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本年版「環境白書」速報  05.27.2000




なぜか、雑誌「かんきょう」に、今年版の環境白書の感想文を書くことになった。そこで、ついでながら、今年の環境白書の内容について、お知らせしてしまいましょう。


C先生:環境白書は、毎年のことながらなかなかの力作であり、これを読めば、現在の我が国の環境の状況が大体把握できる。今手元にあるのは、まだ、原稿レベルのものなので、本物は変わってしまっている可能性も強いが、本HPをお読みの人に、環境白書の通読をお奨めする意味から、その内容をざっとご紹介してみよう。

A君:まず、今年の環境白書のトーンは、「地球環境問題と2000年の意味」といったことでしょうか。序章が「21世紀の人類社会が直面する地球環境問題」となっていて、地球環境の変貌と将来予測が述べられています。「温暖化」、「森林衰退」、「土壌劣化・乾燥化」、「生物多様性減少」、「水資源」、「エネルギー枯渇」、が具体的に指摘されています。

B君:「地下資源枯渇」の記述は無いのか。

A君:第1節には具体的な指摘な無いです。やはり、地下資源の枯渇は、環境庁というよりは、通産省の仕事ということでしょうか。

C先生:「食糧供給不足」も余り明確には記述されていない。これも環境庁のテリトリの外だからかもね。もちろん、後の方では、少々記述されるのだが。

A君:序章には「環境に優しい文化」とは何かという囲み記事があって、そこでは、次の3点が指摘されています。
(1)「環境の有限性」を認識。持続性、自立性といった環境上の健全性をもって価値評価。
(2)「自然との対話と交流」を大切にすること。
(3)「地球大の共同体意識」に裏打ちされていること。「未来人」の選択の権利も尊重。
特に、この「未来人」の権利も尊重ということになれば、地下資源の節約などは重要な概念だと思いますが。
 ということで、第2節には、地下資源とは限定していないが、総投入物質量といったことがでてきます。これは、恐らく環境研の森口さん達の仕事でしょうが。

B君:ちょっと見せて。うん。やはり、環境の有限性などについても、廃棄物問題に特化して記述をしている感じがあるね。やはり遠慮をしているような感じだ。

A君:そして、「持続的発展に向けた日本の挑戦」という記述があって、そこでは、「最適生産、最適消費、最小廃棄型」へという主張があります。

C先生:その指摘は良いが、この挑戦の基本となる理念ではないかと思われるが、「20世紀の教訓〜新たな世紀の持続的発展に向けた環境メッセージ」の第一番目に、「環境問題(というよりも公害問題)で得られた教訓を共有し、自省とともに受け継ぐ」ということが上げられていて、まあ、環境庁としてのスタンスは、やはり、ここにありという感じが強い。そして、「根元的対策」、「国際協力」、「生物多様性」ときて、その次が「人間の与える負荷」がきて、そして、「最適生産、最適消費、最小廃棄」は第6番目だから、やはり環境庁の本来の仕事は、ここには無いという感じが読みとれてしまうな。

A君:そこから第1章になって、「環境の世紀に向けた世界の潮流と日本の政策展開」となっています。
そして、第1章の記述は省略して飛びますが、第2章が「持続可能な社会の構築に向けた一人一人の取り組み」といった章になっています。個人の役割が記述されているのがなかなか良いと思ったのですが。例えば、「ゴミの排出量を減らそう」とか、「家庭生活の二酸化炭素排出」とか、「グリーン購入をしよう」とか、「エコファンドの話」とか。はたまた、「地域コミュニティー、パーナーシップ」、などなど。

B君:一人一人の取り組みでもっと大切なことは、人間も環境の一部だと認識することではないか。要するに人間と環境の双方向性を認識すること。

A君:現代人の環境観というものは、天然自然の環境を構成しているものはすべてが人類にやさしくて、人工的なモノはすべてが人に有害で環境負荷も大きい、という誤解から成り立っているように見えますよね。これを止めろということですか。

B君:同じようではあるが、ちょっと違う。言いたいことは、人間と環境とは、細菌・毒物などを含めてすべてを共有しているし、もっと共有すべきだということ。最近の、超清潔・超健康指向の話を聞いていると、自分の体には一切細菌などが存在せず、他人の細菌などを一匹でも受け入れたら病気にでもなると思っている。しかし、実際には、環境中の細菌を腸内に大量に生存させることによって、はじめてヒトは健康にいきることができる。環境中に存在する砒素などといった微量な毒物も、実は、ヒトにとっては必須元素であったりする。健康のためと称して、環境とヒトの間に保育器みたいなバリアを張ることの馬鹿馬鹿しさに気が付かない限り、真の意味で人間と環境は共存できない。塩ビNo運動やダイオキシン騒ぎのようなリスクゼロ指向や未然防止思想が、実は持続可能性にとって最大の敵であることを認識することから持続型社会への道は始まる。

C先生:ところが、環境庁の限界は、それがやれないことなんだろうな。今年の環境白書でも「環境政策の進化すべき方向」という項目が第1章第3節にあるが、この第1の指摘が(ア)「予防的措置の必要性」になっているのだ。そこで議論されていることが、実は環境ホルモン。そして、その次に水俣病に関する社会科学的研究会報告書「水俣病の悲劇を繰り返さないために」なる囲み記事がある。環境庁がもっているすべての情報を冷静に分析すれば、一昨年の補正予算で環境ホルモンに大々的に予算を付けたことも、実は、住民に安心を与えるためのサービスであったということは分かっているはず。しかし、そのことは余り公開できないことなのだろう。環境ホルモン問題にあれほどの研究費を投入しても、最終的にある物質、例えば、ビスフェノールAを製造中止にすることにはならないだろう。まずは情報公開程度の義務化程度で終わるだろう。この環境ホルモンの話しは、またやろう。
要するに、これまで、リスクゼロ指向、未然防止指向が、環境庁の最良のツールだったから、これを継続させようということが白書にもまだ明示的に主張されている。

B君:環境問題を解決することは、決して人間の健康リスク低減だけを考えることと同じではない。むしろ、「自分の健康リスク」と「将来世代の生きる権利」とのトレードオフを考えること。

A君:そういえば、読んでいてちょっと妙だなという感触は持ったのですよ。なぜならば、未然防止、予防原則が重要と言いながら、第2章までに何に適用すべきか、現在の日本の環境の現状から見て、この問題には絶対未然防止原則の適用が必須という感じが伝わってこないのですよ。やはり、「未然防止の概念が重要だ」、これは譲れないが、「それを適用しなければならない環境問題は、現在は無い」、と考えている証拠ではないでしょうか。

C先生:恐らくそうだろう。現在、これだけはと言えるような絶対的な環境問題があって、そこに「未然防止原則適用」だ、ということは幸いにして無くなってきている。だから、ますます「抜かない宝刀」としての記述をしておきたい、という気持ちだろう。

B君:やはり公害問題は過去に遡ってその責任を追及するという感じが必要で、土壌汚染の現状回復などについても、また、産業廃棄物に対する排出者責任についても、しかり。だから、環境問題はもはや無いという記述はやってはならないことで、いつでも「抜ける宝刀」を持つことは重要だという判断なのだろう。

A君:だから、なんですかね。でも、第3章が環境汚染の現状にかかわる章で、ここを読んでいないからかもしれませんが、第1章、第2章の主張は、とにかく、地球レベルの環境問題がもっとも重要という感じですね。

C先生:もっと徹底して、「古いタイプの公害型の環境汚染は、われわれ環境庁のすべて任せてください。それで十分市民社会の安全は確保できます。我々にとって、もっと重要な問題は、地球レベルの環境問題の解決を目指すことと、それに係わる個人の生活態度なんです」、ということだけを環境白書が記述するような時期に来ているのかもしれない。

B君:それは無理ではないでしょうかね。なぜならば、今のようなマスコミの情報伝達を容認していたら、どんどん化学物質過敏症の問題が起きますよ。なにせ、人間側が変わっているし、身の回りの虫を敵視するような殺虫剤のテレビ広告を毎日みていると、これで洗脳される人がどんどん増えますから。

A君:一人一人の生活が重要というところに、化学物質との付き合い方をもっと書き、具体的に減らすべき日常的薬品類の商品名が記述されるような文書を環境庁が出すということでしょうか。

C先生:ちょっと無理っぽいな。それこそ、「買ってはいけない:薬品編」が発行されることに期待すべきことではないか。
B君のコメント「人間側が変わっている」ということの追加説明だが、最近の小学生は、ツベルクリン反応が陽転しないようだね。地域によっては、卒業までになんと20%しか陽転しないという話だ。ツベルクリン反応を、免疫システムが上手に形成されたかどうかを示す指標だと考えれば、最近の子供は、免疫システムのバランスが悪い子供ばかりだということになる。ヘルパーT細胞1型と2型のバランスが悪いという意味だが。これがアレルギー症が増加している原因そのもので、もはや何でもアレルゲンになりうるのが現状。この事態を改善することが行われないと、やはり、「環境の人体影響こそが環境問題の主体である」という報道のトーンになってしまいそうだな。

B君:だから、環境とより親しむことによって、環境中の雑菌類を体内にいつでも取りこんで、免疫システムを鍛えないと。環境と人間は一体、これが我が主張だ。

C先生:環境庁も、今年が最後。これまで調整官庁だったから環境のことならば、一応なんでも言えたが、環境省になると、省庁間の壁が厚くかつ高くなることは必須だから、来年以降、自分の分野以外のことで意見を述べる可能性が減ってしまうだろう。もちろん力関係なので、環境省が強力な省庁になれば、話しは別だが。いずれにしても、来年の白書のトーンが、またまた公害時代に逆戻りしないように、今から作戦を練っておくことを環境庁のスタッフに要望したい。