阿玲と私は、それから結構頻繁に会うようになった。二人だけで会うこともあったし、阿玲の友達が一緒のこともあった。
どちらにしても、学校の中であまり友達を見つけられなかった私にとっては、充分心温まる時間だった。
留学生の中でも、韓国人や日本人は基本的に群れを作る性質があり、校内では常に群れ単位で行動し、
他者を寄せ付けない雰囲気があった。そして私は、そのいずれにも馴染めなかった。
だが、阿玲のつてで現地人の友達が次第に増えていった。阿玲が連れて来るのは主に、彼女自身が携わる自主映画グループの仲間達だった。
皆、それぞれ独特の雰囲気を漂わせて生きていた。それまで日本でバイトと勉強だけに明け暮れていた私は、
彼等/彼女等を通して未知の世界を見、多大な刺激を受けた。
以後、彼等/彼女等ともっと親密になりたいがために、学校の勉強にも熱が入り始めた。
「わー、もうそんなに話せるようになったのか!」
「亞美、広東語うまくなったわねぇ!」
そう言ってもらえるのが嬉しくて、とにかく必死で勉強した。が、もちろん褒めてくれるのは彼等/彼女等の優しさであって、
実際に私がメキメキと会話力をつけていったわけではなかった。広東語は、一見あけすけで語気が強く、
そのくせ変に繊細なところがあって、学ぶには非常に難しい言語なのだった。
わからない事は学校で教師に聞くよりも彼等/彼女等に聞いた方が早く、理解しやすかった。
また彼等/彼女等は、香港の若者言葉やスラングなどを、会うたびに発音ごと伝授してくれるのだった。
「友達同志でいちいち"ネイホウ(こんにちは)"なんて言わなくていいんだよ。」
「そうそう。"ハーイ!"でいいのよ。」
「初対面の時もね、"ハーイ、アタシ尹R美。亞美って呼んでね。"っていうのが一等ナチュラル。」
「で、女の子ひっかける時はぁ、"ヘイ彼女ぉ、タイプだわぁ。グッときちゃう。"」
「ハハハハ。その後、"これからアタシとドップリ契らない?"で一丁上がりかな。」
そんな調子で、放送禁止の四文字言葉をはじめとしたあらゆる「お行儀の悪い広東語」
を彼等/彼女等はラジオ講座の先生よろしくバカ丁寧に発音し、私にリピートさせて喜んでいた。この様子を見ていた阿玲は苦笑しながら我々をたしなめたが、
お蔭で難しい発音や独特の言いまわしをいくらか覚えた私は普段の買い物先で店員とのやりとりに窮することもなくなり、
ある時は学校の授業でも教師に褒められたりした。
「尹小姐、便利な言い回しを知っていますね。どこで覚えましたか?」
「はい、最近友達になった香港市民に教わりました。」
「それはいいですね。他にどんな言い回しを教わりましたか?」
「"ヘイ彼女ぉ、タイプだわぁ、グッときちゃう。アタシとドップリ契らない?"・・です。」
途端、教師の顔色が曇った。教室の皆は一同ポカンとしている。
しばしの沈黙の後、教師は言葉を選びながら声をひそめて忠告した。
「尹小姐、人それぞれ、交友関係は自由です。ただ、私は何となくあなたのことが心配ですね。
今のような言い回しを使う機会が訪れないことを祈りますよ。」
教師の顔は真剣だった。私が使った言い回しは、今思えばスラングだらけの、堅気の大人には理解不能な広東コギャル語だったのである。
私は素直に「はい。知識としてのみとどめておくつもりです。」と答えた。
だからといって阿玲や、その友達との楽しいつきあいを変えるつもりは勿論なかったけれど。(つづく)
1999-08-04
|