【みっぴーのイーハトヴ見聞録/一日目/盛岡】

皆様お久しぶり!お元気でお過ごしかしら?ここからのお相手は夏休み満喫中の私、みっぴー。本日は盛岡からのレポートでーす。

盛岡駅っ!

東京から新幹線やまびこで約3時間半、やってきました盛岡シティ。しかしね、ちょと気になるのがイキナリ駅舎のロゴが石川啄木の筆跡で「もりおか 啄木」ってあるのよ。宮沢賢治派の私としては「ムキーッ」て感じだけどね。まぁいいわ。ここはひとつ譲ったげる。それにつけても岩手と言えばこの二大文豪、啄木と賢治。今回はこの二人の軌跡を辿りながら、四方山話を進めていこうかしらね。

お世辞にもゴージャスとは言えない啄ちゃんち

まずやって来たのは、市内帷子小路に保存されている「啄木新婚の家」。既に勝手に上がり込んでるおチビさんがサイト運営者の尹ちゃんでございます。そして玄関に揃えて脱いであるのが、あの「履けば身長が7センチ高くなる!」と噂のシューズでございます。あら、私ったら余計なこと喋ったかしら。

さて、この家で啄木は、妻の節子さんと自分の両親と妹の5人で新婚生活を送ったそうです。と言ってもこの家には当時4組の家族が住んでいて、啄木たちが使っていたのは2間だけだったんですって。「えっ?!ここに5人?」ってぐらい狭いです。啄木夫婦が使ってた部屋は、奥の四畳半。まぁ、部屋と言っても襖一枚隔てた向こうには両親とか他の家族が居たりしたわけでしょ。なんつーか、あのー、ズバリ、あっちの方はどうしてたのかしらね?いくら声殺したって気配でバレちゃうと思うんだけどぉ、この様子では。つまり、これが本当の「四畳半襖のナントカ」ってことね?・・・きゃっ。

空に吸はれし十五の心・・・

さ、次。不来方城址にやってきました。啄木は、盛岡中学校在籍当時、よく授業をサボってぇ〜♪(←忌野清志郎さんの声でお願いします)この公園に歩いて来ては哲学書を読んだり文学したりしてたんですって。当時、盛岡女学校の生徒だった節子さんとラブラブになったのも確かこの頃よ。啄木ったら、お・ま・せ。でもね、私が許せないのはね、その節子さんとのやりとりの一部始終を(多分、一部誇張を交えながら)友達に吹聴して自慢気になってたってことよ!あのね、そういうことはっ、自分の胸だけにそっとしまっておくものでしょっ?!節子さんのプライバシーはどうなるのよ!キーッ!

ああっ、ここがかの・・・!

というわけで、怒っててもしょうがないんで次いきます。北上川に架かる橋の上から見えてきたのは光原社。知ってるでしょ?みっぴーの敬愛する宮沢賢治先生による童話「注文の多い料理店」を出版した所ね。では早速、中庭に足を踏み入れてみましょう。

あら、涼しいのね

門を通りぬけると、落ち着いた佇まいの可否館(コーヒー館)を発見。そしてその奥に、ありました。賢治先生の顔拓・・・じゃないわよ、石のモニュメント。さて、ここでちょっと知ったかぶりさせて頂戴。賢治先生はね、やはり盛岡中学校の出身で、啄木の10年後輩なの。賢治先生は啄木の影響で短歌を創るようになったらしいのよ。つまり、「啄木先輩」の作品に触れたことがキッカケで文学するようになったわけで。ちなみに盛岡中学校ってのは現在は盛岡一高になってるけど、当時から名門だったらしいのね。でも、啄木はそこを中退、一方賢治先生は盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)へ進学。行く道はそれぞれ、その後の運命もそれぞれね。どっちがいいとは言えないけど。

柳あをめる北上の岸辺

と、ひととおり知ったかぶって気が済んだところで、北上川を臨んでみました。あー、風が涼しいわぁ。こんな所で一句詠んでみたいわぁ。でもダメね。文才ないから。ちなみに脳内BGMは、美空ひばりさんの「川の流れのように」。しばらく黙って、世事を忘れて、童話のヒロイン気取ってみましょか、ランララー♪

賢治先生と一緒

さて、光原社を後にして、市内をふらついていたら、舗道の上にイキナリ賢治先生のモニュメント発見ーっ!!ここぞとばかりにツーショット撮影しちゃいました。なんか、賢治先生がみっぴーに話しかけているように見えません?いやー、感激っす。離れるのが名残惜しかったんだけど、そろそろお腹も空いてきたし・・・ってことで、賢治先生には何度もお辞儀して敬意を示して、ご挨拶もして、盛岡駅の方に歩を進めました。ちなみにこの晩は、駅前の「ぴょんぴょん舎」で冷麺と、卵スープと、焼肉を堪能。お腹いっぱい。美味しかったわぁ。


2003-08-29


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