こうして、黴と埃と煙草の匂いが染み付いた湿っぽい壁に背中を預けたまま押し黙って心臓をバタつかせるのは何度目だろうか。いいかげん慣れてもよさそうなものなのに、未だに落ちつかない。
厚手のカーテンの向こうからは凄まじい音量のメジャーコードと、興奮した観客の咆哮が聞こえてくる。それらがこの、今日は少量のビスケットと水しか入れていない胃袋にズンズンと振動を伝えるたび、自分でも情けなくなるくらい心細さを感じてしまう。
ボーカル兼ギター担当の秀(スー)さんは、先程からパイプ椅子の上で腕を組み、轟音などものともせずに居眠りをしている。
ベース担当の赫(ヒョク)さんは、クッションの上で腹這いになって漫画を読んでいる。二人とも、少しは私につきあってビビってくれてもいいんじゃないかと思う。
このメンバーでステージに立つのは今日(2001-03-04)が初めてだ。昨年、私はそれまで5年間属してきたバンドを離れ、新たにこのバンドに入った。
いきさつについては面倒なので省くが、このバンドは、私が今までに経験したどのバンドとも違っていた。
まず、各メンバーがお互いのプライベートな事情をほとんど知らない。普段はどんな仕事をしているのか、
どんな家族と暮らしているのか、どんな食べ物が好きか、どんな女/男がタイプか・・・まるで知らない。
知っていることといえば電話番号と大体の年齢と、それまでどんな音楽を演って(聴いて)きたかということぐらいか。
別に仲が悪いわけではないのだが、この人達は、仲よしグループ的な甘えや生ぬるさを嫌っているようだ。
最初はそれが少し物足りなかったが、今は却って居心地が良い。
そうこうしている内に、いよいよ私達に演奏の順番が回ってきた。心臓のバタつきに、微少な吐き気が加わる。
私の病的な緊張状態を余所に、他のメンバーはエールを交わすこともなく各々勝手にステージに上がっていく。私も慌てて後に続いた。
ライトが暗いうちに楽器のセッティングを直す。やがて最終確認後、スタッフは「あの真ん中のライトが一個点いたら始めてください」と指示を出して袖へと戻っていった。
赫さんがこちらを振り向きざま「秀さんがID言ったら間髪入れずにカウント出して」と言い、構えの姿勢のまま解離していた私を連れ戻した。
「We Are 三人姦如!!祖国統一万歳!!」
場違いなMCに呆気に取られたままの観客を取り残し、「イムジン江・パンクバージョン」のイントロが駆け出す。
が、歌い出して間もなく、いきなりギターの4弦が切れた。1曲目から不吉な・・と思ったが、スタッフがすぐ気付いてパーっとスペアのギターと替えてくれたので、
演奏は滞りなかった。続いてオリジナル曲「金剛山(クムガンサン)リフレックス」「社会主義こそ愛だ」「釜山港(プサンハン)を返せ」が、MC無しで続く。
時間が経つにつれ、会場の反応は真っ二つに割れた。この手のシャレを解する人達、或いは何も考えずひたすら音だけを楽しむ人達は、それまでと同じようにダイブしたり踊ったりして楽しむことができるけれど、
一方では「危ねぇよこのヒトたち」「この歌なんなの?意味わかんない」という顔で完全に引いてしまっている人達もいた。
私達が事前に予想していた反応と全く同じであることが奇妙に可笑しい。
「メンバー紹介。ベース:赫。ドラムス:R。ギターとボーカル:俺、秀。あの、ワケわかんない人は寝てていいっすから。こういうの好きかも、って人だけもう一曲つきあってくらはい。」
秀さんがメンバー紹介している間、私はミネラルウォーターで喉を潤しながら観客の方に目を向けた。
懐かしい友達が数人来てくれていた。目が合ったので軽く会釈。一番後ろの方では、やる気のないスナフキンみたいな男が一人、ひょっこり飛び出ていた。
夫だ。目が合うと、人混みの中で飼主を見つけた犬のような、今にもすっ飛んで来そうな顔をした。それを見て私はようやく微笑む余裕を取り戻す。案配よく肩の力が抜けていった。
今日のステージで、私達は5曲演奏することになっていた。いよいよ最後の曲「地上の楽園へヨオコソ」である。
ややもったいぶった形で、イントロが始められた。間もなく、最前列の何人かが腹を抱えてぶっ飛んでいるのが見えた。
多分、歌い出しがいきなり「浜辺で拉致されジャジャジャジャーン♪」だったからだ。最後部右側に直立して呆然と聴いていた女の子数人が、慌てて帰ろうとしていた。
本当に拉致られると思ったのかもしれない。確かに秀さんのボーカルには、そう錯覚させるだけの凄味と不気味さがあった。
低く構えたギターを猫背になって引っ掻き回しながら、まるで破戒僧の読経のようなダミ声を振り絞る秀さんの背中には、負のエネルギーが充満していた。
多くの日本人が朝鮮半島に対して抱いている妖気色のイメージを逆手に取り、「ほら、アンタ達の考えてる俺達のイメージってこんな感じなんだろ?」と歌でえぐり出してやることで笑い飛ばそうとしているのだ。
それはルサンチマンでもニヒリズムでもなく、強いて言うなら悪意あるエンタテイメントだ。演ってる本人達は、コミックソングの一形態つもり。轟音が、観念上の38度線を執拗に嬲る。
私達は北を小バカにし、南を嘲笑うかのような内容の歌を、その分断の元々の原因を作った国の言葉でわざと汚らしく垂れ流した。
良識ある同胞は著しく気分を害し、典型的な日本人は吐き気を催すだろう。いわゆる「日韓の掛け橋」とかいう種類のものとは全くの対極に在る世界観である。
おそらく、秀さんも赫さんも私と同じように、自身の中に祖国が思想としてのみ在ることの誇りと虚しさに引き裂かれながら大人になったのだと思う。
彼等の紡いだ歌詞の裏側に漲る壮絶な怒り。全ての怒りが悲しみを経て至るところの感情であるという一説が真実なら、
彼等の経てきた悲しみがそれこそ筆舌に尽くし難いものであったということになる。彼等のそれぞれのルーツが南にあるのか北にあるのか、私は知らない。
彼等も私がどちら側の人間か知らないはずだ。しかし、いずれにせよ現時点での私達には「自分の国」なんてものはないのだ。
私達がどう感じようと、やはり日本は外国である。意識から外そうとしても、事あるごとにそれを思い知らされる。
だからと言って「本国」に私達の居場所が用意されているわけではない。欲しければ、この地球上のどこかで戦って、或いは首尾良く交渉して、或いは金の力で、手に入れるしかないのだ。
最前列の坊主頭の若者が、興奮して全裸になってしまった。いや、正確に言うなら靴下を除いて全部脱いだ。
彼はそのままステージに上がってきてダイブをしようと試みたが、スタッフ2人に引き摺り下ろされた。
全ての演奏が終わってステージを下りると、店長が手を叩きながら「スゲーいいよぉ、最高!」と言ってくれた。
この人は、デモを持ち込んだ時から「個人的に好きな音だ」と言ってくれていた奇特な、かつ有り難い人だ。私達は、演奏の機会を与えてもらった礼を丁重に述べた。
次のバンドの演奏が始まる前に楽器を片付けて客席の最後部に入って行き、ビールを飲もうとしていたら先程の全裸青年が「サインしていただけませんか」と手帳を差し出してきた。
私はサインを書いたことがなかったので、赫さんと秀さんに先に書いてもらい、後からそれらを真似てグチャグチャっと華押にした。
全裸青年は私達が普段どの辺で活動しているのか、デモテープは売ってないのかと恐る恐る質問してきた。
赫さんが気さくに返答してあげていた。私達がネオナチのような危険集団でないことを知ると青年は、次に「一緒に写真を撮ってもいいですか」と言った。
それをきっかけに、近くに居た若者数名が「俺も」「私も」と名乗り出た。私達は初めてのモテモテぶりに戸惑いながらも「営業用仏頂面」で快く撮影に応じ、
だがそれ以上何も求められないうちに早々にその場を退散した。
その後、打ち上げと称して居酒屋へなだれ込み、卓を囲んだ。
大した話はしなかったが、この3人がこんなに長い時間一緒にいるのは初めてだった。
目がチカチカするほど疲労していたが、気分の良い一夜となった。
久し振りに深酒をし、わずかに罪を犯した後、それぞれのポジションに戻るため私達は別々の電車に乗り込んだ。
2001-03-09
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