【長崎写真帖・2005秋-2】
■ 平戸
平戸は、長崎県北西部に浮かぶ島だ。現在は平戸大橋によって本土と陸続きになっている。写真は平戸城天守閣。空の青に映ゆ白壁が美しい。
ちなみに平戸城は5階建てで、最上階からは平戸の街並みや美しい海を見下ろすことができ、中は歴史資料館にもなっている。しかしこの日は歴史云々よりも敷地内のスズメバチが攻撃的で(多分近くに巣があるのだろう)、危うく刺されるところだったという方が記憶に残ってしまった。
さて、平戸城をあとにして聖フランシスコ・ザビエル教会に向かう途中の坂道。仏教寺院の向こうにキリスト教会の建物が見えるという、長崎ならではの奇妙な光景に出遭うことができた。
で、その坂道の途中の日陰で涼みつつ毛づくろいに余念がない猫。もしや寺猫か?
聖フランシスコ・ザビエル教会の外観。with みっぴー。
教会の中。キリスト教徒ではない私も、ロマネスクな様式美をとっくり堪能。しばしの沈黙。
■ 西海橋
全長316b、高さ42bのアーチ状橋。下は海だが、見下ろせば幾重ものうず潮に目が眩み、足も竦む。
西海橋付近には多くの猫がいた。この時、私が見ただけでも7〜8匹はいたのではないか。おそらく、近くのいけす料理屋で餌付けされているのだろう。どうりで毛ヅヤが良いわけだ。
■ 長崎市街
長崎駅。ここから電車で、バスで、路面電車で、と交通手段には事欠かない。私はもちろん路面電車を選択。
地元の人達には「新地」と呼ばれる小さなチャイナタウン。その一角の店で山盛りの皿うどんを食べた。美味。その後、雑貨屋などをひやかしてみるも、法外な価格に財布の紐は緩まず。
唐人屋敷址を散策中、福建會館と看板のある建物と、その主を発見。え?見えない?では拡大。
私が主だ。文句あっか。
で、お約束のオランダ坂まで足をのばして・・・。
平和公園にやってきた。実は、今回の旅で私は、どうしても訪れたいと思っていた場所があった。それが、この平和公園に隣接する原爆資料館だった。夫のEN-SHOW君からは「ひとまわり見学したら3日ぐらいメシが喉を通らんごとなる」と聞かされていたので、それなりの覚悟をして臨んだ。
2年ほど前だったろうか。或る日、義母(EN-SHOW君の母親)が突然、一冊の古びた手帳を出してきて、いつもの彼女とは違う低く抑えた声で話を始めた。
「これは被爆者手帳っていってね。原爆の被害を受けた日本人のほとんどが持ってるの。私はね、原爆が落ちた時は市外にいた。でも、姉が学徒動員で市内の工場で働いていたから、彼女を探しに翌々日ぐらいに市内に入ったのね。でも彼女はいなかった。多分即死だっただろうって後から聞かされた。優しい姉だったのにね。何で死ななきゃいけないのかって、すごく悲しくて泣いたよ。でもね、そんなふうに悲しんでる間もなく今度は私の身体がおかしくなった。全身がパンパンに腫れて、顔なんかボールみたいになっちゃってね。病院に行ったら、私と同じようになった人達がたくさん居た。死んでった人もいた。私は幸い、死ななかったけどね。多分、生かされたんだろうね。生きて、このことを未来に伝えていかなきゃならないから。あれから何度も身体の具合が悪くなって、何度も入院して腫瘍を取る手術をしたりしたけどね、今もこうして生きてるんだよ。だけど、いつまた具合が悪くなるかもしれない。今度こそ死ぬかもしれない。そう思いながら生きてる。今までもそうだったし、これからもそうだと思う。尹ちゃん、私が死んでも、私が今日話した、このことを覚えていて。どんなに無残な姿で死ぬかもしれない。その時は、これが原爆の被害なんだって、心に焼き付けて私を送ってちょうだい。」
本当はもっと長くて痛々しい内容だったはずだが、あまりにも悲惨すぎて心が拒否反応を起こしたのだろう、こんな感じでしか覚えていない。私は、いつもニコニコ笑っている気だての優しい義母が、こんな壮絶な恐怖と覚悟を持って日々を暮らしているという事実に胸を突かれた。原爆というものについて、もっと知らなければ、と思った。
正直に言えば、それまでの私は、日本に原爆が落とされたのは仕方のないことだと考えていた。日本に原爆が落とされたからこそ戦争が終わり、私の本国は長年の植民地支配から開放され、自由になったのだと、教えられてきたからだ。しかし、原爆は、私の最愛の人の故郷を、母親を、深く傷つけていた。
原爆資料館の展示は、EN-SHOW君が言うほど悲惨なものではなかった。EN-SHOW君曰く、「俺が見学に来た時より展示内容がマイルドになっちゃってるよ、いかんな、これじゃ」。
本当は、どこの国にだって原爆など落としてはいけなかったのだ。私は爆心地の標柱の前で、あの日の義母の沈痛な表情を思い、涙をこらえることができなかった。反日であるはずの韓国人の私が、被爆者の義母をもつことになろうとは、何という因果であることか。
路面電車に乗り込む足が、こころなしか重かった。
様々な思いに耽りながら眺めた長崎の港夜景。それでも窓を開けたら風は優しかった。
2006-06-21
【回目録】 (C) 尹HM. 版権所有・不准転載.