【Skin-Headz A Go-Go】

この度 思うところあり、出家して しばらく山篭りをすることに決めた。 実は、少し前から考えていたことであった。先程、菩提寺で得度式を終えてきた。 法名も授かってきた。これで私も一人前の雲水の仲間入りである。 私は人一倍 煩悩の強い人間であったが、それも昨日限りで終ったわけだ。 この得体の知れない不安を消し去るために 一人黙って 剃髪した。 私の七情六欲は もう既に この世のものではないのだ。

・・・というのは嘘であるが、昨年のちょうど今頃、私の頭は青々のツルッツルであった。 街を歩く度に、「マルコメ味噌のCMに出てみないか?」というスカウトマンに付きまとわれて苦労したものだ。 ・・・というのも嘘だが、いわゆる「おなべバー」のスタッフとして働いてみないか、と、ある店の店長から再三に渡ってラブコールがあったのは事実である。 「こんなに男前なコは見たことがない。」と、その店長は言った。ふといい気になりそうな自分がいたが、 多分こういうセリフは勧誘の際の決まり文句である。つまり誰にでも言ってるわけね。

ところで何故よりによって一年前の私がスキン・ヘッドだったかというと、当時ストレスから円形脱毛症のひどいやつになってしまい、 もともとショートカットだった我がトサカは大変なことになっていたのである。もうどうやってもごまかしの効く状態ではなかった。そこで、

「だったらいっそのこと剃っちまうか!Punks Not Dead!」

と、まぁそんな単純ないきさつで、「女の命」とまで言われる髪を剃ることに。お客さん、本当にいいんですかい?はい、いいんです。 ジャリっといっちゃってくださいな、ジャリっと。いやぁ、お客さん見た目よりも髪が堅いんスねぇ。 えぇ、寝ぐせがつきやすくって困りものなんですよねー・・・と、独り美容院ごっこを呟きながら、 借り物のバリカンで己の頭を丸めていく私。ためらいがないと言ったら嘘になる。 でも、いいの。もういいのよ。京都に独り庵を立て、仏に仕えながらひっそりと暮らすわ。・・ウィーン・・ジャリジャリジャリ・・・。

そんな、ギリギリな金曜の夜だった。翌日は仕事が休みである。そこで私の脳裏に突然、素晴らしいアイディアが閃いた。 「そうだっ、週末はモヒカンで過ごそう!!」・・というわけで早速、頭の真ん中に3センチ幅くらい髪の毛を残し、合わせ鏡をしながら後頭部の髪幅も真っ直ぐ揃えていったのだが、 それは結構重労働なのであった。一応形がきまると、あとは櫛とハサミで毛先の長さを揃えていく。

だが、私はこれだけでは納得しなかった。PunkRockを識ってから既に10年の月日が流れていたのである。 どうせなら金髪にしたい、いや、せねばならぬと思った。 すぐさま帽子を被ってコンビニに走り、ブリーチ液を買う。モチロン一番強力なヤツである。 約2時間後、埼玉にもいっぱしのパンク・キッズが誕生した。ファッション・パンクスなんてアタシは認めませんよ、と虚空に向かってうそぶいてみる。

その後、土日は用もないのにそこら中を練り歩いた。友達にも見せに行った。みんな引きつった顔で「うっ、いいね。」と言ってくれた。 バンド仲間と一緒に写真も撮った。もちろん中指を立てるのは忘れちゃいかん。 そして日曜の夜、モヒカンに別れを告げた私は晴れて36代マルコメ君となったのである。 会社で問題になるのではないかという予想もちらりと頭をかすめたが、社則の中に「女子社員の剃髪禁止」という項目はなかったので堂々と出社することにした。 結果は、取りたてて何事もなかった。最初はかなりビックリされたものの、私が円形脱毛症になっていたことはほとんどの同僚が知っていたことだし、思いやりで何も言わないでいてくれたのだろう。 それどころか、「尹さんの頭撫でてみた〜い。」という女の子が寄ってきて、私はかなり美味しい思いをした。

だが、やはり季節が冬だったので非常に寒かった。髪の毛が無いだけでこんなに違うのか、と実感。 外出時には毛糸の帽子が手放せなかった。興味のある人はゼヒ、剃ってみてね!

そんな私の髪も、1年後の今となっては耳が隠れるくらいまで伸びている。円形脱毛症もない。 普段、あって当り前のものが失くなるというのはこういうことなのか、と、身を持って知る貴重な経験であった。 自分の場合は「モヒカン→マルコメ」という発想を楽しめたために髪が無いことがさほど苦痛には感じられなかったが、 そうでない人(特に女性)にとってはもう一歩も外へ出たくなくなるようなことなのかもしれない。

ふと、出家しようと剃髪する人、加行へ出掛けるために剃髪する人は髪を落とす時、何を思うのだろうかと考えてみた。 「己の煩悩を髪と共に剃り落とすのだ。」と言って剃髪し、E寺にこもった私の学生時代の恋人が数ヶ月後、 行を満了して東京に戻って真っ先にしたことは、家に帰るよりも先にまず電話で私をラブホに呼び出すことであった。 年若い彼等、それも自ら進んで出家を望むのではなく、自坊を継ぐために仕方なく髪を落とす者にとって、 入山前のそれにどのような意味があるかを問うこと自体がナンセンスであるのかもしれない。 人間と生まれたからにはみな、多少の差こそあれほぼ同様に生身なのである。

1997-12-22


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