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武田流環境ビジネス批判 文春7月号 06.09.2001




 今回の記述は、かなり誤りが見える。さらに、論理的な矛盾も目立つ。余りまともに反論するつもりも起きない程度のできであるが、一応文化的な文芸春秋なる雑誌に取り上げられたもの故に、世の中には間違って信じてしまう人もいるかもしれない。一応、記述の嘘だけは指摘しておきたい。


C先生:武田先生の原稿で感心するのは、世の中で同調するような人の心を刺激する文章の旨さだな。ただ、今回は、かなり欠陥が見えているので、いかに同調的な人であっても、それは言い過ぎということになりそうだが。

A君:いや。必ずしもそうは言えないのでは。ゴミの分別など何を言われてもイヤだという人はいるので、そのような人にとっては、やはり「環境派ざまみろ」論は、いくら乱暴な議論でも歓迎されるのでは。

B君:でも、今回は論理構成の欠点が見えやすい記述が多いだけではない。事実誤認も多いのだ。

C先生:ちなみに、今回のタイトルは、「環境ビジネス 本物と偽物を見分ける」、というもので、同じ様なタイトルで、私も話をしばしばさせられた。内容は極端に違うが。

A君:それでは、若干の説明を。まず、「コストに見合うかが重要だ」と述べています。これは、武田先生の毎回の主張なのですが、「それでは、コストに見合うことが環境に良いことなのか」、ということになりますよね。それが駄目であることは、20世紀後半に日本という国では、証明をしてしまった訳ですね。今回、まず多くの人がここで疑問を持つと思いますが。

B君:もともと、武田先生の主張は、環境対策もゴミの分別もしないで、廃棄物は焼却をすれば良い。焼却灰を集めて置けば、それが後世の資源だ、というものだからな。

A君:具体例で最初に取り上げられているのが、透水性のコンクリート。「透水性のコンクリートを開発し、生産するにはかなりのコストがかかる。しかし、道路を造るときに、舗装をしない場所を作ればそれで良い。だから無意味」。これは、ちょっと余りにも乱暴。勿論、作ることが可能な場合にはそれでも良いが、できない場合にはどうするか。環境負荷を議論するときの基本原則である、「条件を揃えて比較をすること」が全く無視されていますね。

B君:次が、生分解性プラスチック。「通常のプラスチックの数倍価格が高いから、数倍の石油を消費すると考えられる」、としている。

C先生:こんな主張をしていたら、生分解プラ関係の協会から滅茶苦茶に非難されるのではないか。昨年だったか、日経サイエンスに生分解性プラスチックは、製造エネルギー的に見合わないという元生分解プラの開発に従事していた研究者の主張が掲載されて、それでも騒ぎになったのだが。武田先生のように7倍という主張は聞いたこともない。

A君:その次が、太陽電池。石油火力の2倍、環境を汚すそうで。その理由が実はよく理解できないのですね。「太陽電池などの設備を作るのに消費する莫大な量の石油を考えれば、そのまま石油を燃やしてしまった方が、よっぽど効率良く電気を生産できる。こうした設備を建設するために必要な土地が、しばしば森林を広範囲に伐採して確保される点にも留意すべきだろう。だから2倍だ」。分かりますか。

B君:論理になっていない。太陽電池の議論は、エネルギーペイバックタイムというもので、議論するのが普通で、これは、別項で検討をすべきだ。

C先生:分かった。それは、別に記事にしよう。

A君:次が、鉄鋼スラグです。「年間3000万トンでるこのスラグを埋め立てないで、これで作った煉瓦や砕石を日本の駅前や公園に敷き詰めたら、将来どうなるのだ。地面を何かで覆うべきだというプレッシャーは、常に日本社会に掛かっている」。

B君:鉄鋼スラグと言う言葉で何を表現したかったのか。高炉スラグなのか、転炉スラグなのか。それとも両方なのか。

C先生:廃コンクリートのリサイクルとの記述も混じり合っていて分かりにくい。廃コンクリートのリサイクルは、確かに価値が低いもののリサイクルの代表例だろうが、高炉スラグは、そうとも言えない。高炉セメントにすれば、多少硬化速度が低くても、セメントの代わりになる。ということは、それを埋立で処理してしまったらセメント用に石灰の山を掘らなければならないが、高炉セメントを使う分、山を掘らなくて済む。

A君:武田先生の議論は、多くの場合に、その時点、その場での環境負荷だけが議論されていて、地球から掘り出して、地球へ戻す全ライフサイクルを考えるという考え方には、反対のようですから。最終処分場不足なども考慮されていない訳ですね。もっともご自分では、他人のリサイクル議論がそうだと批判しているのですが。

B君:スラグという言葉が様々なことを意味すること、例えば、焼却灰の溶融によってできたものもスラグだ。これらを個別的に議論ができるだけの事実・データを揃えていないのではないだろうか。

C先生:次の議論が最悪なんだな。「環境によい自動車というものがあるが、ガソリンを全く使わない自動車を作るのに掛かったコスト(つまり石油分)の距離を走破するのに、24年くらいかかることになる。全く電気を使わないテレビをつくって新しく買い換えた場合は、コスト回収に37年ほどかかる」、と驚くべき理論を展開している。普通に考えると全く理解できない。
 それどころか、「これらの現象に共通しているのは、それぞれが部分的な正当性を主張していて、全体が何をもたらすかという視点が全く欠けている点である」、と、さっき、A君が指摘したことだが、自らが犯している過ちを棚に上げて、他人を批判している。

A君:これは実に最高傑作ですね。大体の常識では、車を作るのに必要なエネルギーは、大体、その車が1年走行するのに必要な分、だと言われています。まあ、リサイクル用にも半年分ぐらいはかかるかもしれない。「コスト=石油分」がいかに現実と乖離しているか、これを自分で証明していることになりますね。

B君:それは、後でもっと自己矛盾に陥るのだ。やはり、LCAを全く無視すると、そんなことになる。

C先生:武田先生がLCAをやることになったら、それは大変なことだな。天変地異が起きるかもしれない。

A君:どんどんと切りまくっているつもりのようでして、次が家電リサイクル法です。「家電リサイクル法は最悪で、部分的な正当性すら見あたらない。それはコスト面からも明らかだ。ひとつで5000円ほども掛かるから、2000万台ほどが流通しているから、今後、国民は、1年間に約1000億円の損失を被ることになる。しかも、家電をいくら分別しても得られる資源は無い。ヨーロッパなでも、細かい分別をせず、ゴミがでたところから、もっとも近い焼却場で焼くという方式で、キログラムあたり10円で済んでいる」。

B君:家電リサイクル法は、比較的良くできた法律だというのが、我々の立場。ただし、後払いにしてしまったもので、不法投棄が問題。

C先生:要するに、使ったものは、そこから資源が回収される手間賃まで含めて、消費者が負担をすべきだ、という原則。使った地球資源はできるだけ、もとの状態に戻すべきだ。戻るものばかりではないところが問題ではあるが。リサイクルだが、そのために誰かがお金を払えば、廃棄物が資源になる。何か資源を使った場合には、それが再度資源に戻るまでの費用負担をしよう、というのが循環型社会の合意だと考える。その費用が本来は、製品価格に含まれて、それを考慮した上で、消費者が商品の選択をするのが理想。

A君:容器包装リサイクル法では、税金という形を経由するもので、多少正当性が見えにいです。すなわち、ペットボトルの場合、商品価格にそれがONされていないので、消費者に対する直接的な負担が見えず、どんどんと買う傾向になってしまう。

B君:まあ、この仕組みを全く理解していないという文章だった。

C先生:次がアルミ缶を切っている。ここの記述は全くの誤りとしか言えない。怒れ、アルミ缶リサイクル協会。

A君:「ボーキサイトというアルミの原料からアルミ缶を作るのに、電気が100必要だとすると、使用済みのアルミ缶を再利用する場合は、3の電気ですむ、と日本アルミニウム協会は公言している」。「それが本当なら、日本のアルミ会社は、ボーキサイトを購入するのは止め、使用済みのアルミ缶を喜んで回収するはずである。しかし、今のところ、ボランティアが集めてくれるのなら貰ってもかまわない、というのがアルミ会社の態度である。この事実は、天然資源のボーキサイトより、集められたアルミ缶の方が資源として価値が低いことを意味している」。

B君:余りの誤解だな。言葉も出ない。

C先生:黙っちゃ駄目だ。日本のアルミ会社は、もともとボーキサイトをほとんど輸入していない。日本に精錬工場がほぼ無い(蒲原だけ)からだ。これを知らないように読める。アルミ缶は、回収されたもので分別がしっかりしていれば、トンあたり5〜7万円ぐらいで買ってくれる。これも知らないようだ。

A君:さらに続きがあるのです。「使用済みのアルミ缶はすでに材料として劣化してしまっている。アルミ缶は、アルミの他に鉄、シリカ、マグネシウムとマンガンを合わせた合金である。プルトップの部分と本体では、マグネシウムとマンガンの含有量が微妙に違う。また、表面の印刷部分にはチタンが含まれる。これを溶かして分けなければらない。材料工学の観点では、分別を必要とするこの状態を材料の劣化と呼ぶ」。

B君:挙げ足を取るようだが、シリカというのは、ケイ素(シリコン)の酸化物を言う。シリカがアルミ合金に入っていたら、圧延が大変だ。アルミ缶は深絞りであの缶のボディーを作るが、とてもできないだろう。

C先生:自分の専門から遠いところのことについて発言する場合には注意をしよう、ということ。自戒を込めて。

A君:さらに言えば、印刷の部分にはチタンが含まれているというが、これは金属ではないので、実はチタニアと書くのが正しい。すなわち、酸化チタン。バックコートというが、白い印刷用の顔料で、昔は大部分のメーカーが使っていました。最近、果たしてどこが使っているのだろうか。キリンは止めたはずだし。バドワイザーには可能性があるか。

B君:しかも、チタニアを含む塗料だが、あらかじめ空き缶を焼いて塗料を落とすので、大部分はその段階で落ちてしまう。溶かして分ける訳ではない。勿論、多少は残るので、白いバックコートを使うべきではないのだが。l

C先生:アルミの場合、溶けたアルミをセラミックス製のフィルターで濾すことができるようになって、再生地金の品質が良くなった。まあ、優等生に近い。実際に現場を見れば、武田先生もかなり違った印象を持つことだろう。ペットの再生工場だけをみて、全リサイクルを語るといった飛躍を感じるな。

A君:それから、例の「燃やして、その灰を取って置くべき」、と言う理論の紹介があって、「われわれの生活基盤を物質資源から情報資源にシフトする必要がある」、といったまあ正しくないとは言えないが月並みとも言える主張があります。

B君:そこで、携帯電話を推奨しているのが妙だ。「キロ当たり百万円の利益を上げている」というが、どういう計算か知らないが、もしも武田理論、「利益(コストに近い?)=石油=環境負荷」であるのなら、携帯電話の環境負荷は、高いことになる。自己矛盾に陥っている。

C先生:その次に、「生分解性プラスチックがなぜ間違っているかと言えば、資源をセーブする方向に向かっていないからである」、という表現があるが、これだって生分解プラの協会の怒りを買うだけだろう。

A君:「太陽電池やリサイクルがなぜ間違っているかといえば、部分的な正当性に囚われて、もともと使っていた資源よりさらに多くの資源をつぎ込んでしまっているからである」、というところも、経済産業省、太陽電池関係者、アルミ缶、ガラス瓶などのリサイクル関係者の反感を買うだけでしょうね。喜ぶのは、やはりペット関係者だけか?

B君:さらにゴミの分別が相当お嫌い。「仕事をして疲れて帰った後、こまごまとしたゴミを分別しなければならないのは、体力の無駄以外の何物でもない」。

C先生:「環境に良いと称する商品を売る企業は、何をもって環境によいとしているのか、基準を明らかにすべし」。これは同感。健康商品も同様だが。

A君:「コストに見合わない商品に対してはNOと言わなければならない」、というのは、全く20世紀に対する反省がないですね。その程度で、環境問題について堂々と講演ができる社会というのは、良い社会ですね。

B君:環境問題、教育問題、これは誰でも「専門家になったつもり」が可能。

C先生:その通り。