長崎へは、行きたいと思っていた。夫の生まれ育った地を実際に見て感じたいというのは、以前から私の願望であった。
茶を立て、花を生け、ベースを弾き、猫と戯れ、愚痴をこぼさず、悪口を言わず、常にエヘラと微笑んでいるこの不思議な男を育んだ土壌について、できるだけ詳しく知りたかったのだ。
そんな秘めたる思いを知ってか知らずか、大晦日、長崎行き全日空機上で夫は突如、2001年の秘め初め計画について語り始めた。
その晩に泊まる宿の部屋の間取りを勝手に憶測し、必殺襖がえしがどうのこうの、バスルームではシャワーの水圧を「強」にしてどうのこうの、
そのあと港に面したガラス窓に手をついた状態でどうのこうのと、どっかで聞いたような妄想をブツブツと捩じり出す彼はしかし、
その視線の先は私ではなく美しいスチュワーデスの踝に注がれていた。煩悩機内持ち込み。キリがないので抛っといて眠ることにした。
18時。空港到着後、夫の高校バレー部時代の後輩・イワサキ氏と待ち合わせ。約束時間5分前に現れた彼は、藤井郁弥を牛乳で割ったような童顔。
野太いが柔かく潤った声。何だかおっとりしていて気だても良さそう。首筋の血管も、どうぞ噛んでくださいと言わんばかりにキレイに透けている。夫には内緒だが、ズバリ好みのタイプである。
これでMっ気なぞあればなお好ましい。まさに「きゃっ。どうしよ。」な対面であったが、本人にも夫にもそんな内心を悟らせないよう、私はワザと抑えめな挨拶をしておいた。
イワサキ氏の運転で長崎市街へ向かう車中、じげもん二名が長崎弁で互いの近況報告に花を咲かせる傍ら、字幕ナシでは所々しかその内容を理解できない私はガムを噛みながら後部座席でおとなしくしていた。
その後、江山楼で名物のちゃんぽんをご一緒する間も、私はただ黙々と食べていた。何しろ、大きな器に山盛りされた種種山海の具。その下にはたっぷりの歯ごたえ麺。その麺に絡みつく、コクと旨味に濁ったこってりスープ。
美味しいものは、人を無口にする。他のテーブルの客たちも、料理を口に運ぶのに夢中でほとんど無言だ。
結局、私はイワサキ氏に対してヤケに無愛想な印象だけを与えて、その夜は別れを告げてしまった。
まぁそれはさておき、宿につくとすぐに一風呂浴び、布団を敷き、もぐりこんで温まりながら飲むことにした。
それは夫のアイデアだったが、私も、いつかはそういう年越しをしたいとかねがね思っていた。過去、寒さをしのぎながら街なかでの年越しカウントダウンは楽しかった。
自転車で遠征し、ひとりでかみしめる初日の出も感動的だった。だが、そろそろ大人っぽく飲んだくれて気だるい正月を迎えてみたい。
そうでなくても、南方だから暖かいだろうと思っていた長崎は着いてみると大変寒く、おまけにこの日は小雨が降ったり止んだりの天気。
暖房が逃げがちな日本間では酒でも飲んでいないと夜は明かせない感じだった。
23時45分、TVをつけ、「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞く。以前、独り暮しをしていた頃、やはり大晦日に近所の寺の除夜の鐘の音を数えたことがあるが、
108回を過ぎても延々鳴りやまなかった。「鐘を衝きたい」という希望者多数のためか、住職が己の一年を振り返り、その煩悩の多さをカムアウトすることで反省を表したかったのか、それはわからない。
夫曰く、「そう言や、あの鐘の表側についとるボチボチの突起ば、なんて呼ぶか知っとう?"乳頭"っていうんだぜぇ。」だそうだ。
だが、かなり酔っていたので、本当かどうかは定かではない。
と言いつつ、私もかなり酔っているのが自分でもわかった。やたらと体が火照る。だがそれは、淫猥の火照りとは対極にあるもののようだった。
そう意識した時、ふと、目の裏に冷たい清水のような感覚が流れ、自分が其処に個として在ることの解放感のようなものを感じた。私は黙ってそれに浸った。
しばらくすると夫は隣の布団の中でトロトロし始めた。これはどうやら、秘め初めどころではなさそうだ。
その晩、窓外の見事な夜景は、一向に眠る様子はなかった。
2001-01-15
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