【名付け親】

(今回の記事は、事実を基に再構成したフィクションです。)

こうして義之と二人で喫茶店のテーブルを挟んで向かい合うのは何年ぶりだろう。義之は謂わば、私の元彼であるが、今は私のかつての親友だった女性と結婚して二児の父となっている。今回、なぜ突然に彼が私を此処に呼び出したのか理由は測りかねたが、久しぶりに聞いた電話越しの彼の低く優しい声に、ノーとは言えず出掛けてきた。

「話って、なに?」

「実は、今日は君にお願いがあって来てもらったんだけど。」

「うん。」

「名付け親になって欲しいんだ。」

「名付け親?」

「もうじき、三人目の子供が産まれるんだ。」

義之は、切れ長の眼を伏せて照れくさそうに笑った。私はそれを見て、胸の奥がジクリと痛むのを感じた。彼は、私がまだ彼に未練を残していることを知っているのだろうか。私は彼の無神経さにイライラしながら、それでも彼を憎むことができなかった。私は、平静を装って答えた。

「へぇ、そうなんだ、おめでとう。」

「産まれてくるのは、男の子なんだ。だから、男の子の名前を頼むよ。ほら、君は言葉を色々と勉強してるだろ。一人目と二人目は俺が無理矢理考えたんだけどさ、元気な名前をつけたら物凄いヤンチャになっちゃってさ。だから今度はもう少し落ち着いた名前が欲しいと思ってるんだ。」

「奥さんはこのこと、知ってるの?」

「ああ。ひろみならきっといい知恵を貸してくれるはずよ、って言ってた。」

あの女、人の彼氏を横取りしておいて一体何を考えているのだろうと思うと腹の中が煮えくり返ったが、義之の昔のままの無邪気な笑顔を見ていたら、何も言えなくなった。やはり私はまだ義之のことが好きなんだ。結局、義之から何度も宜しく頼むと言われ、私は彼の三人目の子供の名付け親になることを承諾してしまった。

*****

数週間後、義之から連絡があり、無事三人目の子供が産まれたとのことだった。私は、子供の名前を書いた紙をバッグに忍ばせて、指定された病院に出掛けて行った。

病院に着くと、義之が、産まれたばかりの赤子をガラス越しに見せてくれた。

「わぁ。可愛い。目が義之にそっくりじゃない?」

「だろ?みんなそう言うんだ。上の二人が奥さん似だから嬉しいよ。」

「ところで早速名前のことなんだけど。」

「うんうん。」

「長男が翔一くん、次男が健二くん、だったよね。だから、三男はこういう名前にしてみました。」

私はバッグの中から「宥三」と書かれた紙を取り出して義之に渡した。

「あぁ、いいじゃない。宥三かぁ。オーケー、異論ないよ。この名前にするよ。やっぱりひろみに頼んでよかったぁ。」

「喜んでいただけて光栄です。一応奥さんにも相談してみてね。」

「うん、わかった。ありがとう。本当にありがとう。」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ。じゃ、私、帰るね。また何かあったら連絡して。」

「あ、ちょっと待って。あの、これ、受け取って。」

義之は、ティッシュボックス大の紙包みが入った紙袋を私に差し出した。

「これ何?」

「大したものじゃないけど、お礼。帰ったら開けてみて。奥さんと一緒に選んだんだ。」

「ありがとう。かえって気を遣わせちゃったね。じゃ、これで。」

「うん、気をつけて。」

私は義之に見送られながら、病院を後にした。

*****

部屋に戻り、病院で義之から手渡された紙包みを開けてみると、一面に悪趣味なビーズ細工が施された化粧ポーチが出てきた。「奥さんと一緒に選んだんだ」という義之の言葉が甦ってきて、その途端、私は抑えようのない激しい怒りに翻弄された。気がついたら、ポーチにザクザクとハサミを入れていた。バラバラバラ、と音を立てて、ビーズが床に飛び散った。

私は慟哭しながら、ビーズが取れてズタズタになったポーチをゴミ箱の中に叩き付けた。

*****

どれほどの時間が過ぎたのだろう、やがて涙も枯れ果て、私は少しずつ冷静さを取り戻していった。義之の三男は、このままいけばほぼ間違いなく「宥三」という名前を付けられるだろう。「宥三」・・・実はこの名前は、音読みだと「ゆうぞう」だが、訓読みだと「ひろみ」ということになる。つまり、あの三男が私の考えた名前を付けられてこの世に存在する限り、義之は間接的に私の名前を呼び続けることになるのだ。

「ひろみ・・・ひろみ・・・」

かつて行為の最中に、途切れ途切れに私の名前を呼んでいた義之の湿った低く優しい声や、武骨な指の感触を私は今でも反芻することがある。

「宥三」という名前は、私から彼等に対する密かな復讐でもあった。

私は執念深い嫌な女だ。
我ながらそう思った。


2008-10-24


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