【EN-SHOWのソウル見聞録/二日目/チャルモルゲッスムニダ(よくわかりません)】

韓国人は、僕が想像していたより遥かに親切だった。でも、その親切が僕には痛い。

二日目の朝、ホテルのロビーでインドクさんに会って、「僕の母が今日一日、君を連れてソウルを案内する」と言われた時は慌てた。インドクさんのお母さんは英語も日本語も喋れないのに、どうやってコミュニケートすればいいんだ。インドクさんは「身振り手振りで何とかなる」と言ってくれたけど、僕は戸惑いを隠しきれなかった。「大丈夫だから、一人にしてくれ」とハッキリ言った方がいいのかとも思ったが、それがインドクさんの僕に対する最大限の親切だということもわかっていたから、言えなかった。

妻に、敬語での韓国語挨拶を教えてもらった。「オモニム、アンニョンハシムニカ。チョヌンEN-SHOWラゴハムニダ。(お母様、こんにちは。私はEN-SHOWと申します)」・・・でも実際お母さんと会ってみたら、そんなこと言う暇はなかった。名も無い異邦人として一人、まったりと一日バスツアーを楽しむつもりだった僕は、正直に言えば面倒くさいなーと思った。オーストラリアにいた最初の頃、常に感じていた言葉の壁によるもどかしさ、あれがまた、ここで形を変えて戻ってこようとしているのだ。

ソウルは都会だった。道路は広いし、高層建築が立ち並び、そこかしこのビルの壁面で液晶画面が誇らしげに影像美を彩っていた。インドクさんのお母さん、オモニム(ここではそう呼ぼう)が僕に何か尋ねている。何処に行こうか、とか、何に乗ろうか、とか言っているようだったので、迷わず「トゥオーポス(ツアーバス)」と答えた。オモニムは少し考えた後、何も言わずにスタスタと歩き出した。僕は黙って後をついていった。そして着いたところはツアーバス乗り場だった。通じたみたいだ。よかった。

南大門

バスの中には、色々な国の人が乗っていた。座席には英語、日本語、中国語などに対応したヘッドフォンがついていて、自動的に目的地のガイドをしてくれる。バスは南大門を横切り、ソウル駅の前を通過しようとしていた。ソウル駅は日本の東京駅に似ていて、それが植民地時代の面影なのだろうかと思うと憂鬱になった。その時、ガイドのお姉さんが英語で話しかけてきた。

ソウル駅

「古い方のソウル駅の左に、新しいソウル駅が見えるでしょう?あの駅からは、日本のシンカンセンみたいな特急列車が、将来は北朝鮮や中国まで延びるかもしれないのよ。日本は島国だけど、ここは大陸だから、鉄道でどこまでも行ける可能性があるのよ。」

ガイドのお姉さんはそんなつもりなかったのかもしれないけど、僕にはそれが自慢たらしく聞こえた。「ここと違って、日本は八方塞がりね」と言われた気分だった。完全に、僕の被害妄想なのだけど。

バスは米軍基地の前を通り過ぎ、梨泰院(イテウォン)の街並みを縫った。僕は無意識に、窓から見えるビルや店の看板のハングル文字をたどたどしく追っていた。これでも僕は、結婚する前、ハングルで妻にラブレターを書いたことがある。辞書と首っ引きで、多分文法的には間違いだらけの文章だったのだろうが、妻は今でもそれを小さく折り畳んで、お守り袋に入れて持ち歩いてくれている。

ふと気がつくと、バスが南山の方に向かって走っている。まさかと思っているうちに、バスは山道を登りだした。これは間違いなく、ソウルタワーへ行こうとしている。前夜の悪夢が蘇ってきた。僕は高所恐怖症なんだってば。

そして、予想通りバスはソウルタワーの真下で止まった。僕の頭の中が真っ白になっていることも知らず、オモニムは座席から立ち上がり、バスを降りようとしている。僕は今の自分の窮状を訴え、何とかしてソウルタワーに立ち寄らずに済むように、知っている限りの単語を並べてオモニムを思い留まらせようとした。

僕「ウリ、ソウルタウォ、オジェ、カダ。(僕たち、ソウルタワー、昨日、行く)」
オモニム「カソッソ?(行ったの)」
僕「ネー、カソッソ。(はい、行きました)」

オモニムは少し困った顔をした後、ガイドのお姉さんに何か話し出した。するとお姉さんは英語で僕に「ソウルタワーは昨日も見たそうですけど、このままバスに乗って行ってしまうと次の目的地で30分ぐらい時間が余るそうなの。だからここで降りて、ソウルタワーにもう一度上りましょうっておっしゃってるけど、どうする?」と言った。僕は絶望的な気持ちで「降ります・・・」と答えた。

タワーの展望台で僕は、なるべく下を見ないようにしていた。するとオモニムは僕の腕をつかんで窓際に連れて行き、「さぁ存分に景色を堪能しなさい」という身振りをした。僕は心頭滅却して、今見ているものを全て見ていないことにしようと必死になった。そこでどれくらいの時間が経ったのだろうか、しばらくするとオモニムは、展望台内の土産物売り場に僕を引っ張って行き、店員のお姉さんに何か話した。するとお姉さんは「日本の方ですか?」と日本語で尋ねてきた。僕が「はい」と答えると、ケースの中からこけしみたいな人形を取り出し、「これ、可愛いですか?」と聞いてきた。まさか「別に可愛くないです」とも言えないので、「はい、可愛いです」と答えたら、お姉さんはその人形を包み始めた。おいおい、と思っていると、オモニムがお姉さんにお金を渡している。そして人形の包みを受け取ると、そのままそれを「プレゼントゥ」と言って僕に差し出した。僕は物凄く戸惑いながら「カムサハムニダ。(ありがとうございます)」と言って受け取った。後で妻に聞いたのだが、その人形は韓国の伝統的な結婚衣裳を着た新郎新婦をかたどったものだそうだ。

新郎新婦人形

タワーを降りて次のツアーバスに乗り、山道を下っていると、ご老人たちが下の方からワラワラと登ってくるのが見えた。前夜、インドクさんが「ここは昼間は年寄りたちの散歩道だよ」と言っていたのは本当だったのだ。こんな急な坂道を・・・恐るべし、韓国老人。

次にバスを降りたところは昌徳宮(チャンドックン)という、朝鮮時代の宮殿だった。ここは日本語の達者なガイドがいたので、その人の後をついて説明を聞いて回った。中はとても広くて、坂道を登ったり下ったり、なんだかんだで1時間ぐらい歩いた。これはオモニムにはきついだろう、と思ったら、全然平気な顔をして息ひとつ乱れていない。見事な健脚だ。

宮殿を出ると、オモニムが「何か食べよう」という身振りをし、一緒に近くの食堂に入った。僕に何も聞かないでオモニムが何かを注文したら、出てきたのは石焼ビビンバとチヂミだった。お腹が空いていたので美味しかった。「マシッソ(美味しい)」と言ってみたら、オモニムは笑ってうなずいた。

食事が済んだ後、オモニムが会計のところで財布を出そうとしているので、「待ってください、ここは僕に払わせて下さい」とジェスチャーした。だって、朝から僕は一度も財布を出してない。ツアーバスの代金も、ソウルタワーや宮殿の観覧料も、お土産も、全部オモニムが払っている。この国では目上の人の親切は素直に受けることになっているらしいが、なんだかこのままでは申し訳なさ過ぎると思った。オモニムは「コマウォヨ(ありがとう)」と言った。会計の無愛想なおばさんが英語で「15000ウォン」と言った。あれだけたっぷり食べて1500円ポッキリ。おトクな気分だった。

食堂を出ると、小雨が降っていた。「ウサンイッソヨ?(傘持ってる)」とオモニムが尋ねた。僕が「オプソヨ。(ないです)」と答えると、オモニムは車道に向かってタクシーを拾おうとしていた。僕は、オモニムが雨に濡れてはいけないと思い、着ていたブルゾンを脱いで頭からかけてあげようとしたが、タクシーはすぐつかまり、明洞まで直行した。タクシーはホテルの前で停まり、ドアが開いた。オモニムが日本語で「サヨナーラ」と言った。僕は何度も「カムサハムニダ。」と頭を下げ、オモニムと握手をし、タクシーを降りた。オモニムを乗せたままタクシーは去った。僕は、タクシーが見えなくなるまで見送った。


2004-01-08


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