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番外:再生への教育論by日経新聞 05.27.2001




 現代日本で、未だに解決の方向が見えないのが教育界の改革ではないだろうか。一週間分の日経を見直して、もっともインパクトが強かったのが、環境問題ではなくて、この一連の記事であった。日本の教育も、勿論、部分的にはいろいろと良くなっているところがある。個人的には、日本の産学連携の制度の改善については、かなり貢献できたと思っている。しかし、どうもまだまだの部分が多い。


日経の記事概要
教育を問う 第6部 再生への模索 05.22〜05.26までの5回連続

その意図:
画一的で競い合わず、透明性に欠ける日本の教育。知識社会を担う良き市民を育てるには、何を変えればいいのか。再生への模索を追う。

第1回:
改革のドミノ  窮状隠さず 地域に輪
(1) 神奈川県・茅ヶ崎市の私立浜之郷小学校
 廊下と教室を仕切るドアすらない。「ハンバーガー店を作ろう」といった課題授業で、地図やお金の価値を自然とまなぶ。  
(2)同市の浜須賀小学校
 悪臭が漂うトイレの掃除をきっかけに保護者が学校に出入りするようになった。「学校は何をしているのかわからない」、「親は口を出すだけ」といった相互不信の壁が崩れた。
(3)国立市の石井昌浩教育長
 国立市では、卒業式での国旗掲揚と国家斉唱を巡りここ数年小中教職員と学校管理職の反目が続いている。この激しい対立の裏側で深刻な教育の荒廃が進む学校がある。しかし、その実状は親にも教育委員会にも報告されない。イデオロギーの対立の中で、都合の悪い問題は隠蔽されてしまう。
 石井氏は、2学期から授業参観を増やす検討に入る。「親にこの惨状を見て貰わない限り、学校の改革は進まない」。
(4)広島県神辺町立神部辺西中学
 校舎一階の空き教室が「お茶の間」に変身。畳18枚を敷き、食器棚や炊事場を作り、地域の人々が自由に出入りして会合や趣味の場として利用。1年前の同校は、授業中にキックボードで廊下を走り、火災報知器が突然鳴る。解放をきっかけとして、「生徒の関心が様々な方向に向き始めた」。同校校長談

第2回:
よのなか本位 学外の知恵 原動力に
(5)一橋大学大学院のMBA
 「教育に必要な資源が学内になければ、迷わず外で調達し、欧米のビジネススクールに対抗する」。竹内弘高研究科長。
(6)県立会津大学学長池上徹彦学長
 入学後に専攻を変更したい学生が他大学で学べる制度を検討中。「将来は転学できる仕組みを整えたい」。「学生側にたった教育改革は理解を得られるはず」。
(7)工学院大学国際基礎工学科
 卒業研究の「技術者実習」は、企業からの実際の研究テーマを「受注」したもの。学生は5名1チームで、2年かけて独自の解決法を見つけだす。カリキュラムを作った古屋興二教授曰く、「教育サービスに学生の品質保証の仕組みを取り入れた」。英語教育も英語学校に委託。
(8)技術者教育の認定機構(JABEE)
 日本には、これまで大学の教育プログラムが水準以上であるかどうかを認定する機構がなかった。


第3回:
鎖断つ公立 目標掲げタブーに挑む  
進学校の話、中高一貫教育礼賛で面白くないので一部カット
(9)山梨県長坂町の公立甲陵高校。新興の進学校。
 82年に、代々木ゼミナールと提携。放課後に衛星放送を使って代ゼミの授業を受講可能。
(10)新潟大学は、工業高校からの特別入学枠を設けている。


第4回:
変化の触媒 先端の知、企業が運ぶ
(11)日本初のバイオ単科大学が2003年にも開校 学校法人関西文理学園
 長浜バイオ大学(滋賀県)がそれ。学長予定者は、下西康嗣氏。宝酒造が協力。慶応大学理工学部だって、実は王子製紙の藤原銀次郎が「卒業翌日から工場で働ける人材育成を狙い作った藤原工業大学」が前身。
(12)学校の変化を待てない企業は、自ら人材育成に乗り出す
 オートバックスセブン:湘南オートモビル・ビジネス専門学校は、既存の整備士養成学校とはひと味違って、カーオーディオの調整技術なども学ぶ。
 エレキギターのESP:ギターづくりの技術者養成。
(13)土曜日に企業研究者らが教壇に立つ。
 東京理科大薬学部、新潟国際大情報システム学科
(14)トヨタの幹部候補者向けの新教育制度
 米国ペンシルバニア大学のウォートン校に缶詰。トヨタ式意志決定法を学ぶ。

第5回:
現代の米百俵 画一打開へ地方
(15)犬山市長石田芳弘氏の怒り
 「県の教育委員会の主張には根拠がない。県が持つ人事権という既得権益を守りたいだけではないか」。大学教授を市内の小学校校長にしようとして、教育委員会拒否。
(16)チャータースクールの必要性、浦安市長の松崎秀樹氏
 民間に運営をゆだね、その創意を活かす「公設民営」の学校。規制改革委員会でも議論されたが、文部科学省は認めようとしない。
(17)高知市の長期研修
 高校の教員がデパートの販売員を半年間体験
(18)複数教員で指導力強化、山形市蔵王第一小

第5回あるいは全体としての結論:国による「配給型」の教育システムを破るのは、分権を担う自治体の力だ。長岡藩が困窮を見かねて贈られた米を食糧とせず人材育成に当てた「米百俵」の故事は現代でも立派に成立する。


C先生:この日経の連続特集には、なかなかのインパクトを受けた。しかし、一部には、全く何を考えているのか、といった例示もあることはある。番外だが教育改革について議論をしてみたい。

A君:やはり、AB&C流の原則論でやるのですか。

B君:まあそれは当然。しかし、最後には、東京大学としての責任追及を忘れないようにしないとな。

C先生:受けて立とう。まず、原則論から行くか。

A君:教育の議論ですが、受ける側(生徒、学生)の立場、親の立場、企業の立場、大学の立場、一般社会の立場、国全体の立場、教育かくあるべしといった個人哲学の立場などが入り交じっていますから、様々な議論が混線した形で提示されがちなのですね。

B君:それはそうだが、もっと共通の原則だってあるはず。例えば、何はともあれ、学校や教育委員会、文部科学省などが、いずれも外から個人の顔が良く見える形にして社会的責任を果たしているかどうか、について自己点検をするといったことなんだが。

C先生:その指摘は、別段教育機関だけに限らない。研究機関だって、税金でまかなわれていえる場合には共通のことだ。タックスペイヤーに対する責任、あるいは、アカウンタビリティーといった言葉で表現されることだ。税金が無関係な私立の教育機関の場合にも、教育という特殊性故に、透明性の確保が不可欠。

B君:それでは、まあ、共通的に透明性でもアカウンタビリティーでも良いが、そんな責任があることだけ指摘して、個々の立場で議論をすすめるとしよう。

A君:了解。では開始。まず生徒、学生の立場から言えば、やはり、しっかりとした教育を受ける権利がある。それと同時に、他人の教育機会を妨害しない義務がある。この「権利と義務の関係」は大脳によって理解する部分であり、そこが分かっていないというケースがあって、問題が出るのでしょう。

B君:そのような問題が、今の学校という「不透明な入れ物の中」だと処理できないのだろう。透明化がやはり解決の方向だ。最近、大脳でものごとの判断ができる人間が減りつつあるのは、大問題だが。

C先生:すべての学生が最終的に身につけて欲しいもの、それは「創造性」だ。しかし、ある程度の創造性を身につけるためには、かなりの量の知識の詰め込みとスキルの獲得のための継続的な努力が必要だということを分かっていない場合もある。単に学歴が欲しいという学生もいる。要するに、できるだけ簡単に卒業だけをしたい。そんな学生に対しても、個人的には学士号までは許容。修士・博士号は授与拒否。

A君:学生にも様々な立場があり得ますよね。例えば、専門学校的な教育を受けたい学生もいれば、それこそ哲学者になりたい人もいるし。

B君:科学者になりたい場合もあれば、ベンチャービジネスをやりたい学生もいる。これらの多様な要求に答えるのが、まあ、昨今の大学に求められた機能なんだろうか。

C先生:専門学校的目的には、まさに専門学校があるのだから、日経の例でも、オートバックスの学校のように、企業が作ればよい。それを教育だ、再生だ、というも、妙な話。企業が何を求めるか、これは後ほどまた。

A君:親の立場は、まあ無視ですかね。その親の要求も「透明にして皆でチェック」してしまえば、理不尽なものは理不尽になりますから。

B君:本来学校教育に親は口を出すべきではなく、目と耳だけ使えば良い。

C先生:そろそろ企業の視点を語るか。学生を受け入れる企業の立場。これは困った存在でもある。なぜならば、実は彼らも何を本当に要求すべきか分かっていない。これまでの経験から言えば、景気が悪いときには、自分達では教育をするとコストが掛かるから、企業にはいってすぐさま使えるように教育された人材を提供せよ、と要求する。そして、景気が良くなると、企業の将来を支えるようなポテンシャルのある人間を供給し、妙な教育をするのは止めろと要求する。座標軸が一定しない代表例みたいなものだ。

A君:我が社をみても、そんなものかもしれませんね。

B君:日経の例(7)で挙がっている工学院の実際・企業的研究だが、確かに抽象的な卒業研究よりは面白いかもしれない。だが、すべての学生がこのような卒業研究を行うべきだとは思えない。選択科目で良いのでは無いか。科学者になりたければ、もっととっかかりにくい学問的な研究を行うべきだ。東大の場合に問題があるとしたら、多様な卒論テーマが無いことかもしれない。

C先生:そうだな。それは要改善点かもしれない。どこかの企業から、実際的な問題を貰ってきて、それに対して答えを出すというオプションを設けてみるか。このオプションの実施を早速考えてみよう。

A君:企業側からベンチャーマインドをもった人材を育てるということが求められていますね。

B君:それは、大学のシステムをいくら整備してもなあ。ベンチャーのリスクをどのようにして回避できるか、といった社会的システムが整備されないと駄目だ。それに、最近の学生の親が、リスクの大きなチャレンジを勧めない。

C先生:ベンチャー育成に対しては、米国と欧州とでは若干考え方に違いがあるようだ。米国では、「ベンチャーを始めるなら、そのリスクを自己(私的)責任で背負うべき」、と考え、私的な援助はエンジェル頼み。ところが、欧州は、雇用が不足しがちなので、ベンチャーがしばらくの間雇用を確保してくれればと考え、国として何が何でも援助という感じもないわけではない。これがある意味で米国のベンチャーが強い理由なのかもしれない。

A君:確かに。欧州流だと、ベンチャーに対する投資に見合う利潤をベンチャーから得るのは難しいのではないでしょうか。

B君:日本も、しかし、徐々に欧州型に行くしかないのではないか。

C先生:資金の話は別として、ベンチャーマインドを育てるには、それを希望する学生が企業で研究ができる体制を取ることでか。今のところ、そんな考え方は我々の応用化学専攻には無いが。

A君:しかし、大企業では受け入れが難しいでしょう。やはり、産学連携は、中小企業を中心にして行うべきでは無いでしょうか。

C先生:そう思う。大企業としては、本当に何かをやってくれる少数の企業以外は相手にすべきでない。

B君:中小企業の問題点は、大学人と共通の言葉を話す人がいるかというところか。

C先生:それは言える。しかも、多少でも長期的な視野があるかどうか。大学に問題を持ち込むと、すぐに解決してくれると思っている中小企業経営者が多い。大学は、目の前にある問題を解くところではない。ちょっと先の問題を一緒になって考え、かつ探求するところだから。これも、受け入れ先を探してみるか。

A君:そろそろ企業関係は終わりですかね。

C先生:いや。これは文部科学省にも注文を出すつもりだが、民間企業が大学に共同研究費を出したら、無条件で国が同額を出すぐらいのファンディングシステムがあっても良いのではないか。これが国としての産学連携を推進する証明のような気がする。企業がある研究に金を出すこと自体、その研究が相当高く評価された証拠なのだから。

B君:それでは次。大学としての立場からの教育論。最近、研究論は多く語られるが、教育論はどうも。

C先生:普通の大学の教官は、入ってくる方しか目を向けていない。いかにして受験生を多く引きつけるかだけだ。だから、「環境」が流行れば、社会が「環境」を専門とする学生を何人必要としているのかを考えず、すなわち、学生をどこに売るかを考えないで、環境を冠した多くの学部ができる。学生がそこに入学してみると、所属する先生達は環境など無関係。それどころか、学生の方を見ていない。もともと自分のやっていた研究をやるだけ。一旦入ってしまったら最後、学生にもどんな教育が受けられるかが考えられていない状況。こんな状態が長く続いている。これも、大学の教育の実態を外からもっと見えるようにしないと。

A君:全く別種ですが、自分の研究をやらせることが無条件で良い教育だと思っている先生も多いのでは。

B君:まさに、その通りだろうな。しかし、全員が「研究=教育」では、迷惑でしかない学生もいるはずだ。

C先生:学生中心の発想に切り替えるべし、これが池上先生の会津大学の発想なのだろうな。全く自由な発想の研究、社会が必要としているものは何かといった発想の研究、いずれも、それそのものに価値があると思うが、それがそのまま教育になるのは、正直な話、限られた学生に対してだけだろう。
 脱線するが、上述のような研究の持つ価値とは、大学が多様性を確保することによって、社会全体にある種の固定座標を提供するからだと思う。一般社会はどちらかといえば、企業を含めて価値観が移ろいやすい。今は、ユニクロだ。2年後には全く違うだろう。それに対して、ある程度の固定座標が存在することは社会全体の健全性を保持することに貢献できるからだ。

A君:国としての教育となると、これはいささか別の問題がありそうですね。

C先生:止めよう。あまりにも長くなった。

B君:それでは、まとめとして日経の取り上げた記事中の例の評価でもしよう。まず、第1回の(1)から(4)はいずれも透明化の試み。まあ妥当だ。

A君:(5)〜(8)は、日本の教育が定型化、しかも日本固有の形で定型化しているということが共通項目ですか。世界のスタンダードは違う。

C先生:(9)、(10)は、大学受験という高校におけるニーズなのだが、これに関しては東大には特別の役割があると思う。「同一高校からの合格者数に上限を決めることが必要」。あるいは、大学院大学になったのだから、大学院教育を本当にメインにして、学部定員を今の1/3ぐらいにするのも一案
 こんなことを言うのも、中高一貫教育で入ってきた学生は、大学での伸びが少ないように見える。やはり、受験技術を過度に身につけるのは、創造性を阻害する可能性がある。ある程度までにしておくべきだ。

A君:(11)〜(14)の例は、まあ企業が勝手にやったら、という感じですかね。

B君:(15)〜(18)は、教育委員会などが改革からほど遠いことを主張している。入学式、卒業式などでの国歌、国旗問題が、教育にとってマイナスの効果しかないのなら、一時棚上げが正しい処置だと思うが。教育とその改革にはそのぐらいの重さがある。

C先生:まあ、そんなところかな。