かつて一度だけ、ツーショットダイヤルという所に電話したことがある。
当時、私は香港で一人暮しを始めたばかりで、まだ広東語は殆ど話せず、特に親しい友達もできず、
学校の授業はついていくのがとても難しく、少々メゲた気持になっていたのである。
そんなある日、夜食を摂りに入ったゴハン屋のテーブルで、一枚のチラシを見つけた。
グレー地にピンクの♀マークが幾つも折り重なっており、その下には太字のブロック体で
「我要女同志。」
と書かれていた。どうやら、同性愛・両性愛専門のツーショットダイヤルのチラシであるらしかった。
何となく興味をそそられた私は、一枚折ってたたんで、ジーンズのポケットに入れて帰った。
それから数日間、部屋でそのチラシを取り出しては眺め、「ここで女達はどんな会話を交しているんだろう」
などと想像の海をウダウダしながら漂っていたのであるが、ある日とうとう勇気を出し、
そのチラシに印刷された電話番号のうち1つをダイヤルしてみた。
人恋しさと、好奇心。
電話は1コールで取られた。素早い。私はびっくりして、思わず受話器を置きそうになった。
が、相手の女性の声がとても優しく落ちついているものだったので、思いとどまることができた。
喩えるなら十月の夜の雨音。低く湿った、それでいて暗さは感じられない、柔和な大人の声だった。
私が留学生だということを知ると、わざわざ英語で話してくれた。
つきあってた人と別れたばかりで人恋しくて、胸がザワザワして、とにかく誰かと会話がしたかったんですよ、とその女性は言った。
それまで、ツーショットダイヤルというものは一夜の相手を求める人々が利用するのだと思いこんでいた私は、
もっとガツガツした生々しい雰囲気を想像していたので、それを聞いて少々拍子抜けすると同時に、ホッと緊張が解けた。
簡単な自己紹介の後、取りとめもなく世間話やお互いの趣味の話を20分くらい。
彼女は映像に興味があり、学生時代の友人達とグループで自主映画を撮ったりしていると言った。
私が学校で出される課題の話をすると、彼女は「じゃぁ、あんまり長電話になるとご迷惑ですね」と気を遣い、「もしよかったら、また話し相手になって下さると嬉しいんですけど」
と言って自宅の電話番号を教えてくれた。意外と無防備。
「それじゃ、早速明日にでもお電話していいですか?」
「ええ。昼間は仕事で居ませんけど、夜は8時過ぎなら大抵帰ってます。」
「わかりました。じゃ、今夜はこれで。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。よく眠ってくださいね。」
電話を終えた後、しばらく一人でニヤニヤしていた。久しぶりに人間相手にまとまった話をしたなぁ、という感じだったので、
胸がスッキリしたのである。よりによって初めてツーショットに電話して話した相手がとても感じの良い人だった、
ということが何だか奇跡のようでもあり、これから何か変わったことが始まるかもしれないという予感も手伝って、
その晩はなかなか寝つけなかった。(つづく)
1999-07-15
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