【Bloods of Erotica】

「小生のサイトからリンクさせていただきました。」・・などと生真面目なメールを頂いてしまうと、 あぁ、もう二度とエロネタは書くまいと思う。せっかくの厚意でリンクしてくれる人の気持に白濁の粘液を浴びせるようなことは、できればしたくない。 だが、そんな一瞬の決心が長続きするはずもない私は、見方を変えれば正にエロ星人の鑑と言えるのかもしれない。いずれにせよ、どんなにネコかぶっても頭の中がピンクテキストでいっぱいになるのは時間の問題である。 こんなことを書くと、この女は欲情しているのだろうと勘違いして、嬉しくないメールを下さる御仁が時々居られるので敢えて明記しておくが、 今、私は心身共にいたって冷静である。

日本という国が、性において特殊な意味で多様性に富んでいるのは周知のところだが、それゆえに通常の生活の中でも窒息的な情報過多を感じることは実に多いし、 それらのほとんどが女を不愉快にする種類のもので、低俗であることにもうんざりする。例えば電車の中や新聞の男性向け雑誌広告、 各社こぞって女の乳房をバカのひとつ覚えのフレーズでしか描写できない。だがそんな奴等が、プロの編集者を名乗っているというのだからもう笑うしかない。 テレビで女たちを半裸にして営業スマイルさせている一部の深夜番組なども、製作者側のオツムの程度がよくわかる。 いくら仕事とはいえ、あんな番組作っていて自分に愛想が尽きたりはしないのだろうか。私は言いたい。「脱がせたければおまえらも脱げ」と。

男の満足ばかりを追及した性的アイテム。それらが時には女にまで満足を強要することもある。 エロビデオ、エロノベル、大方がそんな調子だから、とてもじゃないが女はストレートに昂ぶることができない。おそらく、肝心の作り手側がどいつもこいつも本当の意味で女をイかせたことがないんだろう。 たまに女性の作り手がいても、作家として生き残るためにはマジョリティーに迎合せざるをえないのか、作品の方は限りなく男目線だったりする。 きょうび、暴力的な陵辱の餌食になる女医や女教師のハナシなんて、女の社会的成功を認めたくない一部のダメ男が薄っぺらな嫉妬すらむき出しにできず陰でキーキー言う代わりに読むものだろう。 無理な体位で痛みをこらえて快感を演技するAV女優も、ご苦労だけど、もうたくさんだ。

底のない自由は、一方で、人をどこまでも不安にする。なんでもありの性に取り巻かれ、一部の無恥な男たちによって半ば視姦されながら、 たとえそんな場所ででも呼吸することを止めざるをえない「女」という存在が、時としてとてつもなく小さく虚しいものに思えてならない一瞬がある。こんな時、 「慰みもの」という名の自ら望まない拘束具を女たちから引っ剥がし、私の求めているエロはこんなものじゃない、 苦痛と引き換えの快楽など要らないと、どこかにハッキリ書き留めたい衝動に苛まれる。 だからとて私に何ができるわけでもないのだが、時々無性にピンクテキストをタイプしたくなる理由は多分そんなところにある。 つまりは、己の魂鎮め歌としてのエロ。また、自分が本当に望んでいる性とはこういうものだと文章で具体的に表現することによって、自身が嫌悪する種の性を意識的に現実からしっかりと隔離しておきたいという目的もある。 そうしないと、実際の性生活に歪みが生じるような気がしてならないのだ。

しかし、同じ女性の中でも、私のこのような考え方を優等生的だと言ってせせら笑う人は結構いるだろう。 理不尽なのは百も承知で敢えて私は男の欲求を逆手にとって稼いでいるのよと仰る人を、実際目の当たりにしたこともある。 その辺は、人それぞれ事情があるのだろうから私などが個人的にどうこう言えることではない。 ただ、私は上のような、男女どちらかにのみ偏った性の在り方が、自身や、それらを望まない人たちを不愉快にするのを、 あるいは、傷つけるのを、本能のレベルでどうしても許すことができないだけだ。

性的なものを嫌悪すると言っているのではない。この国に無秩序にばら撒かれた性のアイテムがことごとく自分の欲求を昂ぶらせてはくれないどころか、 逆にそれらが自分の属する性別を貶め、不安を与えているという現実が、非常に悲しく苛立たしいのである。 この苛立ちが続く限り、私は自分を納得させ得るエロの形について、延々問い続けて生きることになるだろう。

思えば私の両親は、性的にきわめて無軌道な人達であった。現世において彼等との縁は薄かったが、 私の中には確かに、彼等から受け継いだ濃厚なエロの血が脈々と流れているのを感じる。

2000-10-02


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