【シラフで酔ってみたくて】

確かに、極めて外側から見れば夫は時々挙動不審だと思う。現に、この町に住むようになってからだけでも、数回職務質問を受けている。 それはただ単に、人込みの中で周りより頭ひとつぶん高くて目立つとか、そういう問題ではないらしい。 特別奇怪な服装をしているわけでもない。やはり、人目を引くのは行動なのだ。

いつぞやは、雨の日に水たまりで遊んでいるうちに過去に観た映画のワンシーンが甦り、感情が昂ぶったらしく、突如タップを踏み始めたのはいいが、その様子があまりにもあまりなものだったので「歩道で若者がキレて地団太踏んでる」と通報された。 その前は、樹に登ったまま下りられなくなった猫を見つけ、「あひゅぅーん」と(猫に)声を掛けながら自分も登りはじめた、ところが間もなく、 「樹の上でヨッパライが奇声を発していて気味が悪い」と通報された。また、月のキレイな夜に、 故郷を思い空を見上げ手をかざして経文を(←彼の実家は寺である)唱えれば、「あぶない宗教の人だ寄るな触るな」と避けて通られた。 昨夜は、駅前広場をグルグル旋回しながら歩いていただけで交番からお巡りが飛んできたらしい。 まず一言、「何杯飲んだの?」と聞かれたそうだが、別に、酔っているわけではなかったのだ。 彼はこういう時、大概はシラフなのである。従って、「いえ、飲んでいるわけじゃないんです。 これは私の趣味でやっていることでして。」とでも答えていればすぐに帰してもらえただろうに(←いや、もう既に充分怪しいからムリか)、 彼の場合、「いえね、今夜あたりは涼しくて風も澄んでいるからUFO見れるんじゃないかしらなんて思うと、 私、ワクワクしちゃってね。こうして旋回しながら気分盛り上げて待ってるわけですよ。お巡りさんも一緒に回ってみません? 実にトリッピーですよぉ。あはあは。」などと心にもないことを言うから話がややこしくなってしまうのである。

かくして、自宅でジグソーパズルに余念がなかった私のもとへ交番から連絡があり、 私は、また夫を引き取りに行かねばならなくなった。交番へ着くと、もう一通り話は終わったようだったが、 若い警官は私を見ると、「ご主人の言ってること、よくわからなくて。」と困惑の表情を浮かべた。 それでも夫は全く懲りた様子もなく、「いつものことよね。」とケロケロしている。 帰ろうとすると「こういう町なかであんまり変ったことしない方がいいかもよ。」と、いかにも警官の言いそうなセリフが追ってきた。 その間延びした鈍感そうな声色を聞いた時、何となく、夫が彼等に対し真面目な態度で話をしたくなくなった気持が少しわかったような気がした。

「要するに、ただ何となくシラフで酔ってみたかっただけのこと・・わかるでしょ。でもこういう心情って、どう話してもああいう人には誤解される気がしてさ。せいぜい"おセンチ"とか"児戯に類する"どまりなんだろうから。」と帰り道に夫は言った。 人が何か行動を起こすのに、いちいちレッキとした理由があるわけでもないのだ。 ヘタに理由など追い求めて不安定になるよりは、たとえデタラメでも走り出してしまった方がずっと清々しいことだってあるのだし。 ま、時にはこんなつじつまの合わない夜があったっていいだろう。いいよね。

2000-09-20


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