【九州男児のスイトウの謎】
つきあいはじめた頃から、夫は手をつないだり肩を抱いたりする度しばしば小声で「すいとう」と言った。私はこの「すいとう」が具体的にどういうことなのかよくわからなかったのだが、何となく意味を聞きそびれたまま、「ああ、九州の人は他者と体が触れ合ったりする時は"すいとう"と言うんか。"触らせていただいてますぅ"いう挨拶みたいなもんやな、きっと。」といった解釈を勝手に下し、それにしては顔つきが妙に切なげだったなぁとは思いながら大して気にもとめず、当初は過ごしていた。
だが、しばらく後、初めて彼の部屋に泊まった晩、布団の中で彼は今度は「むちゃくちゃすいとう」と言った。私は頭の中で「え?ちょと待ち。"すいとう"って"触らせていただいてますぅ"いう意味ちゃうんか。そや、"無茶苦茶触らせていただいてますぅ"言うたらおかしなもんなぁ。あらま。ほな、"すいとう"いうのんは"気持いい"みたいな意味なんかなぁ?」と考えを巡らし、お蔭で肝心の行為の方はすっかり上の空状態であった。
結局その晩、彼がすっかり寝入った後も、私は"すいとう"の意味を該当する漢字から探ろうと一人悶々としながら目を開けていた。以下は、私がそのとき絞り込んだ"すいとう"の該当漢字候補である。できるだけ感情を込めて、読んでみて欲しい。
@ 無茶苦茶 水筒。(とっても 水筒が要るよ、つまり喉が渇いているよ、の意)
A 無茶苦茶 出納。(とっても 金銭・物品の出入だよ、つまり出し入れが激しいよ、の意)
B 無茶苦茶 水稲。(とっても 水田栽培用のイネだよ、つまり水を得た稲穂のように元気だよ、の意)
C 無茶苦茶 水糖。(とっても ガムシロップだよ、つまり・・・ああっそんなこと私には言えないっ)考えている間、何度も彼を揺り起こして「さて正解は何番でしょうか?」と聞きたい衝動に駆られたが、かろうじて抑え、その代わり数時間前の自分達のありさまを想い返し、「A番かもしれん・・」と言っては顔を赤らめ、「もしかしてC番?きゃはっ」と言ってはエビぞり、一人でゼェゼェ息切らしながらとうとう朝まで起きていた。
その後、私達は一緒に暮らし始め、やがて入籍した。二人でいることが当たり前の生活に慣れていくにつれ、夫は次第に「すいとう」とは言わなくなり、私の記憶からもその言葉は消えていった。だが先日、突如、「すいとう」の意味と該当漢字を認識する機会が訪れたのである。いわゆる、結婚記念日の朝だった。夫から「俺のいない時に読んで」と手渡された一通の手紙の最後の方に、「いまも好いとう」という一節があった。
読んだ後、さすがに自分の不勉強と鈍感さが嫌になり、落ち込んだ。今までそれと気付かずにただ受け流してきた彼の気持のこもった言葉に対しても、また彼の気持そのものに対しても、取り返しのつかないくらい礼を欠いてしまった自分をいくら恥じても恥じ足りない気がした。彼は多分「そげんこともうどうでんよかばい」などと笑って流してくれるだろう。だが、それをきっかけに私の裡には彼に対して伝えたい想いが渦を巻き、放出の時刻を競い合うようになってしまった。しかしそれらを言葉にしようとすれば、今の二人の間に流れている、穏やかで地味で変わり映えのしない日々には凡そそぐわない。
おそらく人の想いにも有効期限のようなものがあるのだ。機が熟したまさにその時、言葉にしなければ伝わらない想いがある。だとしたら私のそれは既に期限切れだ。言葉にしたとたん気化してしまうであろうサランハムニダを、今更ながら悲しく愛でる。今後は、それらを言葉以外の方法で、少しずつ染み込むように、日常を掻き乱さないよう静かに伝えるための方法を模索していくことが、自分の新たな課題と思われる。
2001-04-03
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