くのことが依存しますから、商品知識や消費者心理といったものが重要になりますね。

C先生 それはそうなのだが、商品知識などは、常識として理解すればよいこと。また、消費者心理も自らの心理を分析すればよいこと。

A君 環境環境と言うけれど、健康指向が余りに強いから、歪んでしまうという主張を毎度やっている訳ですが、この問題は。

C先生 それは、上の5項目を勉強すると自然に分かることなのだ。「ヒトには寿命がある」ことから考えると、恐らく、次の世代に何かを伝えるために人は生きているのだろう。それをしないと、連続性が無くなるから。そのためには、自らが健康・健全である必要がある。これが本当のところだ。ところが、「自らの健康のために健康でありたい」、といった自己矛盾を含む発想をもったとたんに、極限の健康を追求する無限スパイラルに入ってしまって、今の超健康ブームが生まれた、ということなのだ。

B君 いずれにしても、地球のすべて、人間のすべて、これを知ろうとする意欲、これが今後環境学を専攻しようとする学生諸君には必要だ。

C先生 メディアも、現在の健康ブームがなぜでてきたのか、その理由を哲学的に少々解析して欲しいものだ。


大脳と遺伝子の戦いが環境問題を困難にしている 

C先生 環境問題というものが、地球上における人間社会の持続可能性に関わる問題であると定義すると、何が正しい戦略になるだろうか。

B君 人間生存は、食糧生産というところで大きく生態系に依存しているから、やはり生態系との共生が適切な戦略だということになる。

A君 生物多様性を維持するのはなぜか。この議論は難しいです。生態系との共生を図るだけが目的なら、持続可能性を維持できる最低限の生物多様性を維持すればよいということになります。

B君 それは、生態系を完全に把握すればそうなのだが、必ずしも把握できない現状では、生物多様性を保存できるような生態系を維持する方が、戦略として正しそうだ、ということなのではないか。

C先生 という見方も、余りにも人間中心主義的だとして、生物多様性は、無条件に価値があるとする学派から非難を受けそうな気がする。

B君 持続可能性ということになると、地球の太陽系第三惑星としての能力と人間活動とのバランスで話が決まる。生態系の話は、毎日供給される太陽エネルギーによって支えれらているものだ。もう一つ、過去の太陽エネルギーの蓄積によって、あるいは、地球が誕生したとき以来の蓄積によって存在している「エネルギー資源・地下金属資源」が持続的かどうか、という問題がある。

A君 それは、絶対的に枯渇が運命付けられているものですから、現世代がどのぐらい節約をして、将来世代にどのぐらいの資源を残すかという問題になります。

C先生 20世紀という時代は、実に幸せな時代だった。1990年ごろになって、やっと地球の限界が意識されるようになったが、それまでの90年間は、人の幸せとは何かを追求し、人の欲望を満足させることが経済を発展させる方法だ、という合意で動くことができた。

A君 その代償として、多くの地球レベルでの環境問題が発生してしまったのですが。

B君 21世紀の環境問題の全体を予測すれば、食糧供給問題が最初に起きて、そして、地球温暖化のような地球の処理能力をどのように分配するか、という問題が次ぎに来て、そして、最終的には、どうみても枯渇性資源をどのように分配するのか、という問題に行き着くものと思われる。

C先生 環境限界が先か、それともエネルギー限界が先か。この議論は、かつては地域環境を対象にして行われたものだが、温暖化というものが徐々に分かってくると、まず、地球全体の環境限界が先に来る、ということは確実のように思える。

A君 そこで、どうやって解決するか、という話になるのですが。最大の問題点は、地球レベルの現象と、今後100年以上先に起きる枯渇は、現実のものとして認識しにくいことですね。

B君 人間のもって生まれた能力は、やはり、かなり身近なところからの情報だけを取り入れる能力に過ぎない。眼が届く、というのは、まあ数m。かなり遠いところを見ていても、高々100mまで。

A君 時間軸にしてみても、やはり「一生」が一つの限界で、自分が死んだら、それから先は知らないよ。これが当然ですよね。

C先生 それが、遺伝子が我々に与えた能力の限界である。しかも、「遺伝子はわがままだ」と言われているから、自らの快適さを求めることも遺伝子の中に組み込まれているような気がする。遺伝子というよりも、本能といった方が分かりやすいかもしれないが。

A君 大脳が様々な知識を溜め込んで、それに基づいて「人間とは何か」、「地球とは何か」といった哲学的な考察を行う。すると、やっと自らの生存の意味を見出して、自らの行動にも若干の制限を課すことができるようになる。

C先生 ここで重要なのは、遺伝子のおもむくまま、本能のおもむくまま、といった行動が与えてくれる満足と、大脳によって自らの行動を律するという行為が与えてくれる満足とでは、本当のところは、後者の方が大きいことだ。

B君 自由気ままな生活は、確かに、そのうち飽きる。不自由だが、そこになんらかの使命感を伴えば、喜びを見出すということもありそうに思える。

A君 この思想は、またまた危険思想だと言われそうですね。旧軍国主義的なことと結びつきやすいとして。

C先生 使命感という言葉が悪いのだろう。ある偶像崇拝的なことから生ずる使命感が単に危険なだけで、全人類愛とかいった普通なら恥ずかしくて言えないようなことに対する「密やかな使命感」であれば、問題にならないのだが。

A君 そろそろ結論に行くのが無難なような気がします。

B君 将来世代を思い、地球上の生態系を思う。これは、大脳によってのみ可能な作業である。

A君 「今の自分さえ良ければ」、これが遺伝子の強い命令である。

C先生 大脳と遺伝子との葛藤を意識すること、これが環境問題を考える時の心理的な必要条件だ。

究極の環境問題とは

C先生 究極の環境問題の一つは、すでに指摘した通り、大脳と遺伝子との戦いである。しかし、見方をちょっと変えて、もう一つの究極の環境問題を考えてみよう。ヒントは、東京大気汚染裁判、電磁波による小児性白血病、アレルギーと環境、花粉症、乳児死亡率の減少、などだ。

A君 意地悪だから、ヒントの最後から考えろ、ということみたいですね。

B君 乳児死亡率の減少は、すでに「環境と健康」その1で議論した。ここ100年余りで、1歳未満の乳児の死亡率は、1/50程度に減少した。

A君 色々な見方ができますが、まあ、「死なない時代の環境問題」か、あるいは、同じことなのですが、「自然淘汰を止めた時代の環境問題」か、いずれかでしょう。

B君 それが答えのようだな。かなりセンシティブな問題だと思うが。これを議論しろということなら、仕方が無い。

C先生 環境問題で人が死ぬ。すなわち不公正な経済活動で人が死ぬ。1970年代に起きた公害裁判では、これが主な争点だった。しかし、この時代であっても、極めてマクロに見ると、環境の影響が死亡統計でクリアーに見えるほどのことではなかった。だから重大でなかったのではなくて、だから重大だったのだ。経済活動で人が死ぬことは不公正なことだが、それ以上にある地域の住民だけが死ぬことは不公平なのだ。

A君 環境問題の究極は、やはり不公平にあるということは認識しているつもりですが。

B君 一つ議論のための議論をしてみたいのだが、ダイオキシン問題とは果たして不公平さの問題だったのか。

C先生 良い議論になるかもしれない。これも「環境と健康」その1で取り扱っているが、損失余命というものがあって、「平均的に日本人全体で、どのぐらいの日数の損失があるか」、を示すものだ。ダイオキシンを原因とする発がんで、1.2日の損失余命があると発表されている。これが不公平か。

A君 ダイオキシンの場合ですと、その摂取量の大部分は、食物からのということになります。決して、焼却炉周辺での大気からということではありません。ですから、日本人全体が平均的に摂取していることになります。だから不公平性は極めて少ないですね。

B君 東京湾産の穴子といった高級魚ばかりを食べている人は、恐らくダイオキシン摂取量は多いが。これはダイオキシンの立場での不公平よりも、そんなものを日常的に食べることができるということが不公平かもな。

C先生 穴子は個人的にも好みだ。穴子は東京産に限る、などと言ってみたいものだ。

A君 だから、ダイオキシンという点から言うと、余り不公平性はない。

B君 それも、最近ダイオキシンが問題にされなくなった理由の一つかもしれない。全員が被害者なのだから仕方が無い、ということか。

C先生 それでは、大気汚染の裁判はどうだ。車公害で喘息などの症状がでて、健康被害が甚大だ。東京の地裁の判断では、7000万円以上の支払いを国と東京都に命じた。

A君 その被害者の認定は、道路から50m以内に居住しているということが条件になったのですよね。

B君 原告団の主張は、50m以内といった線での認定ではなくて、23区内などは、面で認定しなければ不十分だということのようだ。

A君 ダイオキシンは、日本全体が面で覆われているようなものですね。

B君 ダイオキシンと排気ガスからのNOx、PMか。大分違うな。

C先生 ダイオキシンに対して、感受性が特別に高いという人の存在は認められていない。発がん物質なら、ほぼすべての人が影響を受けるはずである。ところが、喘息という病気は、アレルギー体質の人が掛かりやすく、心理的な影響も大きな病気だ。

A君 昔のように、5人兄弟といった例が多い場合には、長男と末っ子が喘息になりやすい、というのが常識だったらしい。これは、体質+育て方が喘息に影響しているということのようで。

C先生 親子がどのような関係か、これが喘息に重大な関係があるようだ。

B君 要するに、車公害の裁判の原告は、感受性が高い人であった。最近のように、死なない時代になると、感受性が高い人、低い人、様々な特性をもつようになる。これをどのように考えるか。

A君 それは、社会全体が徐々にバリアフリーに向かっているように、感受性の高い人を考慮に入れて環境問題を考えるようにならざるを得ない。

C先生 その通りだ。究極の環境問題とは、その行き着く先がどこかということだ。遺伝子解析などを行って、また、心理的な特性も解析して、その人にあった環境対策を行う。環境の状況は、ダイオキシンのように、平面的に均一であると見なすことができる例は少ない。送電線からの超低周波電磁界による小児性白血病であれば、やはり数10m以内の問題だろう。このような地域による環境変化と、個人の特性とを十分に考慮した環境問題への対応、これが今後目指すべき究極の方法だろう。

A君 しかし、無限に環境問題があって、無限のコストが掛かりますね。

B君 そこで、やはりリスクベネフィット論のような、ある意味でドライな理解が日本の社会でもできないと駄目だろう。

C先生 それが問題。ある不公平を社会的に補填して、後は個人の努力に任せるといった方向をまず探るべきだろう。