2002年8月

 

8/1(木)
突然ですが、今月買う本のリスト。忘れそうだから(笑)。
8/1皇なつき「黒猫の三角」角川書店(既に忘れてた。)
8/3森博嗣「毎日は笑わない工学博士たち」幻冬舎文庫
8/5ささだあすか「パジャマでごろん2」白泉社
8/9宮部みゆき「理由」朝日文庫
あ、4冊しかなかった……。寂しいなあ。しかも前半集中。後半は、何を楽しみにすれば良いのやら。そういや、8日には、とても欲しいものが定価14万で発売するんですが、14万て、一体どうしろと…?

8/5(月)
久しぶりに、大学時代の古巣(5ヶ月前まで住んでいたところだけど)に行ったんですが、大学の横にあるダイエー(よく買い物をしていた)の食品売り場が改装されていて、リカーコーナーが前より充実してたんです。私が去年、散々捜し歩いたペパーミントジェット27(ライム入りミントゼリーに使う)とディサローノアマレット(江國作品に出てくる)が売っている!私がいなくなった途端に〜〜〜。何だよー、もうー。

8/6(火)
今日はフンボルトペンギンを見ました。マル。

8/8(木)
高校野球の開会式を見てました。オリンピック同様、試合はどうでもいいんですが、応援のブラスバンドだけを目当てに見る。そうか、関西吹奏楽連盟所属で選抜されれば、開会式で演奏できるのか……。大会行進曲は山田耕筰作曲だとか、入場行進は1曲延々リピートだとか、今頃知った事実が多い。今まで見てなかったのか?あと、ファンファーレいいなあ。恰好いいなあ。あんなデカイところで吹けたら気持ちいいだろうなあ。私は大学祭の開会式でしかやったことないよ……。高校の時は私も野球部の応援に行ってました。弱小吹奏楽部だったので、応援が一番派手な行事だったのです。楽しかったなあ、授業サボれたし。応援してるとテンション上がるので、彼等が勝ち進むなら、夏休み潰したっていいよ!と思ってましたが、いつも予選1回戦で負けてました。行けるものなら甲子園に行きたかった……。まあ、そういう憧れがあります。甲子園には。最近は応援の選曲だけが楽しみです。今年の主流は何かな……?

8/10(土)
今日の甲子園。「エル・クンバンチェロ」「ひょっこりひょうたん島」。あとはサンダーバードとかルパン3世とかミュージックエイト系?しかし、本当に砂って持って帰るんだね……。あれって本当に、「負けて悔しいぞ!この砂を糧に来年こそガンバロウ!」という真面目なノリなんでしょうか?「風物詩だし、ちょっと俺もやってくか」とか、高校生男子ってノリが軽いから、自分で、「甲子園敗退に悔しがるオレ」を演出してるってことはないのかな?でもそれより、そんな球児たちを這いつくばって写真に収めようとするカメラマンたちの図、というのが凄かった。パス代わりなのか、同じ帽子被ってるし。どれもこれも形式化された演出に思えて仕方ないんだよね……。

8/16(金)
「星へ行く船」のコミック版をゲット。いえーーい。わざわざ行った場所でわざわざブックオフに寄ってわざわざ買ってしまう私ですが、収穫でした。しかし、本屋とか古本屋とか図書館で物色している時が一番イキイキしているような気がするのも何だかなあ、と思う今日この頃。

8/18(日)
宮部みゆき「理由」朝日文庫、読了。朝日新聞連載から、朝日文庫に入るまで、長かったなあ…。朝日新聞の夕刊に連載当時、宮部みゆきを読み進めていた高校生の私は、「家が朝日新聞をとってて良かった」と思いつつ、毎日楽しみにしてました。1人暮らしの時は朝刊しか取らなかったし、今は新聞取ってないもんね。などど、夕刊ぐらいでちょっとしみじみしちゃうんですが。98年に単行本化され、大学1年の前期試験が終わった日に図書館で借りて、ほっとしながら読み直した記憶があります。何か思い出しちゃいますね。連載当時は舞台の北千住の場所すら知らなかったけど、そういえば、行ったこともあるなあ、とか。「理由」は、非常に緊張感に溢れる、というか、どきっとして怖くなった作品です。何故かスポーツ科学のレポートにちょこっとだけネタにしたこともあります。「模倣犯」よりも私の評価は、高いと思う。
ミヤベは、ともかく、緻密なストーリー展開が上手い人です。「理由」「模倣犯」などの、長い作品は、事件の本筋はもとより、関係者一人一人の事情を事細かに描き出してしまう――しかも、全然くどく思わせず、ぐいぐいと引き込んでしまう辺りに、ただただ感心するだけです。まるで、本当の事件みたいに。私も何度か物語を書こう、と始めたことがあるんですが、私は、全然、登場人物の細かいことなんて掘り下げられずに途中で飽きてしまったので、なんでそんなこといちいち考えられるんだろうと、不思議でしょうがない。
「理由」はルポタージュ、という形式を取っています。冒頭から、文がひどく細かい――いつ、どこで、だれが、と、年月日から番地まで事務的に明かしてしまうところからおやっと思ってしまうのですが、ああ、そういう感じで行くのね、とお約束に慣れてしまう。そのお約束が、時として怖くなることが、あるんです。

最初は、小説のように、始まります。三人称の文で。気付くと、いつの間にか、ルポになっている。事件が終わった後、関係者に、「誰か」が取材して回っている、という風に。また、いつの間にか、インタビュー形式にも、なっています。この3つが、全然違和感を感じさせずに、交代するのです。語り手は存在するものの、その存在感は、全くない。あくまで新聞記事の様に、「どこかの記者」が延々と綴るという形態を取っている。連載を読んでる頃は、途中まで、このことに、ちっとも気付かなかった。ところが、一度だけ、「どこかの記者」がぽろっと、「私」と言ったことがあったんです。それまで、語り手の一人称になったことは一度もなかった。その時突如、「どこの誰」でも良かった記者が、「私」という人格を持った、「事件に興味を持ち、調べ、関係者に話を聞き、この記事をまとめている人」と、認識されたんです。これは怖かった。もしかしたら、ラストで、この「私」が「記者」ではなく、「登場人物」として出て来んじゃないかと期待したけど、そうはならなかった。
しかも、これは私の記憶の中にあるだけで、単行本には、この「私」の部分がカットされてました。文庫でも同様。あれはミヤベのミスだったのか…。私の衝撃はそこだったんですが、憶えてる人、どっかにいないかなあ。
単行本では、ちょっと怖い感じのする表紙(ベランダに、幽霊みたいな男がぬっと顔を出してる)でしたが、文庫では、連載時の挿絵と同じ木村桂子の装画で、6年経って、やっと戻って来たんだなあ、という気がしました。

8/31(土)
家の前にセブンイレブンが出来た。近くにコンビニがなかったので嬉しいと言えば嬉しいけど(早速、食料が何も無かったので、ご飯を買いに行ってしまったし)、幾つか淋しいこともある。そこは、もともと家具屋さんで(そのため、駐車場がえらく広い、郊外によくある感じのコンビニだ)、もう、10年近く営業はしてなかったんだけど、建物はそっくり残ってた。木がいっぱいあって、一番近所の桜はここだったし、すももの落ちた奴をこっそり拾って食べたとか、母が落ちてた柿の葉っぱを拾って柿の葉寿司を作ったとか、落ちてた梅の実を拾ってボール代わりにして遊んだとか、NHKの日曜の昼の法律相談のネタになりそうな思い出が幾つかある。それが1ヶ月前に建物の取り壊しが始まり、あれよあれよと言う間に木も全部引っこ抜いて更地になり、ヤベエ、通りから家が丸見えだよ、と思ったらいつの間にかセブンイレブンになり、今まで、木や生垣で区切っていたところには、白く眩しい塀が立ち(茶色にしてくれれば良かったのに…)、店主が挨拶回りに来てタオルを貰ったんだけど、運悪く私はパジャマ姿で気まずかったり、それでも初日から買物して、サービスの唐揚げ棒を食べたりした。う〜ん、これから、しょっちゅう行くんだろうな、と考えると鬱になる(何故)。酒類が置いてないのが不便ですが(笑)、あったらあったで、我が家は、ちょっとまずいだろうという気がする。父親が大酒呑みで酒の調達に余念が無い人なので、すぐ目の前で買えたら、何かもう、大変だよね。

 

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