【KAORI】

ブラフマンのアルバムの8曲目で川村かおりがコーラスをやっていることに今更気づいて思い立ったので、久々にポニーキャニオン在籍時代の川村かおりを聴いている。星空〜にぃハシゴ〜立てかけて〜君の〜住むぅ街を〜見下ろしぃたいぃなぁ♪なんつって、もう、思春期全開だ。うおー。

川村かおりのコンサートに、一度だけ行ったことがある。1993年1月23日・渋谷公会堂。当時大学生だった私は、カオリという彼女と一緒だった。というか、本当はこの彼女、「キョウコ」って名前なのだが、彼女自身がどうしても「カオリって呼んで」というので仕方なく「カオリ」と呼んでいた。(彼女は、川村かおりの熱狂的なファンだったからね。)

席は、1階23列目。後ろの方だが、ステージはまぁまぁ見える。オープニングは「レジスタンス」だったと記憶している。髪をショートにしてツンツンに立て、黒のスリムパンツ姿でギターを掻き鳴らす川村かおりは少年のようだった。客層は大半が、お母さん同伴の中高生。みんな、「憧れのオネーサン」を見つめる眼差しでステージに向かっていた。私も彼女も川村かおりとは同い年だが、なぜか肩身の狭さを感じた。

まぁ、コンサートのことは、ここではこのくらいにしておこう。私が書きたいのは、コンサートの後に起こったことだ。

その晩、渋谷公会堂を出てから近くのファミレスで彼女と食事をした。彼女はドリアセット、私は和風ハンバーグセットを食べたのを記憶している。私はいつものように、「今夜(ウチに)泊まってくやろ?」と彼女に尋ねた。だが彼女はそれには返事をせず、いきなり別れ話を持ち出した。その後の彼女の言葉を、私は断片的にしか覚えていない。

「実はー、他に好きな人が出来ちゃって。」「今の付き合いは、尹ちゃんがロシア出身だからってことで、無意識にかおり(川村)と面影重ねてただけかもしれない。」「今度の人は1ヶ月ぐらい前に2丁目で知り合った。年上でね、キャリアウーマンっぽい人。」

私は、突然の事の成り行きに呆然とし、ただ黙って彼女の話を聞いていた。彼女は、私の知らないところですっかり私との関係に見切りをつけ、スッキリと次の恋愛へと足を踏み出すことができて浮かれているように見えた。「私、二股かけられてたってことか?」という一言をのみ込んで、私は頭を抱えて下を向いた。

なにも今夜、そんなことを言い出さなくたっていいじゃないか。コンサートの余韻に浸る隙も与えてはくれないのか。下を向いて黙りこくったままの私は、向かいの席で囀り続ける彼女との関係の終焉を受け入れることに全神経を集中しようと躍起になった。彼女に対する執着は、不思議なほど無かった。だから当初は、怒りも悲しみも込み上げてはこなかった。しかし、最後に発せられた彼女の何気ない言葉が、私に制御心を失わせた。

「今夜のコンサートは、お別れの記念。たまにはこんなハッピーエンドもいいよね。」

気がついたら、彼女の顔面にグーパンチをくれていた。私は自分の財布から5千円札を掴み出し、テーブルの上に放り投げて一人で店を出た。「私は女を見る眼がない」という言葉を何度も呟きながら、公園通りを下っていった。その後しばらく、川村かおりの曲は一切聴かなかった。

早いもので、あれから11年。当時の川村かおりの曲は青春の栞となり、聴けば「懐かしい」と感じるようになった。ちなみに、時を経て30歳を過ぎた川村かおり御本人は既に結婚して出産し、現在は「SORROW」というバンドで活動しているそうだ。聴いてみたい。


2004-02-27


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