その音をイキナリ聞くと、今でも一瞬身が竦む。毎日、夕刻になるとどこからともなく聞こえてくるその音。
時には何の前触れもなく街角で突然出くわすこともある。そんな時は少々パニックになって家路へと駆け出す私は三十路も近い。
そして今日もその音は聞こえてくる。それも、だんだんこちらへ近づいて来るようだ。
最初にその音を聞いたのは、1983年春の夕刻。近所の女の子達と公園でゴム飛びをしていると、近くで短くラッパが鳴った。
すると、彼女等はその音を合図にしたかのように慌てて家へ走って帰っていったのである。
「どうしたの?」と尋ねる私に、彼女等は何か言い返したのだが、あいにく当時の私はまだ日本語がほとんどわからなかった。
その晩、家で兄達にその話をすると、「それはもしかしたら異人種狩り決行の合図のラッパかもしれないぞ」
とのことだった。私は俄に、それを鵜呑みにした。
その頃の私は、この国に異人種狩りが存在するのではないかと本気で思っていた。故国で受けた日本に関しての教育の影響もあるだろう。
だがそれ以上に、この国では、出自を明かにするだけで自分のことを蔑みの目で見る人がいることを子供なりにも知っていたし、
異種排除的な目に見えない圧力を実際に肌で感じてもいた。学校で、本名でなく通名を名乗れと言われたりすることも、
何か、ゲシュタポのような組織の実在を裏付けているように思われて、以来、私は異常に用心深くなった。
そんなわけで、その音を聞いたらどこにいてもあらゆる隙間に身を隠す術を、いつのまにか私は体得していた。今となっては笑い話だが、もし捕まったら焼き殺されるのだろうと固く信じていた。
何しろ思い込みのハゲしい私のこと、いつかの女の子達が慌てて家へ帰って行ったのも、私と一緒にいるところを見られたら自分の身が危なくなるからだ、
そうだわ、きっとそうに違いない、と己の推理に酔い、誰にも言わず極東唯我独走状態に陥っていたのだから当然とも言えよう。
が、それから約二年後、やがてその不穏な音の出所が明らかになる時が来る。中学に上がり、日本語もまあまあわかるようになってきた私は、
「街の豆腐売り」という存在を知った。彼等は自転車の荷台に豆腐や厚揚げや納豆を満載した大きなケースを積み、
晴れた日も雨の日も、ラッパを吹きながらゆっくりゆっくりペダルをこいでいた。「お豆腐屋さんのラッパが聞こえたら、
夕方だから、お家に帰っていらっしゃい」・・・先に述べた女の子達は多分、母親からそんなことを言われていたのではなかろうか。
なーんだ。謎は解けた。
「ぱ〜ぷ〜♪」
正体がわかってみれば、何とのどかな優しい音色であることか。
活字にしてみると、イクラちゃんのセリフを想起させたりもする。
なお、ジャンル違いだが類似のものに「ぴ〜ぽ〜♪」がある。
2000-11-01
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