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これから環境学を専攻したい学生諸君 05.28.99






 最近、環境学を専攻したいが、どのように考えたら良いか、あるいは、もともと環境学がやりたくて大学に入ったが、現在自分が研究していることは環境と余り関係なくて、悩んでいる、などの相談が入るようになった。
 これらの訴えは、他大学の学生からのものが多い。これも、インターネット時代ならではだろう。見ず知らずの、しかも他大学の教官に悩みを打ち明けるなどということは、以前なら有り得なかったことだ。やや短めながらも、一応丁重にお返事を差し上げることにしている。
 こんな真剣な訴えがある一方で、今度ゼミにおいて環境題材でディベートをしなければならないから、何かのデータとか「貴公」の見解を教えてくれという身勝手メールも入る。これには、単に「自分で調べろ」と返事を出している。
 今回は、現代学生像を探りながら、環境研究の有り方を議論してみたい。


S様からコメントをいただきました。匿名で掲載いたします。ちなみに、S様は環境関係のお仕事です。



C先生:5月24日の朝日新聞朝刊に、学生の学力低下の記事がでている。確かに、低下したと言われれば、そんな気もする。いろいろと原因はあるだろうと思うが、最大のものはなんと言っても、「受験勉強」を「受験技術」として教える高校や塾が増えたのが原因だろう。技術はもともと合目的な性格だから、目的が異なれば機能しない。すなわち、大学受験技術は、卒業研究などには決して役に立たない。本来の学力向上とは、脳の活動を高めることにより、何にでも適合できる能力を体得すべきものだ。それには、点数を取りたいからといった発想ではなく、好奇心によって自ら行動を起こすことができる人間を養成しなければならないのだろう。

B君:毎日学生を見ていると、中学高校でどんな教育をされてきたのか、大体分かりますね。「この問題はこのように解きます」、というパターン認識型が中心だったのだろう、と感じますね。理科の実験などもだんだんとやらない学校が増えているようですが、これは怪我をすると母親が怖いから。母親と言えば、良い学校に入りなさい、と毎日毎日言い続ける。そして、大学に入ったら、良い会社に入りなさい。こんな母親に育てられると、いつでも母親のために勉強し、母親のために良い成績を取る、といった発想になる。こんな生活を長くやっていると、自分が面白いと思うから勉強をするといった、本来の有り方はどこかに消滅しますよ。当然でしょう。

A君:その発言は問題発言では無いかい。真実を突いているとは思うが。

C先生:最初から相当脱線しているね。本題に戻ろう。さて、最近環境問題をやりたくて、大学に入ったが、大学の研究室を選択するときに、なかなか環境問題をやれるような研究室が無い。どうしたら良いか、という質問が来る。
 これは残念ながら事実。要素は両面あって、学生側の問題と、大学側の問題だ。今の学生は、なぜか、環境問題こそ人類にとって最大の、かつ、最重要な問題だと思っている人がいる。まあ、マスコミの環境危機報道をそのまま受け入れれば、まあそんな結論になっても不思議ではない。そこで、なぜか使命感に溢れていて、我こそは環境問題に貢献ができると思い込む学生がいても当然ということになる。しかし環境問題は、現代日本に生きる人々にとって、本当に、最大の、かつ、最重要な問題なのだろうか。
 
A君:重要だからこそ、このHPも存在しているわけです。

B君:それはどうかな。環境問題が最重要だと言う学生の話を聞いてみると、例えば、人類の未来が環境ホルモン問題で危なくなったとか、ダイオキシンは史上最強最悪の毒物で、こんな悪魔のような毒物ができてしまう現代は、環境面で最悪。精子が減少して出生率が下がり人口も減少してしまう。こんなマスコミ情報をそのまま理解しているようだ。もちろん、環境専門アジテータ(彼らのHPにリンクを張るのもしゃくなので、それを使っている企業系のページにリンクします)がさらにこの傾向を加速している。
 しかし、日本の環境は、客観的な尺度で見れば、1970年代に最悪であって、それ以後、環境は改善されて、大部分の環境汚染は、ダイオキシン汚染ですら当時の半分程度にはなっている。PCB汚染のように1/10以下になっているものもある。NOxのように例外的に余り減らないものもあるが。
 このような良好な環境が30年間以上も継続しているからこそ、日本人の寿命は世界でトップになった。もちろん、医療の進歩も大きい。このところ地球全体の気温が高めに推移しているのも寿命にもプラスに作用している。
 私の理解は、現代の日本には、ゴミ問題を除いたら、深刻な環境問題などは存在しない。一応、ダイオキシン問題も、ゴミ問題の一つで、環境ホルモン問題も、PCB関係などはゴミ問題の一つなのだろうが。
 だから学生が「環境」などの専門を選択して研究したいという希望は、ある意味で現状の誤解からスタートしていると考えられる。

A君:自分の理解は少々違います。これまで、企業は環境問題を単なるコスト側としてしか考えてこなかった。環境対策には金が掛かり、儲けを圧迫する対象に過ぎなかった。しかし、最近、環境問題に対して、もう少々積極的に取り組んで、少なくとも、リサイクル性の高い製品を開発しようといった意図が明確に見えるようになってきました。もちろん、そういった商品を高く売ろうということでもあるのですが。
 このような状況下では、環境を正しく理解することは、企業人にとっても必須になった。その意味で、環境を専門的に取り扱うことによって、現在、どのような環境問題が本当の問題なのかを理解している人は有用だと考えます。

B君:いや、企業内から見ればそんな理解もあるかもしれないが、実際企業活動を外からみていると、規制無しに自主的に環境製品を作ることは、まず考えられない。有ったとしたところで、実は、多少未来を読んだ上で、会計上も有利だといった判断が働いている場合が多い。例えば、某ビール会社のゴミゼロコマーシャルに始まったゴミゼロ化戦争にしたところで、実際には、将来の温暖化ガス規制や、産業廃棄物の処理費の上昇をにらむと、やや先行投資的ではあるが、やろうという判断なのではないか。
 何を言いたいのかといえば、企業内に環境を専門に取り扱う人間は、極少数いれば良い。多人数は必要ない。しかも、他の業務に精通している人が環境を少々かじった状況が理想であって、環境ゴリゴリのプロが役に立つ訳ではない。

C先生:環境を勉強した学生に、現時点で就職先がほとんど無いことはどうも事実のようだね。これは、B君のような理解が正しいのではないだろうか。A君の企業側からの判断は、たしかにそのような動きによる人事異動があることの反映か。だからといって、環境専門家の新規採用が多いということではないだろうよ。
 最近、大学学科再編などによって「環境xxxx学部・学科」といった学部・学科が数多く誕生した。だから環境問題を研究テーマとした学生も、別のセールスポイントを持たないと危険だ。就職先が無いぞ。
 これは考えてみると、妙な問題なのだ。もともと、大学というところの最大の使命は、社会に人材を供給することだ。「教育」がそれだ。もちろん「研究」も大学のもう一つの使命。それに最近では、「社会への直接的な貢献」も大学の第三の使命として認知されつつある。産学連携もその形態の一つだ。
 さて、人材供給が大学の最大の使命であるのならば、大学の学科の編成は、社会的ニーズの多い学科の入学定員を増やすことによって、その使命が達成される。ところがところが、現在の大学の姿勢は、受験生が多く集まるような学科編成にして、なんとか生存を図るという「なさけない姿」が実態で、環境が重要な課題だと誤解している高校生が多い現状では、それに呼応して環境xxx学部や学科が増設されてしまうのだ。
 ところが、最悪なのはその構成員だ。大学の先生は、多少偏見だが「狭い専門を一生やる」ことで生きている。これを「専門バカ」と呼ぶ人もいる。必ずしも悪い意味だけではなくて、専門バカにならないと、本当の意味での最高の研究者とは言えないから、仕方がないのだ。そのような教授の所属学科の名前が、ある日突然「環境xxx学科」に変わってしまうといったことが起きるのだ。その教授は、本当に環境学を教えることができるだろうか。そりゃNOだよ。残念ながら。これが現時点の大学側の状況、すなわち、環境xxx学部、学科の実態だ。

A君:そんなの、会社だったら詐欺で告訴されますよ。商品のラベルと中身が違うんですからね。

B君:学生諸君が本当に勉強をしたいのなら、大学に対してだって告訴をすべきだ。ところが、学生の大部分は遊園地に行く感覚で大学に来ているから、却って好都合なのかもしれない。授業に出ない言い訳ができるからね。

C先生:さらに悪いことには、大学の設備も良くない。中西先生もウェブページで嘆いていたが、換気が悪くて、大教室で、集中力の無い学生がますます集中しない。そんなところで、まともに講義などはできないと。最近、大学院の定員が増えたが、場所はちっとも増えないから、研究環境・教育環境は良くない。
 話し変わって、別に横浜国立大学に限ったことではないが、最近の学生は授業中に私語が多い。少なくとも私は、「授業は格闘技だ」主義者だから、私語をしている学生には怒鳴る。そして外にでるように要請する。私語をされると、こちらも集中できないから、良い講義ができない。当然、欲求不満になる。結果的に全員が損をする。「授業中は静かにする」、こんな基本的訓練がなされていない。先日、臨時講義をやった慶応SFCの学生も私語が多かったので、怒鳴った。「私語の多さは、非一流大学の証明だ」と。その後徐々に集中してくれた。改善できるところをみると、SFCの諸君らはまだ望み有りかも。

A君:ありゃま、やりましたね。

B君:大学教官、すべからく学生と戦うべしですよ。戦うにはそれなりの準備が必要。それだけ教官も努力すべきですよ。

C先生:またまた大脱線だ。元に戻ろう。環境、環境。まず、環境研究を分類してみよう。一般的には、大体、次の5種類に分ければ良い。
(1)環境の生態系への影響
(2)環境の人体への影響
(3)環境改善技術
(4)環境測定技術
(5)環境総合評価
 (1)は、生態系への影響を調べる学問だが、なかなか難しい。ある物質がどのぐらいの濃度で環境に影響を与えるかといった研究がこれに含まれる。しかし、難しい。なぜならば、それ以外の要因の影響というものを峻別する方法論が未完成。(2)も同様。そこで、(1)、(2)をやっていると、予防原則に陥ってしまいがちなのだ。すなわち、すべての可能性のある原因は予防的に対処し除去すべきであるというもの。しかし、今後は、予測原則へ切り替える必要があって、それが実現できないかぎり、環境学はこの分野では科学として成立しない。この分野で必要な学問体系は、生物学、医学と化学。なぜ化学が付くかといえば、最近の生物学は、分子生物学、すなわち、遺伝、発ガン、などの現象をすべて化学反応であるとして捕らえるものだから、化学がなければ話にならない。
 例えば、ダイオキシン類の体内代謝速度が、動物種によってなんで大幅に違うのか、ヒトだと平均で7年ぐらいなのに、動物によっては、数日というものがあるのは何故か、遺伝子的にどのように違うのかといった研究は面白そう。

B君:交代しましょう。(3)の改善技術。これは実際商売になるから、ほっておいても、企業がやる。だから大学などでどこまで研究すべきか難しいところ。ただし、日本の場合、ニーズが無いせいもあって、比較的遅れている部分もある。すでに汚染してしまった環境の除去技術だ。欧米では、細菌を利用するといった方法が盛んに研究されている。大学としてやるべき研究は、企業研究ではやらないような技術のタネを生み出すようなものだろう。しかし、それは環境にだけ使える訳ではないから、環境研究とは言えないものだ。大学における(3)の今後としては、生態系修復工学のようなものが必要のように思える。
 (4)の環境測定技術といっても、例えばダイオキシンの分析のように、装置が完成しているものは、単なる分析を大学でやっても意味がない。測定業者に依頼すれば良い。通常のダイオキシン測定も、もう大学としては終わった。大学としてやるべきことは、例えば、益永先生、中西先生グループのように、環境中のダイオキシンの起源を追求するといった研究。ダイオキシンは多種の物質の総称だが、起源によって、その構成が異なるから、これを頼りにして研究を行うことができる。
 (4)では、この他に、(1)、(2)の研究との関連で、超微量分析などが必要だったのだが、最近は、そのような分析も企業で随分と研究が進んでしまった。全く新しい原理の分析法といった研究課題はもちろんあるのだが、それらは環境への応用は有りうるものの環境研究とは言いがたい。
 (5)の環境総合評価の研究だが、これは、企業では研究されることはまずない。欧米だと、コンサルの連中が大学と組んでやっている場合が多い。われわれも、この(5)を専門とする集団だが、この専門分野は、なかなか難しい。なぜならば、単一の学問分野だけではカバーできない。生物の話、ヒトの話、改善技術の話、毒物の話、地球の話、などなどの個別テーマ、さらには、横断的に化学が必須。物理も、エネルギーなどを中心とした知識が必要。モデルを作るから、数学能力が必要。さらに、コンピュータ技術が必須。多少のプログラムぐらい自分でスイスイ作れないといけない。また、最終的には主観を定量的に取り扱うといった必要があって、心理学など人文科学への理解も多少欲しい。歴史的な教養もある程度欲しい。ということで、若者には難しい。

B君:といいながら、もっとも環境的な部分で、これからの環境科学の発展の鍵を握っているのがこの分野だと自負していますが。

A君:あれB君はいつから環境屋に転職したんですか。自称材料屋でしょ。でも、要するに、環境総合評価をやる学生は、雑学が必要ということですよね。だけど、雑学を専門とする訳にはいかないのが大学。

B君:雑学は何か学問を一つを極めてからでないと、本当に中身の無い雑学になってしまう。

C先生:そうなのだ。そこで、当研究室では、環境総合評価=雑学をやることは学生諸君には薦めてこなかった。そして、科学としての取り組みが確実に可能な部分のみをやろうとして来たつもり。とはいっても、そろそろなんかやっても良いかという時期になったような気もしているところ。まだ迷いがあるのが事実だが。
 でも、やはり理想は別のところにある。若い間にしかできないこと、それは学問を極めること。例えば、量子力学の世界を極める。固体物理の世界を極める(これは逆空間を極めることと近いか)。計算機科学の世界を極める。こんなことをしてから、環境に取り組んでも遅くは無い。志さえ忘れなければ。

B君:われわれがこれからやろうとしている「環境パフォーマンス」という概念の構築のようなものにチャレンジするには、なんと専門外のプラスチックのことなども取り扱わないとならない。有力な専門家はなかなか環境問題を手がけてくれないから。

A君:それは何故でしょうか。

C先生:これも学問分野によるようだ。(1)、(2)の生態系、人体影響の世界では、環境の研究は、結論が出にくい問題が多い。そこで、シャープな結論を好む一流学者は、一般に賞の対象になりそうな課題を選択する傾向が強く、環境分野には入ってこない。そのため環境などを取り扱っている学者は二流の証拠だ、といった偏見があって、文部省の研究プロジェクトの総括代表をしているときには、大変に困った経験をした。
 (3)、(4)については、それぞれの専門家が適当に参画可能だ。そこで、逆に、環境研究は、「ぶらさがり健康法」と呼ばれて、環境研究グループに来ると、自分の専門の話をしてお茶を濁し、研究費だけ確保すると実際の研究は自分の分野のみで行うという学者が出現したものだった。最近は、そうでもなくなった。この分野の環境学者のレベルは最近相当上がった。
 (5)の分野は、自分で言うのも何だが、好奇心旺盛かつ知的レベルが高くて面白い学者が多いので、お付き合いをしていて楽しい。しかし、相当の雑学が必要なので、各種の専門家にとってはバリアが高いようだ。最近LCAがあるから、この分野の敷居が下がったようにも見えるが、LCAをやって環境が分かる訳ではない。LCAは環境が分かっている人のツールだ。

B君:ということで、4年生、修士ぐらいまではそれぞれの専門分野で鍛えて、その後、環境分野に本気で乗り込んでくるような気概の持ち主が、期待の星ということになるのです。

C先生:今回は、そのまとめで良いとしよう。
 使命感が強い学生諸君が、環境分野ですぐに活躍できないとしても、日本にとってはもっと重要な問題がある。2025年頃、日本が何をやって食べているかという問題。マクロ的に見れば、日本には資源・エネルギー・食糧の輸入が必須だろう。それには、何かを外国に売らなければ、日本の国は成り立たない。さあ、25年後の日本は何を売って生きているのだろうか。デザインが売れるか、文化はどうだ、芸術か? 金融は絶対駄目だろう? となると、やはり製品輸出なのか? この問題を使命感を持った学生諸氏に良く考えてもらって、自分達の進路を決めてもらいたい。

S様からの感想文です。

同感です!

私のところにも、学生さんからよく質問がきます。

それで驚くのは直接面識がない場合のに、テーマ設定(一番ひどかったのは旧帝大系の大学の大学院の学生で「環境問題で一番問題なのはどんなことですか」 という質問がありました) や資料集め(卒論にするので土壌汚染に関する資料を集めて送ってくれませんか というメールがありました)までこちらに頼ろうとしたり。

できるだけ、そのままの内容を教えずに情報源を示唆するだけにとどめていますが調べても、一言の挨拶もない場合も多いのです。しかもそれで当然のような感じで他の質問をしてくる人もいます。

大学院になると、アンケートを送付してきて当方の都合と関係なく、1週間以内に回答してくれとかそういうのも多いですね。また、それで結果報告などは梨のつぶてだったりします。

最近の学生さんは素直ですが基本的な礼儀を知らないのではないか。そのあたりは考えてほしいとつねづね思っています。

もっとも世間では超難関といわれる某大学の先生のよりますと学生に調査させた時のトラブルがあまりに多いので「尋ね方マニュアル」まで作ってあげたそうです。ところが、ある学生は、とある役所の人にむかいそのマニュアルをばんと出し、「この通りにして下さい」と一言いったそうです(^^;)。その人は親切だったのかその通りにしてくれたそうですけど

■もっとも学生はまだ、将来よくなるかもしれないという救いもあるのですが、社会人で一番ひどいのが教員です。朝5時にメールがきて、研究授業が明日なので朝9時まで授業が組み立てられるよう調べて回答してほしい(しかも価値判断を含む内容)私のかわりに企業に連絡して調べて欲しい(面識が全くない人)、とか信じられないメールをもらったことがあります。

またNGOの方に聞いてよくあるらしいのは相手も仕事をしていることを考慮せず、クラスの全生徒に調査の一環として質問させたり(40通の微妙に違う質問が一度に1団体に押し寄せることになります)

アポイントなしで1クラスを事務所につれてきてしまう先生もいるということでした。小中学校で指導する先生がこれなので、あきらめに似た気持ちもありますけれど。