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  絶対に大丈夫ですか? 10.07.2001




 狂牛病の騒ぎが収まらない。武部農水相が何か発言すると、それに対してレポータが、「それでは絶対に大丈夫なんですか」、と質問している。農水相としても、当然ながら、「絶対とは言えないが、危険性はほとんどない」といった答えにならざるを得ない。
「絶対」などこの世の中に存在しない。だから、この種の質問を禁止しない限り、何にしても安全に関わる問題は解決しないのではないか。
 今回も使う参考書は、前回と同じ「放射線と健康」岩波新書715である。なぜならば、放射線の話が最も確実な判断ができるからだ。それに比べると狂牛病の異常プリオンは未知の部分がかなりある。だから絶対と言われるとつらい部分がある。常識的な判断を加味すれば、日本で死者がでる可能性はゼロだろうと推測はできるが。
 今回は述べないが、化学物質はかなり怪しい。特に、化学工業関係者は、来年の今ごろ発生するであろう、PRTRに関わる同じ議論のために、今から、しっかりと対策を練っておくべきだ。


C先生:今回の狂牛病騒ぎを見ていて、「農水省の見通しの甘さ」、「省庁間の壁の高さ」、「一般市民より壁の内側が重要で、その壁内部の村しか見ていない役人の意識」、などがどうしようもない様々な状況が招いたことなのだが、それはそれとして、レポータが「それなら絶対に大丈夫なのですか」という発言を聞いて、これでは駄目だと思う。世の中、絶対などいうことは絶対に無いからだ。

A君:その最後の「絶対」は正しい使い方ですね。しかし、絶対に大丈夫ということは無いにしても、そもそもどういう心境で出る言葉なのでしょうか。

B君:それは決まっている。自分が牛肉を好きなだけ食べたとしても、狂牛病で死ぬ確率が完全にゼロだということさ。

C先生:確かに。市民感情としては、完全ゼロ発想は自然だ。そんな発想にならざるを得ないのも至極当然なのだが、実は「完全ゼロ」はどこにも無いのだ。やはりどこかで、意識の壁を乗り越えないとね。この問題とは直接関係ないように思えるのだが、地球の限界が見え始めた環境問題の解決には向かわない。

A君:しかし、「完全ゼロ」は、「完全ゼロエミッション」という発想とか、「完全リサイクル」とか言って、環境保護側もしばしば使いますが、これも、もともと間違いなのですね。

B君:だからといって、リスクという考え方は、なかなか受け入れ難い。難しい概念だし、そもそも命がある確率で失われるといって、それを受け入れる気にはならないよな。

C先生:いくつかのキーワードが存在するようには思えるのだ。その一つが、「自然レベル」だ。もう一つが、「生物としてのヒトのメカニズム」。そして最後が、「前回もやった損失余命だ」。

A君:「自然レベル」、これが今日の話題ですね。この言葉は、なんだか懐かしいですね。久しぶりなのでしょうか。

B君:そうかもしれない。要するに、ヒトの命を支えている自然システムがもつリスクはゼロ以外の値をもつという理論。例えば、食品として認められているものも、リスクはゼロではない。結構高いリスクを持った食品・飲料・嗜好品が許可されたりしている。その代表がタバコとアルコールなのはご存知の通り。

C先生:タバコとアルコールの場合には、その危険性を認識して摂取する人が多いから問題ない、とされている。しかし、そのリスクというものを、例えば、ダイオキシンのリスクと直接比較するといったことは行われないのが普通。今回、「自然レベル」の議論をやることにする。

A君:「自然レベル」が学問的にもっともきちんと分かっているのが、実は放射線の世界ですね。宇宙から降ってくる放射線、地面から出てくる放射線、さらには、体内に入っている放射線まできちんと分かっています。前回のHPでも取り扱われたわけですが、「多くの人々は、宇宙線や地面からの放射線を1年間に平均1ミリシーベルト浴びている」というのがそれです。

B君:その内訳は、まず、宇宙線が海面で0.27ミリシーベルト、世界平均で0.39ミリシーベルト。高地に住んでいる人は多い。ボリビアのラパスは、人口100万人、高度3900mで、ここだと、2.0ミリシーベルト。

A君:飛行機に乗ると宇宙線を受ける量が増える。旅客機が8000mのところを飛ぶとして、15時間の旅で、0.03ミリシーベルト。往復だと0.06ミリシーベルト。だから年に20回も米国出張をしているビジネスマンだと、それだけで、1.2ミリシーベルトになります。

B君:宇宙飛行士はもっと多い。1回の飛行あたり、0.5〜5ミリシーベルトになる。175日間宇宙にいたサリュート6号の飛行では、55ミリシーベルトだった。

A君:地面からも放射線が多いところがあります。平均では、0.48ミリシーベルトとされています。しかし、インドのケララ州では、17.4ミリシーベルトという放射線を受けている人がいるそうだ。スウェーデンのウランを含む岩の周辺では、なんと876ミリシーベルトという計算になる地域もあるそうです。

B君:体内のカリウム40なる元素からは、大体0.46ミリシーベルトだそうな。

A君:ラドンは、人間が浴びている自然放射線のうち、実効的には半分以上を占める。しかし、ラドンが問題になったのは、80年代に入ってからだそうです。それは、放射線の影響というものに関する理解が変わったからだとされています。
 昔は、放射線障害の代表は皮膚炎だったという時代があったそうです。その後、原子爆弾などからでるいわゆる死の灰が降るということで問題になったのは、「奇形児」「白血病」で、そのために、骨髄や生殖腺に対する被曝が問題でした。この時代には、ラドンは問題にならかなったのです。それは、ラドンはほこりと一緒に肺に吸い込まれてそこでα線を出すのです。生殖腺や骨髄に対する影響は無いからでした。

B君:ところが、その後、大きく状況が変わって、1977年に、「低線量放射線防護で重要なのは、遺伝もなく、白血病でもなく、『固形がん』だ」、ということになった。固形がんというのは、乳がん、肺がんといったありふれた種々のがんの総称。

C先生:そんなところだ。実は、天然の放射性核種であるラドンは、鉱山のようなところでは、かなり昔から肺がんの原因だったらしい。毒物学の元祖とみなされているパラケルスス(1493〜1541年)は、ドイツとチェコスロバキアの国境に広がる鉱山での病気について、その原因をヒ素などを含む鉱石粉塵が原因だとした。当時は、山の霊のたたりなのだ、と考る人が一般的な時代だったから、いかに優れた発想であるかを示している。

A君:パラケルススは、「ある物質が毒であるか毒でないかは、その摂取量による」という毒物学の基本を作った人で、現代人のすべてに、この15世紀の知識があれば、余り問題にならない問題が今起きているのですね。

B君:そして、この山の病気が肺がんであり、その原因がラドンであることを主張したのは、1924年であるとされている。

C先生:そろそろ本題に戻って、それならば、人体に対して無害な放射線の量はどのぐらいか、ということをどのように議論しているかを見てみよう。

A君:現在の放射線に対する線量限界は、いわばどこまで我慢ができるかという限界で、数値的には次のようになっています。

         従事者          公衆
1977年  50ミリシーベルト/年   5ミリシーベルト/年
1990年 100ミリシーベルト/5年  1ミリシーベルト/年


B君:なんか微妙に違うな。単に低下しているだけでもないし。100ミリシーベルト/5年というのは、20ミリシーベルト/年とも微妙に違う。

C先生:いずれにしても、これらの値はいわゆる閾値ではない。それを超したからすぐどうだ、という値ではない。その説明をして欲しい。

A君:これらの数値が決まったのは、実は、両者で根拠が違うのです。まず、1977年版が決まった根拠ですが、次のように説明されています。
 
「放射線に関係の無い職業でも様々なリスクがある。そのなかで、もっとも安全性が高いと評価されている職業では、職業上の危険による平均年死亡率は1万分の1を超さない。したがって、放射線作業でも、平均死亡率が1万分の1を超えなければ安全な職業だといえる。それを放射線による77年の勧告のリスク係数から算出した値が5ミリシーベルト/年。この値を確保するには、これまでの経験上、年限界の1/10超す場合はほとんどないので、50ミリシーベルト/年を線量限界とする」。

「対公衆としては、作業員の10倍の安全性を確保する」。

B君:5ミリシーベルト/年が50ミリシーベルトになる最後のところが分かりにくいけど、大体の論理は分かった。

A君:1990年の論理は、もっと複雑ですね。

「職業被曝にについては18歳から65歳まで、ずっと放射線を浴び続けるとして、モデルを作る。毎年10、20、30、50ミリシーベルトを浴び続けるグループを想定して各グループことの死亡確率を計算して、その結果、容認可能なレベルとして、5年間で100ミリシーベルトという値を決めた。そのときの損失余命は、18歳の場合には0.5年になる」。

「公衆の場合には、被曝を一生涯受けたとして、容認可能なレベルを職業人より一桁下の1万分の1にして求めた」。

B君:そして結果的には、自然放射能=自然レベルの1年分を人工的な原因で浴びるというものが公衆のための基準になっている、ということか。

C先生:論理は極めて複雑怪奇なのだが、最終的に決まった線量限度が自然レベルと同量というところが、なかなか含蓄が深いところでもある。結果的には、職業暴露の場合で18歳の損失余命が0.5年と比較的大きくなっている。公衆だと、0.05年=18日程度になるのだろう。
しかし、これは閾値ではないし、次回以降にでも述べるように被曝量と発がんとが線形であると仮定した関係を使っているので、実は、相当の安全サイドに振った話だということになる。

A君:このように、放射線については、相当な知識に基づく理解が必要ではありまして、JCOの事故のときなどで、レポータが「絶対に大丈夫なんですね」という発言が、いかに感覚的なものに過ぎないかがわかります。

B君:やはり、一般市民としては、自分の命が1秒で縮まるのはいやだという感触で、これとこのようなリスクの考え方は永久に交わらないのかも知れない。

A君:しかし、狂牛病の場合には、英国の状況、ヨーロッパの状況を日本の状況に被せることによって、死者はまずゼロだということが確率的には分かりますね。しかし、絶対にゼロか、と言われると、やはりなんとも言えませんが。

C先生:今後、狂牛病に限らず、来年発生が予測される化学物質のリスクコミュニケーションについても、どのように説明することが、市民に理解されるのかという点を十分に検討しておく必要がある。
そこで、リスクの自然レベルというものを基本として、そのリスクとほぼ同じというあたりを一つの基準として採用し、それで説得が可能かどうかといった検討をはじめておく必要があるのではないだろうか。