【ヒロインたちの悲哀】
このところ仕事から戻って真っ先にすることといえば、タイマー録画しておいた「コンビにまりあ」のその日の放送分をまずチェックすることだ。なんか、アイドルおたくの大学生みたいな自分の行動様式がちょっぴり後ろめたい。
このドラマで北川弘美が演じている「まりあ」を初めて見た時、私は、「超電磁ロボ・コンバトラーV」における南原ちづるのパンチラ戦闘服(←まさに「着るセクハラ」であった)を目にした時と同種の眩暈を覚えてしまった。救いようのない寂寥は取り敢えず己の内にしまいこみ、強く優しく美しく生を闘う純真な少女。そしてそんな彼女(等)を暖かく見守ると見せかけておいて実は時々視姦めいた眼差しを向けていることも否定はできない周囲の男たちの哀しい性(サガ)。
全く共通性のない各々のフィクションの中に生きる2人の少女の間に私がかいま見た類似点は1つ。それは、両者共に「男性によって捏造された女性性」という、実社会においては極めて生命力の希薄なメンタリティを装備されたロボであるという点だ。そう、あえてロボと表記したくなるほど彼女等は、現実感をともなった存在として捉えることの難しいキャラであると私は考える。
処女のように純粋無垢で少女のように健気で明るく、自分の前でだけは娼婦のように淫乱になるが表向きは淑女のように慎み深く、時に自分を温かく包み込んでくれる優しさと強さは懐かしい母親を想起させる。マルチビタミンの錠剤じゃあるまいし、そんな都合のよい女性は現実社会の何処を捜しても見つかるはずがない。それは、高収入で高学歴で高身長でハンサムでセックスが上手で優しくて浮気をしなくてワタシだけを大切にしてくれる子煩悩で永遠の少年みたいな男が実在しないのと同じことだ。
それなら前述のようなフィクションドラマは、未だにそうした現実を受け入れることが困難な人々にとって一時的な心の逃避場所としては機能するだろう。が、せめてそれらを「少女という名の絶滅種」を懐かしく見送るためのツールとして捉えることができるようになればと思う。こんなことを考えながら見ていると、肝心のドラマのあらすじが全く頭に入ってこない。そもそも、これらのドラマ本来のテーマはもっと全然違う処にあるらしい。
2001-05-14
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