【みっぴーのイーハトヴ見聞録/三日目/渋民】
今日は玉山村の渋民にやって来ました。啄木の生まれ育った場所。東京や北海道にいる間も、片時も頭を離れなかったであろう彼の故郷、それが渋民。石川啄木記念館もここにあります。
ところで、日本の文学で啄木ほど多角的に研究されつくした人ってのも珍しいんじゃないかしら。このサイトの運営者・尹ちゃんも大学の卒論は「啄木論」だったらしいわ。でもね、彼女曰く、「石川啄木は研究すればするほど嫌いになっていく類希な作家だ」ですって。なんかわかるような気がするわぁ。私だってヤだもん、こんな男が周りにいたら。友達にもなりたくないかも。「アンタに貸す金はないっ!」って感じよね。
で、くだんの記念館の横にあるのが、渋民尋常高等小学校の校舎。最初からここに建っていたのかしら?おそらく、移築されたんだと思うけど。これを見ると、彼の未完の小説「雲は天才である」を思い出すわぁ。もう、彼は評論以外の長い文章を書いてはいけない人なのよ、なんか、主人公は常に自分だしさぁ、それもすっごいヒロイズムに酔いまくりーの。読んでてそれが鼻につくのよね。あ、そうそう、話は逸れたけど、一時期、この学校で啄木は代用教員をしていたらしいの。「日本一の代用教員になる」とか言っちゃってね。でも実際、生徒には結構人気がある先生だったみたいだけど。
うーん、かなり美化されちゃってますぅ、啄木せんせぇ。なんか、「君たち、何でも先生に相談したまえ」って感じだものねぇ、あたかも。まぁ、「生徒の皆、こんな大人になっちゃいけないぜ」という意味では恰好の「反面教師」だったのかもしれない、そんな彼。記念館に展示されている直筆の書簡とか読むと、すごく達筆なんだけど、友達宛に借金させてくれとか、自分の体調不良を切々と訴えてたりとか、そんなのがあったりしてね、かなり情けない気持になるわよ。
とか何とか言いながらも、校舎の中に入ってきました。木の札には「ニ学年教室」と書かれています。ここで啄木は、子供たちを相手に何をどのように教えていたのでしょうか。一度授業を受けてみたいわ。怖いもの見たさねっ。
しかしねぇ・・・まさかこの頃は、後々になって自分の作品だの、個人的な書簡だの、ひいてはあのローマ字日記にいたるまで、人々の目に触れることになろうとは思っていなかったでしょうね。きっと今頃、草葉の陰で「それだけは読まないでくれぇぇぇ」って絶叫しているわ。合掌。そう言えば、私も読んだわ、ローマ字日記。私ねぇ、金で女を買う男って大嫌いよ。もう、なんつーか、男性不信の人は絶対読まない方がいいと思うわ。うん。
まぁ、なんだか啄木については悪口ばかりになっちゃったけど、社会主義に目覚めてからの作品は割と好きよ。詩も、短歌も。あと、彼の評論は文句のつけどころがないわね。もしかしてジャーナリストに向いてたんじゃないかしら?新聞記者してた時期もあったみたいだけど、なんで辞めちゃったのかしら。天性のアーティスト気質だったのね、きっと。そういう人は会社勤めには向かないのかもね。
さて、次にやってきたのは小岩井農場まきば園。別に牛とか羊とか興味ないんだけど、ソフトクリームが美味しいっていうから食べに来たの。確かにグウよ。コクがあって、その割に甘さがしつこくなくて。あと、予想外の収穫としては、園内の郵便局で宮沢賢治切手を発見したこと。もちろん即購入!したわ。るんるん♪
そして、今日泊まる宿は岩手山を一望できる和風旅館。この山を見て、汽車の中で啄木は背筋を正していたのね。昔から山岳信仰みたいなものが日本人のDNAには深深と刻み込まれていたんだわ。それにしても、畳っていい匂いがするのよね。いつか、畳の部屋がある家に住むのがみっぴーの夢なの。
以上で、今年の夏休みの旅はお開き。来年はどこに行くのかしら。おっと、その前にお土産を買いましょ。岩手と言えば、色々あるけど、やっぱり私は「かもめの玉子」を選んじゃう。美味しいのよねぇ。・・・さて、ひととおり散財したし、またお仕事がんばらなきゃ。皆さんも元気でね。また会う日まで。みっぴーでした。
2003-08-29
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