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ドイツと日本のゴミ比較−国民性を変えよう 
   01.12.99
  






 日本の環境対策はまだまだだということで引用されるのがドイツである。NHKクローズアップ現代に取り上げられた。京大植田先生がコメンテータだった。
 ドイツは今や環境ヒステリーのレベル(悪口ではなく)に近い状態にある。環境政策に関して、ドイツはヨーロッパの中でも変わった国だから、日本の状況をドイツと同一にすべきだとは思わないが、少なくとも、あと10歩ぐらいはドイツ寄りに近づく努力をすべきである。それには、何が必要なのか。


C先生:昨日、新しい記事をアップしたばかりだが、たまたま放送があったということで、緊急連続アップだ。A君概要をまとめてくれ。

A君:まず、一人あたりが出すゴミの体積ですが、日本 41.9リットル、ドイツ 11.7リットルと日本は約4倍。そして、ゴミ袋の中身ですが、日本の場合には、容器包装材料が27.6リットルを占め、一方ドイツは2.5リットルが容器包装材料。これを引き算すれば、日本14.3リットル、ドイツ8.2リットルとなって、差は2倍以内に縮まる。
 容器包装材料について、なぜ日本とドイツで差があるかと言えば、ミネラルウォータの空き瓶はデポジット制で、しかも1本40円と高額。ペットボトルもリターナブルボトルで20回は使用される。そして、日本で大量に使用されているスチレントレーは使われていない。とうことで、包装材料に関する考え方が決定的に異なる。テレビ番組でも、買い物から帰ってきて捨てられるのは、肉汁のついた紙などだけ。

C先生:どうしてそんな状態になったのか、その経緯をB君。

B君:1991年に環境省が包装容器廃棄物政令を出して、ゴミの減量化に取り組み始めた。それ以前の状況は、日本の現況と余り違わない。焼却によるダイオキシンの発生や、最終処分地不足の状況も似ていた。当然、この政令を出すことに関して、産業界は当然強く反対したが、地方自治体も、また市民もリサイクルを推進することを望んでいた。日本の現在の市民・自治体の状況は、まだ、そこまで行っていないように思われる。
 その仕組みの基本は、「製造者が廃棄まで責任を持つ」ということ。良く知られているように、容器については、DSDという会社が設立されて、製造業者は缶詰などに緑色のラベルを張る。この丸いラベルが張られている容器は、別途回収。現在は、資源ゴミの回収には黄色いゴミ袋が使われているみたいだ。
 現在、製造企業がゴミ処理費用として3000億円を負担している。とはいっても、当然ながら、最終的には消費者がそれだけ高い金を出して商品を買っていることになる。そして、これがもっとも優れた点だと思うのだが、リサイクルの難しいプラスチック類、比較的易しい紙類に対して、異なった課徴金を課していることだ。プラスチックだと1kgあたり2.95マルク、紙だと同じく0.4マルク。当然のことながら、各企業としては、負担金を減らすためにプラスチックを包装材料に使用することを避ける方向になる。例えば、ある会社の洗濯仕上げ剤のプラスチック容器だが、政令以前には、120gだったものが、現在は21gになっている。そして、回収された容器包装のリサイクル率は80%に達している。

C先生:現在の日本でこれをやろうとすれば、同じように業界は大反対だろうね。ドイツでは、このようなシステムをサポートしているのが市民だ。また、子供の教育も重要な地位を占めている。小学校などでどのゴミをどのように分別して、リサイクルされるかといった実践的な教育がなされている。このような地道な努力による市民側からの後押しを行わないことには、大反対の業界を押し切ることはできない。
 また、当然のことながら、包装材料の量が激減するわけだから、プラスチック、紙、その他の原材料の使用量も激減する。となると、ある種の産業は決定的な打撃を受ける。今の日本のような経済状態だと、時期的に、ドイツ式に転換するのは不可能に近い。経済状態が良いときに一気に転換するのが良いだろう。

A君:番組を見ていて、もっとも感心したのが、清涼飲料水の自動販売機です。自動販売機は冷蔵効率が悪いので、それ自身は感心したものではないのですが、使用したコップをその機械に戻すと機械がそれを自動的に洗浄して再利用できるようになっている。しかし、日本だとなんだか安心して使える状況では無いですね。意識の低い消費者がコップを綺麗に返すだろうか。さらに、自分でカップをもって行けばそれを使用することもできて、その場合には、1割引になる。このように細かくインセンティブが設定されている。

B君:現在雑ゴミとして収集され、焼却あるいは埋め立てされているゴミから生ゴミを集めて、それを発酵させてメタンガスを発生させ、それを燃焼して発電に使用する計画を立てているという徹底ぶりにはさらに感心した。現在の日本だと、良くて発酵熱を利用して水分を乾燥させる程度だと思っているのだが、その1歩先を行っている。まあ、日本でも10年後にはこうならなければならないだろう。

C先生:ドイツの状況は大体分かったが、日本にもご存じのように容器包装リサイクル法というものが有って、すでに平成9年4月から一部容器、具体的にはペットボトルとガラス瓶などに対しては、施行されている。しかし、回収するかしないかは、自治体の判断に任されているが、現在、ペットボトルはスーパーマーケットなどの協力もあってかなり回収が行われるようになっている。ところが、再利用ができないで、精製されたフレークが余っている。この法律が完全実施される平成12年4月には、すべての包装材料について、分別回収されたものについては、再商品化の義務が生ずることになる。
 問題はいくつかある。まず回収するかしないかは、自治体の判断に任されていて、ゴミの処理が日本国内で様々になることだ。ゴミ処理についてもドイツのような学校教育が必要なのだが、川崎市で育った子供が松戸市に引っ越すと、ゴミ処理法が全く違うといった日本の状況では、教育もへったくりもない。それもこれも自治体がゴミ行政の方針を決めることがその根本原因なのだ。

A君:しかし、日本の場合でもこの法律が完全実施されると、プラスチックは300万トン、紙は段ボールを除いても200万トンありますから、この量は、ペットボトルの20万トンに比べてたら全く問題にならないほど大量です。だから、かなり根本的に考え方を変えないと駄目でしょう。

B君:これが前回の記事、ガス化溶融炉の話に繋がる訳ですね。業界や通産省などは、ガス化すれば「野放図に燃やしている訳ではない」という言い訳ができることになると思っているらしいが、結局は燃やすことには差はない。むしろ、プラスチックが完全分別されれば、ガス化などをしないで、固形のまま燃焼してエネルギー回収を目指す方が効率が高い。装置的にもかなり楽になるし、自治体の出費、ひいては社会的コストの低減に繋がるだろう。

C先生:この容器包装リサイクル法は、そもそも欠陥法であるという指摘があって、その原因は、ひとつは、先ほど述べたように自治体主体のゴミ行政の枠に呪縛されていることであり、もうひとつが、やはり業界の反対を押さえ込むだけの市民レベルの盛り上がりが無いために、「経済配慮」というお題目で、業界に遠慮したものになっていることだ。ドイツのDSDやフランスのエコアンバラージュのように、特定事業者に「運搬回収費用を負担させない」ことだ。逆にいえば、回収を義務化させないから、自治体が適当に処理してしまう。自治体のゴミ処理をやらせないことも、ひとつの考え方だと思うが、これまでの歴史を根底から変える必要があって、自治体に相当の抵抗がある。仕事を奪われるという感触なのだろう。環境庁が環境省に昇格しても、とてもできそうもない変更なのだ。

A君:いずれにしても、やはり市民としてのゴミ減量、リサイクル推進といった盛り上がりをもっと強烈にアッピールする必要があるわけですね。

B君:地方自治体のゴミ処理を完全独立採算にすることがまず第一歩では無いだろうか。そうすると、ゴミ有料化に繋がって、市民もゴミを大量に出すことはできなくなる。要するに、「市民が盛り上がるべし」とはいっても、その逆の見返りとして、「経済的負担が増加する」覚悟が必要だ。ただし、住民税はその分返せという声を出すべきだということになるが。

C先生:そろそろ結論に行こう。ドイツの良いところは、政令などをバンバン作って、もしもうまく行かないと、また変えればよいさ、と考えることにあるように思える。日本の場合には、役所は所詮減点主義だから、もしもうまく行かないと担当者の将来が無くなる。欧米は、基本的に加点主義だから、うまく行かなくても、何か新しいことをやれば、改善のきっかけを作ったとして評価される。この減点主義は、悪平等主義と同様、日本国民全体としての国民性で、この考え方が根本的な原因になって、ゴミ行政もなかなか思ったような方向には走らない。
 日本人の国民性もそろそろ根本的に変える必要がある。市民のひとりひとりが、行政とは何をやるべきなのかを考える。そして提案し主張する。これまでの市民運動は、市民側の責任を棚に上げて、行政側を単に批判することで終わっていた。そんな訳で、提案に慣れない市民運動活動家が何か提案を行うと、突然馬脚を現すことも多かった。
 まず、旧来の考え方、すなわち、「お上がもの決めて、下々はそれに従うかそれに反対する」、という江戸時代以来の受け身の考え方をやめて、「自分側で提案をし、それに同調する政治家を選択する」、という考え方に各人が変身できるまで、ゴミ問題の真の解決は無いだろう。