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アモルファス構造と環境・社会 08.02.2000






以下のような拙文を、7月31日の日刊工業新聞の「私の主張」欄に掲載していただいた。

アモルファス構造と環境・社会    安井 至

 「アモルファス」という言葉はしばしば「非晶質」と訳され、「結晶」と対比される概念である。一般に、無秩序な構造を意味するものとされている。「アモルファスと結晶」、この両者は、単に構造が違うだけではなくて、それぞれの構造(世界)を支配している原則が、実は全く違うのである。不純物を添加した半導体には、p型、n型があるが、アモルファスでp型、n型を自在に作ることはかなり難しい。その理由は、アモルファスの世界では、それぞれの構成原子が、自らの個性を主張するからである。すなわち、新しい物性を得ようと、アモルファス構造によそ者の原子を導入しても、その原子は自己主張をして、自分自身に都合の良い構造をとる場合が多い。一方、結晶の世界を支配している原則は、全体主義であって、よそ者の原子にも、結晶を構成している原子と同じ構造をとることを要求し、その結果、原子価の異なるよそ者の原子は、ホール・電子を放出してn型、p型になることが多い。
 2000年5月、我が国は循環型を目指すことを宣言する循環型社会促進基本法を制定した。循環型にすることで環境問題の解決を目指すと、社会のすべての構成員にある種の規制を要求することになる。例えば、ゴミの分別の場合でも、5%の人がルール違反を行うと、材料としての再利用・再生にかなり問題がでてしまう。21世紀は環境の世紀と呼ばれており、これまでとは異なった原理・原則の導入が必須である。それでは、全体主義的、あるいは、懲罰的なルールによって支配された社会を作るべきなのだろうか。いや、とてもそのようには思えない。現代社会も、当分の間はやはり自由主義を基本ルールとすべきであると思う。すなわち、社会の構成員が自由を追求しつつ、全体としての発展を目指すべきように思える。それでは、自由気儘な全く秩序の無い個人主義的な社会を作るべきなのか、と言えば、それはまた違うように思える。
 全体主義に支配されている結晶は、熱力学的にアモルファスよりも確かに安定である。また、ある種のアモルファスは不安定で、簡単に変化して結晶状態になる。しかし、瓶などに使用されるソーダ石灰ガラスは、1億年程度はアモルファス状態を維持することが可能であると思われ、「非常に安定なアモルファス」である。それは、なぜか。各原子が自らの個性を主張しつつも、少しずつ譲れるところを譲って、全体としては、結晶とあまり違わないエネルギー状態を実現しているからに他ならない。すなわち、個人主義が社会全体と調和しているのが、安定なアモルファス構造である。
 21世紀の環境問題の解決を目指す社会の場合にも、その極意は恐らくこのあたりにある。自らの個性を発揮するために、本質的な事柄に関してはしっかり自己主張をしながらも、社会全体のあるべき秩序を意識して、他人や社会に対してきちんとした心遣いをもって譲れるところを譲り、全体としての合理性を追求する。こんな社会が真の発展をもたらすのだろうと思われる。
 現時点の日本の社会を振り返ると、残念ながら、自由と気儘さだけが追求されている「自分主義社会」に近いように思われる。すなわち、自由を享受すると見返りとしてすべての人に課せられる義務、すなわち、「他人への思いやりと社会的合理性の追求」、が不足気味である。この不幸な状況を改善するという口実が勢いを得て、結果として、全体主義的な、あるいは、懲罰主義的な社会に向かわないことを切望する次第である。



C先生:諸君たちのご批判をいただくか。

A君:アモルファス構造などという言葉は、奇異以外の何物でもないのでは。

B君:ガラス構造といったって、ガラスがなぜ大きなものが作れるのか、どうして透明なのか、といった説明なしに、こんな話をしても分からない。

C先生:厳しい指摘で。最近、環境倫理とか技術者倫理とかを考えなければならない立場になってしまったもので、個人と社会の関係にかなり関心があるのだ。先日の環境倫理・技術者倫理のところで、「日本という社会は、無宗教だ」、などと書いたもものの、実はかなり気になっていて、無宗教について議論している本などを読んだりしている。これについては、また機会を改めたいが、どちらかといえば、これまでの日本社会は、社会全体の秩序、村の秩序を重んじる社会だったから、いわば結晶型だった。個人の個性は殺して、村社会に適合せよ。平凡であることが最良で、悪いことをやって目立つのは論外だが、余り善行をやりすぎて目立つのも同様に悪であるという考え方だ。そのようにしてできた村社会が、集合体として能力を発揮するから、日本全体にとって有用であるという理屈だった。

A君:ところが、米国型文明が侵入してきた。この文明の特徴は、個人の信条がかなりはっきりした社会で、また自分を目立たせることによって始めてよい暮らしができる。それが大きな自動車、大きな家、大量のエネルギー使用による快適な生活=American Way of Life。

B君:平凡を良しとした社会に、個性を主張する文明が入ってきた。そして結果として、自分だけを重要だと思う世界になってしまった。人は人、自分は自分。しかし自分の方が当然重要。

C先生:それが現在日本版アモルファス社会だと思っている。この世界では、それぞれの原子は自分の都合のよいような周辺構造を作る。だから全体としては不安定な社会で、外乱を加えられると、より安定な結晶に変化する。しかし、アモルファス状態である故に、結晶粒界などという光を散乱するような妙な部分が無いから、大きな透明な板状にできる。

A君:要するにガラスはアモルファスでなければ、通常のサイズの窓などに使えない。

B君:現代日本はアモルファス社会か。最近、不安定な兆候が多く見られる。

C先生:ところが、板ガラスは、高温に加熱でもしない限り、ほぼ無限時間アモルファス状態を保つ。本来不安定なアモルファス構造の社会ができてしまって、これを再び結晶社会、すなわち、村論理によって支配された社会に戻すのは好みではない。となると、少しでも安定なアモルファス社会にするしかない。それに必要な要素は何か。これが議論したかった。多分、個人がそれぞれお譲れるところはどこかを考え、すべての個人が均等に譲る。これが極意だと思った次第。

A君:現代の日本は、やったもの勝ち。せこい人間の勝ち。

B君:それでは、まもなく日本社会は崩壊するか、あるいは、昔の村社会に戻る。

C先生:それよりは、よく周囲を見て他人のことを考え、また、時間的に先のことを考え将来に思いを馳せようという主張。ついでに、日本人とは何か、また、地球とは何かなどを考えて、自己中心的発想から脱却できれば、という甘い考えなのだ。