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環境と健康、そして、日本の将来    06.14.99






 近年の医学の進歩はすごいものがある。もっとも単純な表現が許されるのであれば、生物学が分子レベルで説明が可能ということになったためである。これを分子生物学という。要するに、生物学が、化学の分野に入ったということである。環境がヒトに与える影響、それは様々な形態を取る。公害時代の汚染による中毒が典型的な例であったが、近年は、アトピーを含むアレルギーが主な問題となっている。これは、どのように解釈すべきなのだろうか。
 この文章を作るきっかけとなったのは、ECO21に掲載された「エコグッズの批判」をいたしましたところ、Hさんから、植物性の製品は、アトピー症にとってはありがたいとのお手紙をいただいたことでして、その後のメールのやり取りで、なぜ、植物性の製品は良くて、石油製だと駄目なのか、その理由は分かりませんといったことに加えて、アトピーをどのように理解するか、といった議論になってしまいました。

Hさん:>私は、アトピーは、ひどい環境(物理的にも、精神的にも)に
Hさん:> 対する精神と肉体の悲鳴のように感じられます。
Hさん:> 寿命が延びたけれども感染症にかかりにくくなったわけではなく......

 これは、市民としてごく普通の考え方なのだと思われます。しかし、本当にそうなのだろうか。最近読んだ本、2冊のご紹介を含めて、議論をしてみたいと思います。

「医の現在」、岩波新書607、高久史麿 1999年3月発行
   最後の対談、高久先生と元京大総長の井村先生の対談、が面白い。
「環境問題としてのアレルギー」、NHKブックス、伊藤幸治、1995年10月発行
   極めてまっとうなアレルギーの本。アレルギーとは何かを知る本。
   アレルギーのような医学がなぜ余り重視されないか、それはミクロコスモスとしての
   人体そのものを研究するのが医学の本道なのだそうです。


C先生:本日は、アレルギーについてだ。これを出発点として、ヒトの健康、さらには、医学の役割や将来について議論してみたい。
 Hさんのメールにあった、「ひどい環境(物理的にも、精神的にも)」の検証から始めよう。まず、A君。環境の全体的トレンドから。

A君:これは、すでに、昨年の記事「日経ECO21をほめる! new10.21」で説明済みです。またもや表紙ページにのみリンクですが。
 まず環境汚染という面から言いますと、現在の日本の状況は、1970年代を最悪にして、現状では、世界的にも最善に近いものです。ダイオキシンはどうなんだ、とマスコミなどは言いますが、御存知のように、農薬起源のダイオキシンのため、やはり、1970年代が最悪。母乳中のダイオキシン濃度は、現在は半分程度に改善されたとされています。現在の人体中のダイオキシン濃度も、先進国中ではまあまあのレベル。途上国の倍といったところです。PCBの環境中濃度も1/10、その他の汚染物質も大体1/5ぐらいになっています。環境ホルモン物質も同様です。やはり減少しています。例外として、大気汚染が有って、NOxやディーゼル微粒子(SPM)といった減っていない汚染物質は有りますが。大気汚染は、この他にも、室内環境など密閉度が上がったせいで、かえって悪くなった部分もありますし。

B君:確実に汚染が減っているといえるかどうか。バックグラウンド汚染として何か隠れていないか。これらは厳密には若干議論を要する問題ではあるが、全体的な傾向としては、良くなっている方向だ。しかし、それが一般認識にならないのは、何故か。それは、全く異なった意図の報道があるからだろう。宮田先生などは、「ダイオキシンが原因であるアトピーは」、と断定した上に、新生児にも6〜7%以上発症していると本に書いていますが、大阪母子センターのお医者さんによれば、3400名中、たったの1名が新生児からアトピーを発症していたとのこと。余りにもデータが違いますからね。真実を曲げてでも、環境汚染がひどいといった認識を植付けようとしている。何がメリットがあるのだろうか。

A君:現代の日本が世界最長寿国になったのは、勿論医療のお陰ですが、環境面の改善、さらに、ここずーっと気候が温暖に推移していることも利いていると思います。

C先生:ところが、アトピーなどのアレルギー症は、どんどん増えている。現時点で、遺伝子的にアレルギーにならない人を除いたら、ほぼ全員アレルギーになっているのではないだろうか。これが環境影響だということ自体、半分は真実だ。残り半分が余り議論されない。
 アトピーなどのアレルギーをどう見るか、医者は最近、「感染が減ったためにアレルギーが増えた」と見ている。例えば、上で紹介した「医の現在」のp189。寄生虫の減少をアレルギー増加の主原因と見る人もいる(東京医科歯科大の藤田紘一郎先生)。それは、アレルギーが結局のところ、自己免疫症であることは事実だからだ。要するに、本来、病原菌や寄生虫と戦うべきヒトの免疫システムが暇なのだ。戦う相手が居ないので、ダニの死骸とか、あるいは、花粉などが体内に入ると、そのたんぱく質を敵だとみて反応し、さらに、重金属に接触していると、それに対応すべくたんぱく質を自分で作って、それに自ら反応する。こんなメカニズムが明かになりつつあるからだ。

A君:そう言えば、昨日(6月13日)の日本テレビの200Xでは、円形脱毛症も実は自己免疫症の一つだと言っていました。なんらかの理由で、おそらく血流が不足するなどの理由で毛母細胞が損傷を受けて、その修復が十分行えないと、リンパ球がその損傷された毛母細胞を外敵だと判定して、一気にやっつけてしまうのが原因だとか。それには、精神的なストレスが利いているとのことでした。対策は睡眠をとることと栄養バランス。栄養ではカレー粉に使うターメリックの成分が良いらしい。

B君:しばらくは、カレー屋が満員になることだろうな。普通のアレルギーについて言えば、直接的原因としては、アレルゲンというものがあるから、精神的ストレスは直接的原因では無い様だが、一旦アレルギーになった後の予後には、ストレス有無が大いに利くようだ。精神的ストレスを軽くみることは、発ガンリスクなどを含めて、大いなる間違いのようだ。とにかく睡眠不足は駄目だ。

C先生:何が原因、これが利くといった話しだが、ヒトの体の話しは、単純な物理・化学と違って、絶対確実と言い切るのが困難なので、そう単純ではない。高名な医者には慎重な発言が多い。ところが、環境センセーショナリズム派は、否定できないシナリオを繋げては、壮大なるストーリーを作るのだ。マスコミはこれに乗って来る。アレルギー環境汚染原因説もその一つかもしれない。これにさらに便乗しているのが、環境商品開発をやっている連中だね。

A君:伊藤先生の本「環境問題としてのアレルギー」で取り上げられている環境要因は、排気ガス、ディーゼル排煙が主なものでした。排気ガスまみれになった花粉は、きれいな花粉とは違うということで、これは、実感としても有ります。それ以外の要因については、まだ確実ではないとなっていますね。ダイオキシンなどと言った言葉は一度も出てこない。

B君:ちょっと話しを戻そう。アレルギーの本当の原因と直接原因を分けて考えようというのが、今日の趣旨の一つだったはず。
 普段から弱い感染症に掛かっている、そのためアレルギー症はないという状況、これが30年以上前の日本の状況だった。それでは30年前の状況に戻せば良いのか。アレルギーを減らすのだけが目的なら、それが実際もっとも効果的だろう。ところが、この弱い感染症があると、やはり幼児の死亡率をどうしても高くなるのだ。強力な菌でなくても、確率上、そうなってしまうのだ。日本の医療は、弱い感染症であっても、抗生物質を多用し、幼児死亡率を下げるという方針をとってきた。これが、現在の日本が最長寿国になったメカニズムだと考えられる。
 しかし、この方向性を国民的に議論し、合意として認めた訳ではないよな。結果として、こんな状況で出ているのが、アレルギー症の多発。遺伝子のお陰でアレルギーになりにくい人を除いて、アレルギーになれる可能性の有る人のほとんどすべてが、現在アレルギーになっている。

C先生:多分そんなところだ。ここで感染症の話しを少々やるか。
 Hさんの言葉「寿命が延びたけれど感染症に掛かりやすくなった」、というのは実は正解。これも、アレルギー症多発と同様の理由だから。普段から弱い感染症にときどき掛かることによって、重大な感染症に掛からない免疫を作ることができる。しかし、普段から感染症に掛かっていないと、O−157のような極めて弱い菌にも感染して死に至るということがある。また、抗生物質の使いすぎで、耐性菌が出来ているということも、重大な問題だ。幸いにして、耐性菌は、自分自身のエネルギー効率を下げることによって、薬への耐性を付けるのが常套手段のようだから、他の細菌との共存が難しいのが特徴。抗菌などといった馬鹿なことをしなければ、他の常在細菌が耐性菌を殺してくれて、その脅威も多少減少する。
 となると、軽い感染症は容認して重大な感染症を防止するのか、それとも、軽い感染症も容認しないで長寿を狙うのか、といった二者択一的要素があることになる。 この問題も難しい。

A君:そうですよね。現在の生命の価値、健康の価値をどのように考えるかという、根源的な問題に繋がりますからね。

B君:その話しになったら、一つ言っておきたいことがある。高校などでは、「生命の価値は無限」と教えるようだが、それは間違いだ。生命の価値は決して無限ではない。これは、環境を考える基本だと思う。何故ならば、人間の生存には、「資源・エネルギー・自然の使用」=「環境破壊」が必須だ。資源・エネルギー・自然はもともと地球に属するもので、今後数1000年に渡って、人類が共有財産として使っていかなければならないのだ。地球は当然有限だ。これを相当多数の人数で分けるとしたら、当然、分け前は有限だ。その有限の分け前を上手く利用して、われわれは生命を維持するために最大限の努力をすべきなのだ。となると、生命の価値も有限と考えることが当然の論理的帰着のように思える。

C先生:その話、限りが無いので中止。アレルギーに戻る。ここでの議論は、アレルギーには主原因と直接原因があるとしている。アレルギーの原因として、もちろん、栄養、汚染、化学薬品の使いすぎなどの要素がある。ただ、これらは、主原因ではなくて、アレルギー多発に絡むファクター(直接原因)であるという理解をしようということ。直接原因=アレルゲンは実は、何でもそれになりうるという見方になるかな。そして、主原因は、感染が減少して、ヒト側が変わってしまったこと。
 治療という立場、すなわち臨床的にアレルギーに適切に対処するには、まず、アレルゲンの特定と除去が重要だ。すなわち上記ファクターが重要な要素だ。しかし、主原因を取り除かない限り、日本から決してアレルギー症は無くならないだろう。今後も、こんなものでもアレルゲンになるのかといった形で、次々と新しいアレルギー症が出現するものと予想される。
 となると、主原因を取り除くべきなのか。すなわち、弱い感染症の存在を許容すべきなのか。これを許容すると幼児死亡率の上昇を招くから、現在の日本人の感覚では、主原因は取り除けないだろう。それが日本の医療というか日本人の合意の現状なのだろう。寄生虫の存在は、別に幼児死亡率を高める訳ではないが、まあ、現在の潔癖症の日本では、受け入れにくいだろう。
 ここで、再びHさんの次のコメントを紹介しよう。

Hさん:>死も、また過去とは違うかたちでまた早くくるようになるかもしれません。

A君:これも当然です。現在の日本人の長寿の真の理由は、実は次のようなものだと考えます。現在80才以上の日本人は、若いころにあるフィルターを抜けているからです。すなわち、生命力の弱い個体は、若いころに感染症などで死んでいるのです。50年後に死亡する世代は、感染症によるフィルターを経ていませんから、当然、過去とは違う形で、早く死を迎える可能性が強いでしょう。いや、死を迎えられるのは良い方で、機能的には死でありながら、生命だけは維持するという医療が行われて、統計的な寿命な短くならない可能性の方が高いかも知れません。

B君:このあたりが、余り明確に意識されていない。そうでありながら、一方で、臓器移植といった医療が行われるようになっている。

C先生:人間の生命に関する考え方をもう一度議論する必要があるだろう。ただし、議論を行ったところで、なにか結論がでるというものでもないが。
 とうことで、この話しは止めて、次に行こう。Hさんの最後のコメント。

Hさん:> 文明が本来、精神と肉体の良い環境を作ることであるなら、文明化と健康、長寿
Hさん:> は比例すると思います。現状はそうはなっていませんけど。長い長い実験の調整
Hさん:> の途中ってとこでしょうか。

A君:文明化と健康、長寿は比例する、これはどうなんでしょうね。健康と長寿は、私の解釈ですと、一部矛盾する概念です。日本の医療は、現在、「不健康な長寿」を選んでいます。これも一つの考え方ですが、もう少々日本人を健全に持続させようとするならば、少なくとも、流産は絶対に止めるべきではないでしょう。日本人の遺伝子の健全性も問題にすべきだからです。この考え方は、ナチズム的な危険性があって、現代社会は決して容認しない考え方です。現代流の考え方、それは一つの選択ですから、その意味が分かっていれば、それで良いのですが。

B君:今日のA君は、危険思想をどんどん主張してくるね。なにか人生の重大事、変わったことでもあったのかな。

A君:別にそういう訳ではないのですがね。ちょっと、一般的な「価値」について考えるところがあって。
 いずれにしても、現代医療の基本原則、「現在存在している命の価値を無条件に無限」とする考え方に、ある種の疑問を提示することがあっても良いと考えます。先にも述べましたように、限られた地球、これを今後1000年間以上に渡って人類が共有していくとしたら、各人には、限られた有限の分配しか無いはずです。有限の分配の中でリスクをミニマムにするという考え方が、本来の妥当な考え方でして、「価値無限」という考え方、あるいは、「リスクゼロ」という考え方は、もともと反持続的だと考えます。
 となると、生命の価値とはどのぐらいのものなのか、考えてしまうのです。とは言っても、金銭価値で量るようなものでもないし。

C先生:現代の日本は、生命の安全性がかなり高度に保たれている時代だ。だから、歴史的に見ると、命の価格が相対的に高い時代だと言えるだろう。だからといって、「リスクゼロ思想」は論理的矛盾がある。「トータルリスクミニマム」を原則にしなくてはならない。その先は、やはり価値論と地球インパクト論になりそうだ。金銭価値以外の価値とはなにか。福祉なのか、それとも幸福感のようなものなのか。でもいずれにしても、このような議論ができること自体、有り難いと思わなければならないだろう。コソボではそうは行かない。日本も文明がそろそろ終末期になってきたのかもしれないね。

A君:そうです。それです。文明は必ず滅びます。これまでの文明の滅亡を見ると、多くの文明は、エネルギー源である森林を伐採しつくして、それによる気候変動=少雨化を起こし、地下水灌漑によって塩類蓄積土壌にして、最終的には食糧供給で滅びています。日本も、やっと公害型環境汚染で滅びるのではなくて、このような古代文明滅亡のパターンを実現できる、偉い国になったように思います。文明の最終段階に到達したように思えるのです。

B君:いや多少違うな。日本は、安全性・長寿を追求しすぎて、ひょろひょろの日本人だけになって、滅びそうだな。

C先生:それもあるけど、やはり違うな。現在の日本が、マクロ的に見てどのように生きているか、それを理解しない日本人が増えていることが滅亡の原因になるだろう。日本という国は、エネルギー自給率も原子力を国産エネルギーだと解釈して公称値が18%。本当はウラン鉱石も海外製だからこの計算はおかしい。食糧も自給率は40%台。資源も大部分は輸入だ。となると、これらの資源・エネルギー・食糧を輸入するだけのお金を稼がなければ生きていけないという国だ。こんなことは、昔から良く言われていることなのだが、エネルギー・資源の値段が安いもので、最近、余り主張する人が居ない。
 現在、このお金は、40才〜50才台のオヤジ連中がなんとか頑張って、製造業で稼いでいる。すなわち、エレクトロニクス、自動車、その他もろもろの製品輸出で稼いでいる。20年後には、日本は何をやって稼いでいるのだろうか。自然科学が発展して、ノーベル賞を取れる日本になったところで、それで稼げるわけではない。金融でも無理だろう。文化の輸出ではどうだろう。イタリア並みのモードで稼ぐのか。GLAYやB’zが稼げるか。
 日本文明における森林の役割は、現在は製造業が担っている。20年後に「何を森林にするのか」、この議論をしないと、やはりA君のパターンで日本文明は滅亡するように思える。