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環境基本計画の改正をめぐって 04.04.99




 朝日新聞4月4日号朝刊によれば、環境庁は政府の環境施策の基本になっている環境基本計画を全面的に見直す方針を固め、来月、小渕首相が中央環境審議会に諮問することになった。その理由は、基本計画中には理念は述べられているが、数値的な指標や目標値などが明記されていないため。そこで、@長期、中期、短期的な目標に分け、環境指標や数値目標を設定、A施策の羅列でなく、水循環、温暖化などの重点的に進めるべき施策の明確化−などの点を中心に審議される予定とのこと。
 環境基本計画は、環境基本法に基づいて、1994年、「循環」、「共生」、「参加」、「国際的取り組み」の4つの柱に、環境への負荷の少ない社会をつくるために国や自治体、企業、国民の役割や政策が定められている。


C先生:環境基本計画があまり実効を発揮していないのは事実だろう。いくらお題目を唱えても、実働が伴わなければ駄目ということなのだろう。さらに、環境に関しては、ある種の規制が必要であることも明々白々で、さらにその規制も国レベルで均一に行われないと、効果が出ない。ある自治体が厳しい環境規制を行うと、隣の市町村に問題発生源が移動するだけという例が多い。そこで、恐らく、数値的な指標や目標値などを決めようということなのだろう。
 中央環境審議会が先月まとめた報告書で、「基本計画は個別具体的な施策を総合的・体系的に推進する点で機能していない」と指摘していることも、まあ、そんな感じだろう。
 われわれの研究目標は、「環境総合指標」を作ることだから、もしも環境基本計画がきちんと出来上がると、われわれの研究は不要になる。さてどうなるのだろうか。

A君:企業に身を置くわれわれとしては、やはり理念だけだと困るのですね。ある程度官製の基準が無いと。上層部に個人的意見を述べたとしても、トップが、「なんでそんなことをする必要があるのだ」、と言えばそれでチョンになりますから。数値目標があれば、説得が可能というシーンは多いのです。

B君:日本の企業体質は、概してそんなものだ。あるスポーツ番組で、ブラジルに惨敗した日本サッカーが体質を変えるには、赤信号だと車が来なくても道を渡らない日本人の体質を変えなければ駄目だ、という主張をしていた。自分の意見・判断で、環境主張をできるような企業トップにならなければ駄目ということ。なんだかこの2つのことが似ていないか。

C先生:いや。多少似ているのだが、赤信号で道を渡っている歩行者は、本当に自己責任で渡っているのか。欧米なら本当の意味での自己責任。しかし、それをやっていて車に跳ねられたら、日本だとそれはそれなりに文句を言いそうだ。リスク管理ができないのが、現代日本人の特徴。特に若者はそんなものが多い。日本サッカーに関していえば、発想力の不足、要するに他人が考えないことを実行してみせる能力があるかどうかが問題であって、規則を破ることをいくら推奨してもダメなのではないかい。

A君:脱線しないで下さいよ。企業が自らの環境哲学を持つべし、これはC先生の主張ですよね。

C先生:今、環境指標の一つ、ライフサイクルインパクトアセスメントの新しい方法論を提案しているが、この方法論は、実施者が自分の判断で、ある重み付けを行わなければならない。ところが、この自由度が普通の企業人には受け入れられない。やはり官製の重み付けが必要だと言う人が多くて、参ってしまう。すべての人の環境感は必ずしも同一である必要はない。人それぞれの哲学・倫理観によって、環境感、すなわち、環境負荷の重み付けが変わってもかまわないと思う。それを表立って議論できれば、環境感が徐々にある方向に収束する可能性がでてくるだろう。ところが、現時点では、企業は自分の環境哲学・環境倫理を明らかにすることを嫌がる。横並びが無難であるという思想が、まだまだ大勢を占めているのだろう。

B君:ということは、環境基本計画で環境指標ができるということは、企業・行政にとっては楽になるが、必ずしも環境全体が良くなることを意味しないのではないだろうか。自分の環境感・環境倫理を考えなくても済むから、楽になるのは事実。考えないと進歩をしなくなるのが普通じゃないだろうか。

A君:本当に、すべての人が納得するような環境指標ができるのでしょうか。

C先生:いや。細かいトレードオフを記述できるような環境指標ができるとは思えない。今回の基本計画で言っている数値化という目標は、例えば、ダイオキシンの規制やその他に関して、要するに、汚染型の数値規制をしっかりやるといったことに限られるのではないだろうか。

B君:見出しだと「温暖化など重点明示」となってますよ。

A君:温暖化は難しいのではないでしょうか。参考までに、4月2日の朝日新聞の夕刊の記事を紹介しましょうか。「温暖化、解明これから」「日本、急がれる研究戦略」、「CO2の影響か自然変動か」。と3つも見出しがある記事で、最近の気温上昇が二酸化炭素をはじめとする温暖化ガスの影響なのか、それとも自然の変動なのか分からないという記事です。

B君:珍しい記事だね。なるほど。
 これまでマスコミは「二酸化炭素=温暖化=すでに起きている=地球は滅亡へ」というシナリオを一斉に報道してきた。多分それがセンセーショナルだと考えていたのだろう。ところが、現時点では、世の中の大部分の人がこのシナリオに「慣れた」ために、もはやこの報道が魅力的でなくなったのかな。

C先生:それはそうかもしれないが、そこまで高度な理由でない可能性もある。要するに、記者自身も本当にそのシナリオを唯一無二のものと信じていたかもしれない。
 この記事には、気象庁気象研究所の温度上昇予測がでているが、この計算をどのようにやったか、それが大問題。

A君:そう言えば、住先生の講演でも、海と大気の連結モデルはまだまだ難しいと言ってましたね。海の温度を仮定してしまえば、予測はなんとかなるが、大気が海の温度にどのように影響を与えるかを計算に入れ込むと、難しいと。

B君:そうだろうよ。エルニーニョ現象が北半球の温度を最大0.4度とかなり上げる。ところが、温暖化が起きたときにエルニーニョがどのようになるか予想するのが難しいだろう。

C先生:先日来、予防原則はもはや21世紀の環境原則になり得ないといっているが、実は、温暖化については予防原則が相変わらず成立するかもしれない。なぜならば、環境変化の中で、温暖化が非常に大きな要素であることは事実だから。少なくとも、省エネルギー・省資源は、未来世代にとってもまったく問題のない解決法の一つだし。

B君:原子炉20基新設を除けばね。

A君:原子炉だって、資源の有効利用という観点と温暖化防止ということに限ればそれは正しい。しかし、社会的公平性が問題となる。

B君:誰がこの例の決定をするか、それが問題。汚染型負荷と消費型負荷のトレードオフの最適形態を誰が決めるのか。

C先生:こと温暖化について言えば、COP3の数値目標以外に新たに目標を定める必要は無いだろう。当面、2008〜2012年までの目標は、不完全ながら決まっているのだから。
 さて、そろそろ結論に行くか。環境基本計画が環境指標を完全に記述できるほど上等なものになったら、われわれは環境研究を喜んで止めよう。汚染型環境負荷の将来の数値目標を記述するだけに留まったら、われわれは当然のこととして環境総合指標の研究を継続しよう。われわれは、科学的方法論に市民・研究者の知恵を埋め込んだ新しい方法論の創生を目指す。さてどちらになるか楽しみだ。


影の声:「これが環境だけを本業としていないC先生の気楽さかも」、「自分の研究は何が何でも継続しないといけない、これが通常の研究者の本音だから、研究を止めるなど絶対に言わない」、「環境研究者にとっては、環境問題だらけが本音では望ましい」、、、、、、、、、、、