ある仲間内では「隠れ家」と称されている都下の寂れた映画館で昨日、久し振りに映画を二本見た。
普段あまり喜怒哀楽を表に出さないような人間にとって、映画鑑賞とは、「本来の感情」発散の恰好の機会なのかもしれない。
映画館のシートに座り、場内が暗くなった途端、銀幕の内と外との境界は極めて曖昧なものとなり、
するとここぞとばかりに、特定の登場人物に対する過剰なほどの感情移入も同時に幕を開けるのだ。
そこでは、宙に浮いたまま悪徳のシンボルをズダダダダダと足蹴責めにしてやることができる。
時々光の加減で身体を吊っているワイヤーが見えてしまっても、そこですかさず「あいろっふゆ。(I Love You)」
と訛りまくった英語で辮髪共々愛嬌を振り撒けば全てはなかったことになる。
また、美しい有閑マダムに「揚げパンはお好き?」と聞かれた時はたとえ「ジャージャー麺の方が好きです」
と思っていても敢えてニッコリ頷こう。そして闇社会に命を狙われたら、愛しいあの娘を無理矢理遠くへ逃がした後、
奴等の縄張りにたった独りで踏み込んで行く。そう、所詮戦う時はみな独りなのだ。
あのアンパンマンでさえ「愛と勇気だけが友達さ」と豪語して憚らない。ふっ、泣かせるぜ。
とにかく、彼等に己の一部分を無責任に投影して泣き、笑い、怒り、苦しむ分には、
そこに在る感情の動きにいちいち照れることもない。嗚呼、何という開放感。非日常擬似体験。
映画よ今日もありがとう。だが、一つだけ困ることがある。
というのは、最後の最後で泣かせる映画に当たってしまった場合、
こっちはもう取り返しのつかない状態になっているトコロだというのに、
イキナリ会場の明かりが点くのが困ってしまうんである。
その瞬間、「あぁちょと待て!」という心の声は誰にも届かない。近隣の席の人々は立ち上がりさま、
涙と鼻水その他で放心して廃人のような形相になった私と目が合うと、
必ずギョっとした顔になる。そんな目で見ちゃいやん、と思う。
映画を見て泣く人というのは結構いるはずなのだが、どういうことか明かりが点いた時には皆一様にケロリとしている。
そんな時は、私も仕方なくヨロヨロと立ち上がり人々と共に出口に流されながら、「私ばかり何度もイっちゃってごめんね。」
にも似た、恥喜こもごもな後ろめたさを禁じ得ないのである。
1999-10-18
|