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  東京大気汚染公害訴訟   11.10.2002




 判決は、10月29日に出た。その概要を「今月の環境」から再録すると、以下の通り。

 東京地方裁判所は、車公害によるぜんそくなどの被害者に対する国、自治体、道路公団の責任を認めた。道路から50m以内に居住している7名に対して、補償金7920万円の支払いを命じた。
 自動車の排ガスによる大気汚染で健康被害を受けたとして、東京都内のぜんそく患者や遺族ら99人が、国や都、自動車メーカー7社などを相手に総額約22億3800万円の損害賠償と汚染物質の排出差し止めを求めた東京大気汚染訴訟の判決。
 しかし、自動車メーカーの責任については「できる限り環境への負荷を低減するよう努める社会的責務がある」と述べたが、「過失は認め難い」と賠償責任を否定した。

 11月8日、東京地裁の判決を不服として、国は控訴することを決めた。

 一方、東京都の石原都知事は判決直後の記者会見で「訴訟の対応に労力を割くのではなく、自動車排ガス規制の強化と、被害者救済が、いま本当に必要な行政の使命だ」と述べ、控訴しない方針を明らかにしている。
 
 石原都知事は、国控訴の報告を受けて、「国は、排ガスを規制しているのに、健康被害との関連を認めないのは自己矛盾だ」、と述べたようだ。

 その矛先の向こうには、鈴木環境大臣の発言がある。「ぜんそくと大気汚染の因果関係に関する科学的知見はまだなく、因果関係を認めた一審判決と国の立場は異なっている。環境省で因果関係を解明するための調査方法を研究中で、一日も早く調査ができるよう努力していく」

 石原都知事の理解は多少ずれている。排ガスが健康被害を引き起こすのは事実である。しかし、「健康被害」はぜんそくだけを意味するものではない。PMによる肺がんの方が重大なのかもしれない。


C先生: この東京大気汚染公害訴訟の問題は、色々と微妙な問題があって、早くHPに記事を書くべきだったのだが、大分時間が掛かってしまった。

A君:国が控訴しましたね。一方、都はしなかった。

B君:都にとっては、例の石原流ディーゼル対策もあって、控訴することが難しい立場だ。

A君:国は、もしもこの裁判が全国に広がることを考えると、通行車両4万台以上の国道から50m以内に居住するぜんそく患者から全員から訴訟を起されることになりますから、大変です。

C先生:この訴訟のポイントは、いくつかある。順不同だが、以下のようにまとめてみたい。
(1)国は、自動車、特に、ディーゼル車の排ガス規制を十分に行ってきたのか、という論点。含む:軽油がガソリンよりも安いという特殊な構造は正当なのか?
(2)ぜんそくという疾病は、本当に大気汚染との関係があるのか、という論点。
(3)車由来の大気汚染として考えるべき汚染物質は何か、という論点。
(4)今回の判決では、道路から50mという「線と距離」によって被害者を認定したが、これは妥当か。むしろ、23区内ならば、「面」で考えなければならないのではないか、という論点。

A君:どうも、(3)の大気汚染として考えるべき汚染物質は何か、からはじめるべきように思いますね。

B君:良いだろう。現在の排気ガス規制には、一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、窒素酸化物(NOx)、粒子状物質(PM)がある。船舶については、硫黄酸化物(SOx)量が問題にされるが、自動車の場合には、燃料中の硫黄分が少ないので、余り問題にはされない。

A君:船舶用ディーゼルエンジンが燃やしている重油というものは、ほとんど固体のようなものらしいですね。加熱して流動性を持たせて、そして燃やしているとか。

B君:硫黄分は、ガソリンにはほとんどない。ディーゼル燃料については、以前規制がなかった時代もあったが、1992年から0.2%に、そして、1997年に0.05%、2000年には0.04%になっている。2005年のディーゼル排ガス規制に対応するには、0.005%といった低濃度のものが必要だということになっている。

A君:0.04%だとすると、燃料1リットルが900グラムだとして、0.36gですか。二酸化硫黄になったとして、0.72gの排出量。現在の普通の自動車の窒素酸化物の規制値が0.08g/km。1リットルで10km走る車だとして、0.8gの酸化窒素が出ます。

B君:最近のULEVといったガソリン車だと、窒素酸化物の排出量は、0.02g/kmといった値だ。となると、硫黄酸化物の量も、問題が全く無いと言い切る濃度ではないが、硫黄酸化物の本当の問題点は、排ガス触媒に対する被毒効果があって、触媒の効力を弱めることがあるからだ。

C先生:硫黄の話しを長々やってきたが、それ以外の排気ガスは、硫黄分のように燃料に不純物があるから出るというものではなくて、燃料そのもの、あるいは、燃焼という反応そのものから出てしまうから問題だ。

A君:NOxの原料は、空気中の窒素と酸素ですから。燃料からとも言いがたい。

B君:HCとCOは、不完全燃焼をすると出てくる未燃ガス成分だと言える。

A君:PMは、さらに不完全燃焼度が高いときに出る物質。まあ炭素の塊みたいなものです。

C先生:本当に炭素だけならまだ良いのだが、それこそ、何が入っていてもおかしくない。炭化水素系の発がん物質、例えば、ベンゼンを寄せ集めた多環化合物。こんなものが混じっていると考えられる。

A君:以上が車の排気パイプから直接出る物質ですが、大気中で光化学反応を起してできてしまう光化学スモッグのようなものがありますね。

B君:HCとNOxが太陽の光で反応を起して、オキシダントと総称される物質を作り出す。酸化力のある物質といった程度の意味だが、その主成分はオゾンだと考えられる。

A君:マイナスイオン発生に関わる物質として有名ですね。

B君:オゾンは、有害物質だ。労働環境基準で、0.05〜0.1ppm。オキシダントの環境基準が0.06ppm。

A君:それに対して、SOxは労働環境基準が、2ppm。それ以外も挙げると、NOxが3ppm。COが25ppm。HCをプロパンで代表すると、2500ppm。

C先生:これらの物質が、どのような人体影響を与えるか、それが問題だということになる。ライフサイクルアセスメントというものも、最後の段階であるインパクトアセスメントでは、人体への影響を考えるようになるが、ヨーロッパのインパクトアセスメントの例を見ても、大気汚染関係は、冬のスモッグ、夏のスモッグとなっている。冬のスモッグには、SOxが関係し、夏のスモッグは、オキシダントだ。NOxが直接的に人体影響をもっているという認識はないようだ。

A君:そして、そろそろ(2)の話題に入りますか。すなわち、(2)ぜんそくという疾病は、本当に大気汚染との関係があるのか、という論点。

B君:ぜんそくという病気はなかなか難しい。

C先生:ダイオキシンに対して、感受性が特別に高いという人の存在は認められていない。発がん物質なら、ほぼすべての人が影響を受けるはずである。ところが、ぜんそくという病気は、アレルギー体質の人が掛かりやすく、心理的な影響も大きな病気だ。

A君:昔のように、5人兄弟といった例が多い場合には、長男と末っ子がぜんそくになりやすい、というのが常識だったらしい。これは、体質+育て方がぜんそくに影響しているということのようで。

C先生:親子がどのような関係か、これがぜんそくに重大な関係があるようだ。

B君:要するに、車公害の裁判の原告は、感受性が高い人であった。最近のように、死なない時代になると、感受性が高い人、低い人、様々な特性をもつようになる。これをどのように考えるか。

A君:それは、社会全体が徐々にバリアフリーに向かっているように、感受性の高い人を考慮に入れて環境問題を考えるようにならざるを得ない。

C先生:そして、NOxがぜんそくと関係があるということを科学的に証明するのは難しい。疫学という方法論でやることになるが、例えば、道路が近いとうるさいから窓を開けない。となると、換気が不十分だから、室内にアレルゲンが多くなって、ぜんそくを引き起こすということもありうる。幹線道路に近いから、NOxが多く、だからぜんそくになった、という直線的な関係を証明するのは困難だ。

A君:PMとぜんそくも関係を証明するのは難しいでしょう。

B君:噂では、硫黄酸化物でまぶしたPMがぜんそくに悪いという説もあるようだ。

C先生:車公害関連物質で、もっとも因果関係がわかっていると思われるのが、PMと肺がんの関係ではないだろうか。

A君:となると、PMと肺がんで訴訟を起されると、国としては困る。

B君:可能性はある。ただ、タバコというもっと相関の高い原因があるから、絶対にディーゼル車からのPMだ。だから肺がんだと言うのも難しい。しかし、最近、図のように、肺がん死の増加速度は、全がん死の増加速度よりも高い。

   図 全がんと肺がんによる年間死亡者数の推移
      全がんは左側の軸、肺がんは右側の軸

C先生:国のディーゼル車規制が十分だったのか、という(1)の論点に関係し始めたようだ。過去の国の規制を1975年を1として改善の推移をグラフにしてみた。

A君:PMが、1999年まで全く相手にされていませんね。

B君:その理由は、「車公害=ぜんそく=NOx」という単純な理解に基づく訴訟がなされ、その上、NOxの実測濃度が環境基準に到達しないものだから、環境庁としては、困ってNOxの規制値だけを下げつづけたという実体があるように思える。

A君:公害訴訟が国民全体の健康から見れば悪い方向に規制を進ませた、ということですか。より害のあるPMを増やした可能性があるから、そうかもしれません。

C先生:訴訟だけではない。恐らくメディアも勉強不足だった。燃焼条件を変えることによって、NOxを制御するディーゼルエンジン技術というものは、極論すれば、燃焼効率を下げる、すなわち、不完全燃焼を起すという方法だ。これをやれば、PMの量が増える。

A君:PMも同時に、徐々に下げてくれば、良かった。

B君:両立は不可能だったように思える。最近なら超高圧の噴射ポンプによるコモンレール直噴型などでNOx、PM同時削減が可能だが、比較的新しい技術だ。

A君:燃料を細かい霧状にして、完全燃焼を図りつつ、NOxも下げるという技術ですね。ヨーロッパは大体これで行くという。

B君:むしろ、行政がNOxの環境規制値を高めに修正するという勇気を持てば、そして、その決断を社会として認める勇気がメディアにあれば、PMを集中的に減らすといった正常な排ガス規制が行われた可能性がある。

C先生:ぜんそく被害者を救済するという大義名分があると、それに対して、何かものを言うのは、なかなか勇気がいることだ。将来、歴史が明らかにすると思うが、訴訟が難しい状況を作ってしまったのは事実だった、と認識されるのかもしれない。

A君:感染症が克服されるようになって、アレルギー症状を示す人が増えてきた。そして、ぜんそくもそのような変化の一つの現象として捕らえなおすべきかもしれません。

B君:しかし、患者としては、そんな悠長なことを言っていられない。

A君:心理的な要因の大きな病気だとすると、訴訟を起こすことは、残念ながら逆効果ですね。しかし、個人の特性に合わせた環境問題の解決が必要になりつつあるということは事実のようで。

C先生:その通りだ。究極の環境問題とは、その行き着く先がどこかということだ。遺伝子解析などを行って、また、心理的な特性も解析して、その人にあった環境対策を行う。環境の状況は、ダイオキシンのように、平面的に均一であると見なすことができる例は少ない。送電線からの超低周波電磁界による小児性白血病であれば、やはり数10m以内の問題だろう。このような地域による環境変化と、個人の特性とを十分に考慮した環境問題への対応、これが今後目指すべき究極の方法だろう。

A君:しかし、無限に環境問題があって、無限のコストが掛かりますね。

B君:そこで、やはりリスクベネフィット論のような、ある意味でドライな理解が日本の社会でもできないと駄目だろう。

C先生:それが問題。ある不公平を社会的に補填して、後は個人の努力に任せるといった方向をまず探るべきだろう。