香港を離れる日を、阿玲には知らせなかった。今思えば彼女の、私から全幅の信頼を置かれているという自信のようなものを裏切ってみたかったのかもしれない。
私は明らかに、彼女の何かに抵抗していた。
その何かが何なのかは未だ以ってわからない。わずかな隙間から水が流れ込んでくるのを感じた。
それは私の体温に触れるとゼリー状になり、罪悪感の底にいつまでもドロドロと残った。
成田行きのエアチケットは、男に借りた金で買った。その日、見送りに来た啓徳空港のロビーで男は、
「またここに戻ってくるなら、その時は一緒に暮らそう」と言った。私は素直に頷いたが、
その時男がどんな顔をしていたか、飛行機に乗った時にはもう覚えていなかった。
東京に戻った後はすぐ、新たなバイトに精を出す日々を始めた。さらに数ヶ月後、学費を払える目途もついたので、大学に復学の手続きをしに行った。
だが、いざ復学してみるとそこには妙な違和感があった。私が居なかった間に何かが変わったのか。
それとも私自身が変わったのか。おまけに、前年度まで同じ学年だった友人達は必然的に、
私の休学中に一年先輩になっており、講義に出ても周りは知らない顔ばかりだった。
学内では誰かと一緒に居ることよりも、自分の考えと向き合う時間の方が長くなった。
すると今まで直視を避けてきた自分の一番嫌な部分が、ここぞとばかりに早口で話しかけてくる。
私は無表情のまま混乱した。そんな時に限って、阿玲のことを思い出してしまう。
何かうまくいかないことがあって私が焦る度、「慢慢D。(急がなくていいのよ)」と言ってくれた優しい声。
彼女に何も言わずに香港を発ってしまったことが、取り返しのつかない後悔となって首を締めてきた。
自分は香港に居る間に、何か阿玲に残せるような言葉を探すことに、もっと時間を割くべきであった。
男の部屋でほんの一時互いの古い痛みを脱がせ合い、快楽を貪ることで忘れていたものは、そうした誠実な時間だったのだ。
自分が欲していた関係と、阿玲が欲していた関係、その二つが重なる面の上において自分ができることを、
私はもっと根気良く探してみるべきだったのだ。本当に彼女を好きだったのなら。
かけがえのないものを失くそうとしている、そう思うとじっとしていられなかった。
一刻も早く二度目の香港行きのエアチケットを手に入れるために、昼も夜もバイトの予定を入れた。
大学へはまたしばらく行かなくなった。だがそれでも待ちきれず、結局は一番仲の良いバンド仲間から数万借金した。
そうして踏んだ数ヶ月ぶりの香港の土。空港を出てすぐ阿玲に電話してみると不在だったので、
まず男に会いに行き、借りていた金を全額返した。そして阿玲には翌日にでも会いに行くつもりだったが、
残念ながら私はここでしばらく足止めをくらった。何しろ男とは久し振りに会ったのだ。
することなんて一つしかない。刺激性の快楽に私の良心は麻痺し、熱心に求めてもらえることの儚い満足感に酔い、
だらだらと日々を浪費した。
結局、阿玲と会えたのはそれから一週間以上経ってからだった。彼女は私が東京に戻ったことを、
だいぶ前に部屋を訪ねた時に知ったと言い、黙っていなくなったことを責めた。弁解の余地はない。
私は素直に謝った。そしてその先、慎重に言葉を選びながら口にしたことを、私は一生後悔しない。
私の気持を知った彼女は、まず「ありがとう」と言い、私に劣らず慎重に言葉を選び、ゆっくりと自分の話を始めた。
「あなたとの間のことは、時間を掛けて考えていきたいと思ってた。今は姉妹みたいな関係だけど、
いつか良きパートナーになれればいいなって。私はね、前の人との時、急ぎ過ぎて失敗しているの。
それにまだ、そこから完全に立ち直ったわけじゃない。未練とかいうものはもうないけど、
やっぱりまだ吹っ切れてないの。独りになると自分の失敗をクヨクヨ考えて、前に進むのが怖くなる。
また嫌われるんじゃないかって思っちゃうのよ。こんな状態で新しい恋愛を始めてもうまくいかないでしょう。
あなたは今、私にとってはママと並んで一番大切な人だから、急ぎ過ぎて失くしてしまうのが嫌なの。
・・きちんと気持の整理がついたら、こういうこと、あなたには話すつもりだったんだけどね。」
私は信じられない思いで彼女の話に聞き入っていたが、敢えて一つの疑問を投げかけた。
「じゃぁ、どうして以前、私にPeterとデートするように薦めたんですか?」
「あれは、私だってすごく悩んだよ。でもPeterにあの顔で頼まれて断れなくて。」
「でも全然平気なように見えたけど。」
「態度は心を裏切るのよ。あの時あなたが断ってくれてホッとしたんだから、私。」
「断らなかったらどうしてました?」
「家に帰ってから泣いたでしょうね。」
「だったらあの場で泣き出してくれた方が嬉しかったなぁ。」
「私はそんなことできる立場じゃないでしょう。"姉"だったんだもの。」
「"姉"だった」って?・・じゃぁ今は?・・"姉"以外の何かなの?・・と聞きたかったのだが、やめた。
きちんと言葉で彼女に気持を伝え、彼女の返事を聞けたのだから、その時点で私の香港での用事は終わったも同然だった。
本当はもっと一緒に居てゆっくり離島の方に遊びに行ったりもしたかったのだが、彼女の職場がちょうど繁忙期であり、
それは叶わなかった。だが私が東京に戻る日、空港で見送りをしてくれたのは彼女だった。
別れ際に彼女は私に「勉強頑張ってね」と言い、私は彼女に「阿玲も身体に気をつけてたくさん稼いでね」と言った。
それが、私達二人が直接交わした最後の言葉だった。
その後、私達はかなり密な文通を続けていたが、ずっと会わずにいる内、彼女の方に恋人ができた。
私にとってはショックな事実だったが、仕方ないことだった。少なからず葛藤することがなくもなかったが、
私はそのまま姉妹のような友達でいることを選んだ。
一方、例の男と私との関係だが、実は阿玲に恋人ができた後に復活した。
だが物理的に距離のある二人の関係というのは、お互いが余程しっかりしていないと心許無いものになる。
夢中になった時期もあったが、常にどこか不完全燃焼であり、切れたり戻ったりしながらズルズルと続いた。
しかしそれも一昨年の冬、ある事件をきっかけに完全に終わった。
結局それから、97年を目前に阿玲は恋人と共にトロントへ移住した。
それを境に手紙の数はめっきり減ってしまったが、今でも年に一回のバースデーカードはお互い忘れない。
そして依然そこには必ず最後に、「姉より」「妹より」という暗黙の了解が姿を消してはいない。
1999-10-21
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