ここ数年間未開封のままになっていたダンボールを開けて中身を整理していると、
高校時代、クラスで一番仲が良かったソンちゃんからの手紙が山のように出てきた。
思えば当時は毎日のように、授業中となく休み時間となく私と彼女との間を無数の紙切れが行き来していたものだ。
直接話をすればいいものを、あの頃(80年代後半)あの年頃の或る種の女の子というのは、わざわざ口はばったい話題を選んでは回りくどく手紙なんかにしたためるのが好きだったのである。
それらを読み返しながら私は、妙に和んだ気持になっていた。手紙は時折、過ぎ去った時間を連れ戻しては目の前に美しい蛍幕として拡げてくれる。
そこには、当時は全く気がつかなかった、他人の中に形作られた私のイメージが輪郭を結んでいる。
それらは、今の自分は自ら失ったもの、或いは期せずしてもぎ取られたもの、誰かにもらったもの、或いは自ら奪い取ったもの
を経て此処に在るのだという思いに立ち返らせてくれる。
「尹ちゃんへ。いよいよ明日だね。今、すごく緊張してるんだろうな。でもね、本番に強い尹ちゃんのことだからきっと大丈夫。
もう今まで充分頑張ってきたんだから。明日はその自信を精一杯答案にぶつけてきてね。ソンちゃんはいつも通り学校だけど、
尹ちゃんの席に座って試験が終わるころまでずっとずっと祈ってるからね。夜、必ず電話ちょーだいね。
今夜はよく眠れますように。あ、そうだ、夜中遅くまで起きてヤラコイTVとか見てちゃだめだよ。ソンちゃんより。」
上は、私の第一志望校の入試前日にソンちゃんがくれた手紙の文面だが、今になって読み返すと私は彼女に「本番には強いけど入試前日にも夜中遅くまで起きてヤラコイTVとか見てるかもしれない尹ちゃん」
だと思われていたことに気付く。非常に不本意である。私は即刻彼女に電話をして、「入試の前なのにヤラコイTVなんか見ないよっ!」
と抗議したい衝動に駆られたが、あいにく今の彼女はあの頃の彼女ではないし、私もまた然りなのだ。
電話をしてみたところで、もう二人で一つの祈りを共有したりすることも、精巧な歯車のように話がガッチリ噛み合うこともないだろう。
せめて今は小児科医としてろくに眠る時間もなく仕事に追われる彼女が心底疲れた時に、
あの頃やりとりした手紙のことをふと思い出して読み返してくれたらと思う。そしてその結果彼女が彼女の原点に立ち返り、
今日の私のように一瞬でも疲れを忘れて和むことができたら嬉しいのだが。
2000-07-18
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