【或る毛虫の独白】

自分の無知を他者の言動によって意識させられてしまう瞬間が、このごろは以前よりもいっそう増えた気がする。

今まで、この「ちょっと頭の弱いネエちゃん」といった自分の在り方が、対外的にも気楽であったし生来の自分に無理なくしっくり馴染んでいる気がしていた。でも、やはりこの年頃になってくると「このままでエエんかのう」という自問が時折、心の雲間をかすめ飛ぶ。

理知的な人は素敵だ。自分の知的好奇心に忠誠を尽くした結果の自信は揺るぎ無い。ふとした言動に滲み出る知識の豊かさ。それが全然イヤミじゃない。良いなぁ。だけど、もし自分がそういう人間になったらどうだろう。それを自分らしいと感じられるだろうか。今みたいに、人生を適当に茶化しながら楽しめるだろうか。・・・あまり自信がない。

第一、私が理知の人になってしまったら、今まであらゆるルートから仕入れてきた膨大な数のエロネタはどうなる?「ウィットに富んだ会話」もたまになら良いが、毎日だと息が詰まりそうだ。知性や品性ばかりで一生が終わってしまうなんて「ちょっと待ってくれ」と何回言っても言い足りない。エロい話ができなくなるくらいなら死んだほうがマシだ。

やはり私はこのままの状態で少しずつ歳をとり、「ちょっと頭の弱いオバさん」へと羽化を遂げよう。とか言いながら、陰では結構な量の本をこそこそと読み、生きる為に邪魔にならない程度の知識を身に着け、それでもやはり知らないものの多さや見えない世界の膨大さを切に実感しながら、「まぁこんなもんさねぇ・・」とか何とか呟いたあと猫たちの傍でひっそりと息を引きとるのが、私の理想だったりする。


2001-03-29


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