「俺の夢」とやらを語る人がいる。例えば春の日には、朗々と、高らかに。
卒業式の後、校庭の、櫻の樹の下。「高校入ったら、ぶっ倒れるまでサッカーやりたいっす!」
・・・証書入れと花束片手に駆け出し、振り向きざま体中でそう宣言するまだ青い彼を、
暖かく見守る誰かのまなざしがある。
「俺の夢」とやらを語る人がいる。例えば夏の日には、ガツガツと、ハタ迷惑に。
生ぬるい陸風の吹き出す、夜の浜辺。満天の星を見上げながら、はや数時間。なかなか終わらぬ彼のハナシにアクビを噛み殺す彼女は、
いいかげん首は疲れるし、翌日は風邪で寝込むし、もう踏んだり蹴ったり。
「俺の夢」とやらを語る人がいる。例えば秋の日には、切々と、緩やかに。
庭の、古い柿の樹にもたれて。時折遠くを見るように、目を細めながら。
しかし何を思ったか突然入れ歯を外し、洗浄剤入りのコップに慣れた手つきで放り込む71歳の彼に、
そっと寄り添う同い年の妻は恋女房。嗚呼、ポリデントな慕情。
「俺の夢」とやらを語る人がいる。例えば冬の日には、ぼそぼそと、自信なげに。
アルバイトの日々も、「いつか」を信じることで耐えてこれたと。
「でもこの先、何の保証もないじゃないか」・・友達の言葉を頭では理解しながら、それでも決してうなずこうとしない彼は、
おとなしい顔して結構しぶといと見た。
夢などこっぱずかしいと言われているこの時代この国で、敢えて語れる夢がある人は元々天性のドリーマーであるか、
アホであるかのどちらかだろう。前者であるにもかかわらず具体的な努力の仕方を知らずに挫折する人もいれば、
後者であるにもかかわらず並々ならぬ努力で望む状態を手に入れる人もいるので一概にどうこうは言えないけれど、
願わくば自分は前者でありたいとは誰もが思うことかもしれない。
だが、いずれにせよ布団の中で見ているだけでは腐っていく夢。誰かに語ればその時から相手の中で陳腐な笑い種に成り下がるであろう夢。
できることなら達成するまで、自分の胸にしまっておきたい。
2000-10-09
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