(初出:「ドストエーフスキイ広場」182009

 

ソルジェニーツィンの語りのスタイルとドストエフスキーの

ポエチカ(詩学)

 

            

 

 

ドストエフスキーの創作に見られる作者と主人公との関係の特徴は、作者(バフチンの用語では「一次的作者」、いわば「全知の作者」)は舞台裏にいて、舞台の前面に出て、作者の機能を果たすのは、通常、雑報記者であったり、主人公自身であったり、副次的な人物であったりすることである。彼らは語りの機能を担うものの、通常その視野は限られていて、告白の形式や世間の噂などに頼ることが多い。ドストエフスキーの創作のより一般的な特徴といえるのは、叙述のスタイルにおいて、作者が人物の感触や意識に時に応じて同化してみたり、また人物から離れて距離をとり、コメントしたり、自由自在に位置を変えることである。[i]

 作者の人物に対するこのような一方では「同化」、「共有体験」、他方では「外在性」、「距離の確保」といった反対方行の組み合わせは、語りのスタイルにおいて、まず「擬似直接話法」(несобственная прямая речь)(英語圏では「自由間接話法free indirect speech」、ドイツ語圏では「体験話法erlebte Rede」)として現象する。[ii]

ドストエフスキーとソルジェニーツィンに共通する特徴として、まさしくこの話法を見てとることができる。実例を見てみよう。

『罪と罰』でラスコーリニコフは老婆とリザベータ殺しの犯行後、部屋を出ようとするのだが、その瞬間、誰かが階段を昇ってくる足音を聞きつける。

「この足音はまだ階段にさしかかる辺りのずっと遠くに聞こえたのだった。<・・・> 足音は重々しく規則的で、ゆっくりとしていた。ほら(вот)もうそいつ(・・・)は一階を通り過ぎた。ああもう一階上がった。ますますはっきり聞こえ

てくる!やってくる男の重い息切れの音が聞こえだした。ほら(вот)もう三階にさしかかった。・・・・ ここへやってくる!すると突然、彼は自分が硬直してしまったように思われた」(66 [iii]

 これによく似た語りのスタイルを、私達はソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』の書き出しの個所に見る。収容所の早朝、起床の鐘のあと、主人公シューホフはすぐにはベッドから起き出さないで、音で周囲の状況を判断している。その時の彼の感覚が次のようにのべられる。

「いまバラックの中で起っていることは、自分の班の片隅で起っていることも含めて、なにもかもちゃんとその物音から察していた。ほら(вот)、今は当番たちが廊下を重々しい足どりで、八ヴェドロ(訳注=約百リットル)入りの糞桶をかつぎだしているな。<・・・> ほら(вот)第七五班では、乾燥台から長靴の束を取りだして、床にたたきつけてやがったな。いや、おれたちの班もやってるじゃねえか(きょうはおれたちの班も長靴を乾かす番なんだ)班長と副班長は黙りこくって長靴をはいてるな。二人のベッドがギイギイ音をたててるからな」[iv]

 二人の作家のこれらの叙述では、語り手が主人公の感覚に同化し、状況を伝えるのは、主人公の感覚や意識を通してである。ソルジェニーツィンの小説ではこのスタイルは全作品に渡って一般的な現象である。一九七〇〜九〇年代のロシアの知性を代表する存在で、中世ロシア文学の権威にして、ドストエフスキーのポエチカについてもすぐれた洞察を残したドミトリー・リハチョフはこの作家の語りのスタイルのこのような特徴について、次のようにのべている。

「作者の言葉から語り手の言葉への目立たない移動はドストエフスキーの作品の全過程にわたって見られる現象である」[v]

また別の研究者の評言によれば、

「作者の言葉と主要主人公の言葉には相互に明確な区切りがなく、言葉の流れは読者を一般的な語りの水路から主人公の内面へと移行させ、そこから再び外面的出来事の軌道へと自由自在に移動させる」(ギゴロフ)[vi]

「語り手と主人公の声は対極に分かれるかと思うと、また最終的には交じり合わないままに接近し、同じ音調を響かせる」(ヤーゴドフスカヤ)[vii]

 ドストエフスキーとソルジェニーツィンに共通するこのスタイルを、例えば、トルストイのスタイルと比較してみよう。『アンナ・カレーニナ』と『煉獄のなかで』の場面の比較。トルストイの場合、モスクワから帰ったアンナは駅に彼女を出迎えた夫カレーニンを見て、こう思う。

「おゝ、どうしたことでしょう!どうしてあの人の耳はあんななのかしら?」(114[viii]

ソルジェニーツィンの場合、囚人ゲラーシモヴィチは、収容所での妻との面会の場面で、

「彼がまず思ったのは、妻はなんと醜くなってしまったのだろうということだった」(1261[ix]

この思いの後、妻の貧相な外貌の客観描写を経て、主人公に同化し、彼の内部の声を伝える語り手の描写が続く。「だが妻が醜いという、体のどこかからふとわきでたこのさもしい考えを、ゲラーシモヴィチは押し殺した。目の前にいるのは、この世でただ一人の、彼自身の半分であった女だった。目の前にいるのは、彼の記憶にあるすべてのものがからみあっている女だった」(同上)

 トルストイの場合、アンナ・カレーニナについての描写のスタイルはまったく違っている。「彼女は夫の執拗な疲れた視線に出会って、まるで夫が別の人間であることを期待していたかのように、何かしら不愉快な感情で心が締めつけられた。とりわけ彼女を驚かしたのは、夫と会うことで引き起こされた自己不満の感情であった」(同上)

 トルストイのこの描写には女主人公に対する作者の同化も、彼女の内的な声も感じとることはできない。そこに見られるのは、女主人公の心理と状況の客観的な描写だけである。アンナ・カレーニナには、ドストエフスキーやソルジェニーツィンの人物にとって極めて重要な意義を持っている「記憶」というものが、そもそも無縁である。

 注目すべきは、アンナは作者によって、記憶や思い出による人間的な救済すらも奪われていることである。トルストイは彼女の死への旅路の途中で、こういわせている。「過去を根こそぎに出来ないのは、恐ろしいことだわ。根こそぎには出来ないけど、過去についての記憶を隠すことは出来るわ。私は隠すことにする」(819

 

 ソルジェニーツィンとドストエフスキーの場合、記憶や思い出は精神の基礎、人格の土壌であるばかりではなく、主題構成の思想的基盤でもある。『イワン・デニーソヴィチの一日』、『マトリョーナの家』、『クレチェトフカ駅の出来事』といった作品の形式自体、回想のジャンル、いいかえれば、「語りのメモワール形式」に属している。イワン・デニーソヴィチの一日は例外的な一日ではなく、思い出の中で三千六百五十三日繰り返された日常の一日であった。目立たない素朴な農婦マトリョーシャの形象は、語り手の思い出、記憶の中で蘇らされ、彼女の義人の魂に光が当てられる。『クレチェトフカ駅の出来事』では主人公ゾートフが「その後一生、決してその人物を忘れることが出来なかった」と回想する人物との出会いこそ物語の中心的主題を構成する。このように、記憶、回想の空間において、ソルジェニーツィンの主人公たちは蘇らされるのである。

 「記憶」、「思い出」は主人公たちの内部の声として、『煉獄のなかで』や『ガン病棟』では、主題の理念的な構成を決定している。『煉獄のなかで』で若い外交官のイノケンチイ・ヴォロジンに自分の運命を危険にさらす行動に走らせたのは、亡き母の記憶、母の日記に記された「倫理的随想(メモ)」と強く結びついていた。彼が母のメモに読んだのは、「憐れみはよき心の最初の動きである」という言葉であり、「「世の中で一番大切なことは何でしょう?」それは自分が不正に加わっていないという自覚です。不正は自分よりもつよく、不正はこれまでもあったし、これからもあるでしょうが、しかしたとえ不正がおこなわれたとしても、自分を通じてではないようにしたいものです」(269)という言葉であった。これらの母の遺言は息子に無意識的に強く作用し、いまや彼を次のような意識に導くのだった。

 

「以前ヴォロジンの人生観は、人生(・・)はただ一度しか与え

られないというのだった。今度は内部に熟してきた新し

 

い感覚で自己と世界の中に新しい法則を感じた。それは

 

つまり、良心(・・)もやはりわれわれに一度しか与えられない

 

ということだった」(27071

この小説の主要な主題は母親の思想に影響されたイノケンチイ・ヴォロジンの決断と結びついている。彼はかって母親が信頼して往診を頼んでいた医学博士が、外国の研究者との関係で当局ににらまれて、その身に危険が及ぼうとしているのを、電話で博士に伝えようとしたのである。その電話の声が録音テープに記録され、スターリンの命令により、その声紋の分析技術の開発に従事させられるのが特殊収容所の囚人達で、その収容所の内部が小説の主たる舞台となっている。数学者グレープ・ネルジンは囚人研究者達の中の主要人物の一人であるが、彼にまつわるエピソードの一つでも、妻との生活の記憶が彼に強い影響を与え、収容所の職員シーモチカという女性との関係の決定的瞬間に、彼を引き止めたのであった。

「君、ねえ・・・ 妻はぼくを、獄中の五年間とそれに戦争の期間、別れて待っていてくれたんだよ。ほかの女だったら待ってくれはしないさ。その後、彼女は収容所生活のぼくを支えてくれたし・・・差し入れもしてくれたんだ・・・ 君はぼくを待つというが、それは・・・それは無理だ・・・ぼくは耐えられない、妻を悲しませることは」(«- Ты знаешьона ведь меня ждёт в разлукепять лет тюрьмы да скольковойну. Другие не ждут. И потом она в лагере меня поддерживала… подкармливала… Ты хотела ждать меня , но это не …не…Я не вынес бы … причинить ей»)734)(木村浩訳「僕は・・・・僕が愛しているのは妻だけだそれに君も知っているとおり、妻は僕が収容所を転々としていた時、僕の命を救ってくれたのだ。その上、妻は僕のために自分の若さを犠牲にした。君は僕を待つつもりだといったけど、それはできない相談だよ!僕が帰るところは妻のもとしかないのだ、僕にはとても妻を傷つけることは・・・・」(2259

 ちなみに、この場面で注目されるのは、語り手が直ちにシーモチカの立場に同化して、語りの言葉でこう応答することである。「妻をだって!―ではこちらの女性はどうなんだ? グレープ、よしたほうが良くはないか!かすれ声の静かな一矢は一発で的を射たのだった。うずらさんはすでに殺されていた」(«Той! – а этой? Глеб мог бы остановиться!.. Тихий выстрел хрипловатым голосом сразу же попал в цель. Перепёлочка уже была убита» 木村訳「ネルジンはもうやめたほうがよかったかすれかけた声で放った静かな一発がすでに的に命中していたのだった」この場面では、あちこちで語りのスタイルに彼女の声、反応が感じられることである。例えば、

「だが、女はこの説教にほとんど耳を貸していなかった。この人は自分のことばかり話しているようだわ。でもわたしはどうしたらいいの?シーモチカは、自分が家にかえり、退屈な母親に何事かむにゃむにゃいい、ベッドに泣き伏すさまを想像して、ぞっとした。何ヶ月も彼のことばかり思いながら眠りについたベッドに」(2262

 ドストエフスキーの場合と同様に、ソルジェニーツィンの語りのスタイルでは、語り手がそれぞれの人物に自由自在に入りこみ、その意識や感覚に同化するかと思えば、一瞬のうちに、その人物から離れて、その立ち位置を変える。その結果、各人物の声は相互に対等の権利を持ち、ポリフォニックに響く。シーモチカの声の反映は次のような、ほとんどモノローグといってよい語りの叙述に見られる。

「私は目に見えないその女に対しいかなる妻の特権をも認めるわけにはいかない。かってその女はこの人としばらく暮らしはしたけれども、それは八年前のことだ。それ以来この人は戦争にいき、獄につながれたが、その女はもちろん他の男と暮らしていたにちがいない。子供もない若い美しい女が八年も辛抱できるわけがない!」(2261

 シーモチカのこの声と対照をなして、ネルジンの言葉が響く。

「シーモチカ! 僕は自分が立派な人間だなどとは思っていない。それどころか、ドイツの戦線で自分のやったことを思い出すと、僕はひどく悪い人間だと思う。今君に対してだってそうだ・・・・だがこれはうすっぺらなくせに平穏無事に暮らしている世界で得たものなのだ。悪いことが僕には悪いことと思えず、許されること、いや、ほめられてしかるべきことのように思えていたのだ。しかし非人間的で残酷な世界に低くおりていけばいくほど、奇妙なことに、僕はそんな世界にいても僕の良心に語りかけてくる小数の人たちの声に敏感に耳を傾けるようになったのだ。妻は僕を待っていないというのだね。それならそれでいいのだ!ただ自分にやましさを感じるところがなければ・・・・」(2261

精神の神聖な基礎としての記憶の力は『ガン病棟』の主人公オレーク・コストグロートフの、今後の生活の選択の主題をも決定している。病院から退院した直後、行くあてが定まらないオレークには三つの選択の可能性があった。看護学生のゾーヤの所に行くか、女医のヴェガの所に行くか、思い出の土地へただちに出発するかのいずれかである。女医のヴェガにより強く惹かれ、敬慕するオレーク彼女の住居を訪ねてみたものの、途中あまりに時間をとり過ぎて約束の時間に着けなかったため、彼女に会えなかった。その結果にいたるまでの時間、ヴェガと彼女の家で逢うことを想像するだけで、彼は恐れと喜びの感情に同時に支配されていたのだった。

「ヴェガの家に近づくにつれて、興奮はますます高まってきた。それは紛う方なき恐怖だった。ただし仕合せな恐怖、息詰るような喜びである。自分の恐怖を意識すること、それすらも今のオレークには仕合せなのだった!」(2214[x]

彼は心理的にダブルバインドの状態に陥いっていた。一方からすれば、ヴェガとの共有感情に基づく高いレベルの関係性を求める気持ち、彼のその気持ちは次のような擬似直接話法によって伝えられる。

「なぜ行ってはいけないのだ、なぜ二人は立ち上がってはいけないのだ。二人はもう少し高い所へ歩んではならないのか。二人は人間ではないのか。少なくともヴェガは人間だ、ヴェガは!」(2224

他方では、そのような綺麗ごとでは済まないという予感に脅かされる。結局、オレークは駅から出した手紙に次のように記して、ヴェガと会うことをあきらめる。

「しかしヴェガ! もし今日あなたに逢えたとすれば、私たちのあいだに何か正しくないことが、何かひどくわざとらしいことが始まっていたかもしれません!あとで歩きながら、結局あなたに逢えなくてよかったのだ、と私は思いました。今までのあなたの苦しみのすべて、今までの私の苦しみのすべては、少なくとも名付けることができるし、告白することができます!しかし、あなたと私のあいだに始まったかもしれぬことは、だれに告白することもできないのです! あなたと私のあいだのそれは、何か灰色の、生気がない、しかも刻々育ってゆく蛇のようなものです」(2232

ここには主人公の意識の襞が深く描かれている。オレークは記憶の遠近法の布置において、予想される未来の視点から自分の現在を見通すことのできる、判断力にすぐれた人間である。彼はゾーヤに対する別れの手紙には次のように記したのだった。

「あなたはぼくより分別があった。おかげで今のぼくは良心の呵責を感じずに出発できます。せっかく呼んで下さったのに、お宅には伺えませんでした。ありがとう! でもぼくは思ったのです。今のままにしておこう、この状態を損なうことはよそう、と。あなたにまつわるすべてのことは、感謝の気持とともに永遠に記憶から消えないでしょう。(2231

オレークは最後の瞬間に「美しきことの思い出」(と一章は名付けられている)の土地、ウシ・テレク(三本のポプラの意)へ向かう。そこは、かって流刑中の彼がカドミン夫妻(婦人科医のニコライ・イワーノヴィチとその夫人エレーナ・アレクサンドロヴナ)と親しくなった土地である。オレークはこの夫妻に流刑生活を、「笑いと絶えざる喜び」をもって受け入れる術を学んだのであった。何が起ころうとも、夫妻はいつもいうのだった。

「非常に結構! 前の生活よりどんなにいいか知れない! こういう魅力的な場所に来られて、私らはほんとに幸運だった!」(1270

オレークはエレーナ・アレクサンドロヴナの、「<・・・>人間の幸福というのは生活水準にではなくて、心と心の触れ合いに、そして私たちが生活をどう見るかに懸かっている」(1271)という意見に共感していた。

 

次に、「憐れみ」と「同情」の概念こそ、「心と心の触れ合いと、私たちの生活を見る見方」の問題として、ソルジェニーツィンの創作全体に響き渡っているものだと、いえよう。ここで注目されるのは、再三繰り返されるあるコメントである。若い世代の主人公たちの記憶にあるソヴィエトの学校教育や社会生活では、「憐れみは人を貶める感情で、憐れまれる人間を貶めるのみならず、憐れむ人間を貶める」という思想が教えこまれていた。このことは、『ガン病棟』の少年ヂョームカや『煉獄のなかで』のイノケンチイ・ヴォロジン、ルシカ・ドローニンの口から繰り返される。(例えば、ドローニン:「ドローニンひとりではなく、彼の世代の者すべてが、憐憫とはいやしむべき感情、『善良さ』とはわらうべき感情、『良心』とは僧侶のつかう表現だと教えこまれてきた。また一方で彼らは、密告は愛国的義務であり、密告される当人にとっても大いにためになることであり、社会の健全化を促進するものであると吹きこまれてきた」1202

この考えがイノケンチイの母親の「倫理的随想(メモ)」での教え、「憐れみはよき心の最初の動きである」にいかに反するものであったか!息子は母親の教訓に忠実だったのである。

『ガン病棟』のオレーク・コストグロートフは臨終の床にあるエフレムに「同情」を抱く。「コストグロートフは憐れみをこめて―いや、戦友としての同情をこめて、エフレムを眺めた。今回、弾丸は貴様に当たったが、次はおれの番かもしれない。エフレムの過去の生活をコストグロートフは知らなかったし、この病室では特に親しかったわけでもないが、エフレムの率直さはかねてから気に入っていたのだった。オレークの人生経験からすれば、この男は決して最低の悪人ではない」(110

オレークの眼差しの背後には語り手の目があることを、別のシチュエーションが物語る。恋人同士のオレークとゾーヤが、自分達のことにかまけて、瀕死の病人に特別の配慮をしない場面を語り手は描写しながら、こうコメントする。

「その患者はまだ生きていた。だが、あたりには生きた人間の気配はなかった。もしかすると今日がその患者の最後の日かもしれない。その患者はいわばオレークの親友なのだ。みんなに見棄てられ、同情に飢えている一人の人間。そのベッドに腰掛けて、朝まで付き添っていてやれば、臨終の苦しみはいくらか救われるかもしれない。だが二人は酸素吸入器の袋をそのベッドに置いただけで、さっさと階段を上りつづけた。瀕死の人間の最後の頼みの綱であるその袋は、二人にとっては物陰に隠れて接吻するための口実にすぎなかった」(1246

このように、ソルジェニーツィンの創作における語り手は常に人物の背後か、もしくは傍らにいて、時には人物の中に入りこんだり、時には人物達と同じレベルにいて、同伴者として外側からコメントする。そこにはいわゆる「全知の作者」の姿はない。読者が人物の外貌や生い立ち、経歴を知るのは、他の人物の目や言葉、あるいは主題展開の中での人物自身の告白などの語りを介してである。そうした幾つかの例を見てみよう。

オレーク・コストグロートフの面貌は最初、病院新入りのルサノフの目で描写される。ルサノフは風采は立派だが、組合の労務課の役職について、自分の保身に汲汲としてきた男、いまや自分の病気におびえきっている人物である。その男の目にオレークは次ぎのように映る。

「顔がいかにも悪人面で、隣人としては好ましい人物ではなかった。そう見えたのは傷痕のせいかもしれないし(それは唇の隅から始まり左頬の下部を横切って、ほとんど首にまで達していた)、上にも横にも突っ立っている梳らない強い黒い髪の毛のせいかもしれないし、あるいは単に粗野で残忍そうな顔の表情のためかもしれない」(117

この男はいったい何者か? 読者にとってのこの謎は徐々に明らかにされていくのだが、それはあくまでこの男に対する医学生のゾーヤの関心を通してである。ゾーヤはまず彼のことを、入院時の登録カードで知る。彼女には「これだけ読んでも身の上は明らかになるどころか、かえって曖昧になったようだった」(1164) ゾーヤは彼から身の上の断片を聞かされたあと、かえって恐怖さえおぼえる。

「ゾーヤの胸はここで初めて締めつけられた。やはり複雑な事情があったのだ―あの傷痕にも、厳しい表情にも。ひょっとしたらこの男は恐ろしい殺人鬼かもしれない。今にも跳びかかってきて、ゾーヤを絞め殺すかもしれない!」(1169

この男はいったい何者か? ゾーヤにとっても読者にとっても、この疑問が解明されるのは、結局のところ、オレークの自分自身についての身の上話によってである。

「オレークはもう喋らなかったが、ゾーヤは聞きたいことはすべて聞いたのだった。肝心なことは何もかも説明してくれた。追放されているのは人殺しのためではないこと、結婚していないのは肉体的欠陥のためではないこと。そして何年か経った今、昔の恋人のことをこんなにやさしく語るからには、この男はきわめて人間的な感情のもちぬしであるにちがいない」 「苦難に耐え抜いた耐久力と強さを、ゾーヤはこの男にはっきりと感じていた。それは遊び相手の男の子たちには感じられぬ強さだった」(1173174

このようにしてゾーヤのオレークに対する信頼感が強まったあと、いよいよ彼の顔の傷痕の原因となった事件が本人によって語られる。この瞬間、オレークの姿は突然に新たな光によって照らし出されることになる。彼の顔のその傷痕は四七年にクラスノヤルスク中継監獄で、ロシア人のならず者の囚人達に食料を取り上げられた日本人捕虜達に同情して乱闘に巻き込まれた時に受けたのだった。

 

これと似たような、鮮やかな切り替えによる人物に対する見事な光の当て方を、『マトリョーナの家』のマトリョーナに見ることができる。語りの進行する現在においては、農婦のマトリョーナは、とりたてて他人の注意を引かない、平凡な存在である。彼女は目立たず、控えめで、お人よしで、世間の自己本位の人間にとってはまことに都合のよい人物である。第三者の目から見た彼女に対する評価は、物語の最後の部分で、彼女の義姉がのべる言葉に代表される。義姉によると、マトリョーナは「とにかく、だらしなかったし、家財を揃えようという欲もなく、経済観念がまるっきりなかった。なぜか餌をやって育てるのをきらって、豚を飼うこともしなかった。それにばかのお人よしというか、無償で他人の手伝いばかりしていた」(70[xi] マトリョーシャの誠実さや素朴さについてさえも、義姉は「軽蔑と憐れみの口調で語るのだった」(同)

 このような第三者的な評判の直後に、語り手は突如、マトリョーシャの短所と見える側面に、別の角度から光を当て、彼女の義人のイメージを浮かばせる。物欲がなく、虚飾を望まず、家族にも恵まれず、それでいておおらかな気持ちを失わず、滑稽なほど馬鹿正直で、他人のためにただ働きをして、何一つ貯えをしなかった農婦、この存在について、語り手はこうのべて、物語を締めくくる。

「われわれはこのひとのすぐそばで暮らしておりながら、だれひとり理解できなかったのだ。このひとこそ、一人の義人なくして村はたちゆかず、と諺にいうあの義人であることを。都だとて同じこと。われらの地球全体だとても」(71

 このような急激な転換によるマトリョーシャの形象への光の当て方を可能にしているのも、語り手が彼女へ共感的な態度を持つ一方で、他方、物語の進行する現在において、彼女に対する他の人物達の見方や評判、態度に依拠しての語り手としての外在的な立場を踏まえているからである。主人公に対する作者のこのような態度こそ、対話的というべきで、ドストエフスキーのポエチカに完全に対応しているといえよう。

 

 語りの構造における人物への光の当て方に、これに劣らないドラマチックな転換を、私たちは『クレチェトフカ駅での出来事』で見ることができる。この小説でも全知の存在は感じとれない。多くの場合、人物達の外貌、表情、振る舞い、見解、状況は対話者同士の眼差しや言葉のやりとり、反応を通して叙述される。たまに語り手が口をはさむものの、まれである。語りの視点として、すべての人物が同等に振舞う。

 この小説の主人公は軍用列車輸送本部の当直士官ゾートフ中尉であるが、その外貌を読者が知るのは、部下の配車係の女性ワーリャの目を通してである。

「ワーリャは中尉を眺めていた。おかしなほど後ろについている耳、じゃが芋みたいな鼻、眼鏡ごしによく見える薄青色に灰色のまじった眼。仕事のことになると口やかましいけれど、このゾートフさんは悪い人じゃないわ。とりわけワーリャの気にいっている点は、相手が妙に慣れなれしいところのない、礼儀正しい男性であることだった」(101)「ワーリャは、相手の丸い顔を眺めていた。眼鏡をはずせば、まるで子供みたいな頭になってしまう。あまり濃くない明るい色の髪が、ところどころ、まるで疑問符のように渦巻き形に突っ立っていた」(103

 ゾートフ中尉は物語の中心であって、彼の回りに、一つの戦時下の状況の中で、さまざまな運命の人物達が相次いで登場する。ゾートフは愛国者で、原則に忠実で、正義感の強い、誠実かつ礼儀正しい人物であるが、語りの視野は広くない。その代わり、彼の背後には同伴する語り手がいて、彼を支え、より幅の広い直感力が働くように手助けする。その結果、「同化」、「共有体験」と「外在性」という反対方向の作者の感覚を駆使する大きな能力が彼にあたえられている。

 主要な主題はゾートフと、疑いを招く状況で兵員輸送列車に乗り遅れた包囲脱出兵のトヴェリチーノフとの出会いにある。この謎めいた男はゾートフの前に、一見、きわめて感じの良い人物として登場する。この出会いには、『罪と罰』のラスコーリニコフとマルメラードフ、『白痴』のロゴージンとムイシキンの出会いを思わせるものがある。[xii] 同じようにゾートフはトヴェリチーノフの微笑み、その第一印象のとりこになり、相手に興味を持つ。この見知らぬ男に対する好意を、ゾートフは幾度となく口にする。

「この無精ひげを生やした変わり者の微笑は、ざっくばらんな感じのよいものであった」(133[xiii]

「トヴェリチーノフは、相手を信じきった大きなやさしい眼をいっぱいに見開いて、ゾートフをじっと見つめた。その話ぶりは、めったにないくらいゾートフには快いものに思われた」(139)「しかし、ゾートフはこの立派な頭をもつ教養ある人物に対する自分のひそかな好意を、やはり何か物的な証拠で裏づけたかったのである」(145

 ゾートフは自分の経歴の重要な一時期について元俳優と称するこの見知らぬ男に打ち明けさえした。自分についてのこの打ち明け話の直後、ゾートフは突然に、予期しなかった相手の疑わしさにぶっつかることになる。スターリングラード(一九二五年に改名されるまでは、ツアリーツィン・「皇后の都」と呼ばれていた)について、この元俳優がこうたずねたのである。

「「失礼ですが・・・・・スターリングラードというと・・・・・昔はなんと呼ばれていたでしょうか?」 とたんに、ゾートフのなかで何かが破裂し、ひやりとしたものが背筋を走った!こんなことがありうることだろうか?ソビエトの人間が―スターリングラードを知らないなんて?いや、絶対にそんなことはありえない! 絶対に! 絶対に! そんなことは想像もつかない!」(158

この瞬間、ゾートフのトヴェリチーノフへの信頼は瓦解した。ゾートフはトヴェリチーノフへの疑念を隠しながら、彼を取り調べ当局に引き渡した。それでもなお、ゾートフの気持にはトヴェリチーノフを決定的にスパイと疑いきれないものが残った。次のような叙述が続く。「数日が過ぎ、革命記念日も過ぎ去った。だが、あのすばらしい微笑と、縞模様のワンピース姿の少女の写真を持っていたあの男のことは、ゾートフの頭から離れなかった。 何事も、しかるべきように、なされたのだ。しかるべきように、だがはたしてそうだろうか・・・・」(169) 彼は当局へ問い合わせてみた。返事は「取調べ中だ!」だった。しばらく経って、予審判事に会う機会があって再度、たずねてみると、「きみのトヴェリキンとやらの事件も、きっと解決されるだろうよ。われわれの仕事には失敗なんてないんだから」という返事だった。

こうして、真相はゾートフにとっても、読者にとっても闇の中に取り残される。物語は次のような最後の一行でもって閉じられる。

「だが、その後、ゾートフは生涯決してあの男を忘れることはできなかった・・・・」(171[xiv]

これまで見てきて、私が注意を向けたいのは、「同化」、「共有体験」と「外在性、「距離の確保」という反対方向の往還は美学上のかけひき(戦術)、作者の手法(擬似直接話法)であるばかりではなく、最も重要なことは、世界に対する作者ソルジェニーツィンの人間学的思想を映しだした主人公達のイデーでもある、ということである。これまでに見てきたように、作者は主人公達をこの二つの反対方向の境目に立たせ、自分の意思での選択を迫るのである。その際に、「記憶」、「思い出」、「憐れみ」、「同情」といった概念は、人物達の内部の声、独立した人格の表象として、ソルジェニーツィンとドストエフスキーに共通する人間学的思想、言い換えれば、対話の思想に関わることになる。この二人の作家の創作に見られるポリフォニズムは、このような共通した対話的人間学の思想に由来するものと見るべきであろう。

 

むすび

 

ドストエフスキー文学のポリフォニー的性格を指摘したバフチンはそのドストエフスキー論(『ドストエフスキーの創作の諸問題』«Проблемы поэтики Достоевского» 1929)を執筆するための予備的作業として一連の論文を書いている。それらは一九七九年に編者達によって『美学的活動における作者と主人公』«Автор и герой в эстетической деятельности» という表題でまとめられて出版された。そこで彼が駆使している主要概念こそ、私がこの論文でソルジェニーツィン文学の分析に適用した「共有体験」と「外在性」という反対方向の往還の概念である。バフチンが「ポリフォニー」という用語を用いるようになるのは、『ドストエフスキーの創作の諸問題』(1929)以降であって、音楽用語を転用しての比喩的説明は、むしろ読者に曖昧さを招く原因になっているのではないか、と思われる。バフチンがこの用語を登場させたのは、トルストイなどの自然派の流れを組む「モノローグ小説」と対比させるための便宜的な概念ではなかったかと想定されなくもない。問題の本質はあくまでバフチンが予備的作業でおこなった作者と主人公の関係の考察にあり、人物の声を相互に独立したものとして響かせるための作者の位置取りが要点なのである。

このような目でドストエフスキーの創作を見る時、日本近代小説の先駆者であり、ロシア文学の紹介者であった二葉亭四迷が、ドストエフスキーの作者と主人公の関係に注目しながら、いち早く「同化」と「外在性」の往還の問題を洞察していたことに、思い到らざるをえない(エッセイ「作家苦心談」明301897)。二葉亭はツルゲーネフとドストエフスキーを対比しながら、ツルゲーネフに見られる作者の「外在性」(「人物以外に作者が出て」、「批評」、「傍観」、「外囲の方から内部に這入っていく」)を指摘する一方、ドストエフスキーについては、「同化」(「作者と作中の主たる人物とは殆ど同化してしまって、人物以外に作者は出ていない趣」、「直ちに世の実相の真中にとびこんで、外囲の方に歩を進めてゆく」)、に注目して、ドストエフスキー的方法への自分の共感を明言しているのである(「私は今のところでは直ちに作中の人物と同化して仕舞う方が面白いと思っています」)。し

 

かも二葉亭はこの「同化」の方法が「抒情的(リリカル)」に傾く弊害をも意識していて、「人物を活現する妨げをなすおそれがある」として、「何とか好い工夫」をこらさなければならないといっている。この言葉の裏には、二葉亭が明らかに「同化」と「外在性」の往還の問題の重要性を意識していたことがうかがわれよう。

さらに注目すべきは、彼が作者と主人公の関係のこのような問題を、単に創作方法にかかわる美学上の問題にとどまらず、「世の中を見る二つの見方」として、「作家で云って見ればドストエフスキーとツルゲーネフとは、此の二様の観世法を代表している気味があります」とのべていることである。いいかえれば「人間観」、「人間学」の問題としてとらえていたのである。であればこそ、「一々人物が浮きあがって、躍動する気味がある」ツルゲーネフとは違って、ドストトエフスキーの方は、「幾分か人物はぼんやりしている」ものの、「人物と人物との関係に大いなるアイデヤが熾んに見える」という指摘に人間学的な深い意味が感じられるのである。

このように見てくる時、二葉亭の一〇年後に作中人物に対する作者の位置をめぐって論じた夏目漱石をも視野に入ってくる(『文学論』第四編第八章「間隔論」 明四〇、一九〇七)。漱石は「批評的作物」と「同情的作物」という概念を使って、「一切の小説を二大別するを得べき方法」とした上で、方法にかかわる「形式的間隔論」を唱えた。その論旨の示す内容は、二葉亭のいうツルゲーネフ型の叙述のスタイルとドストエフスキー型の叙述のスタイルの指摘に、完全に読み換えることができる性質のものである。しかも漱石が方法上の「形式的間隔論」を超えて、「作家の態度となり、心的状況となり、主義となり、人生観となり、発して小説の二大区別となる」「哲理的間隔論」の領域があることを示唆していることは、二葉亭の「観世法」という表現に重なる。また漱石の『野分』、『こゝろ』をはじめとする創作が「批評的作物」よりはむしろ「同情的作物」の範疇に属することは、明らかである。また「同化」と「外在性」の問題は、漱石においては「人情」、「非人情」の概念に転位されて論究されていると私は見る。[xv]

自然科学や合理主義的な精神を背景とした一九世紀的リアリズム・写実主義・自然主義の流れに抗して、「全知の作者」、「観察者」による一元的な描写のスタイルの限界を悟り、対話的な人間観を基礎にした創作に、より深い人間描写のリアリズムを求めたのがドストエフスキーであった。二葉亭四迷や夏目漱石、そしてまたソルジェニーツィンもこうした方法の流れを汲む作家であるといえるだろう。

最後に一つ補足的に指摘しておきたいことがある。それはソルジェニーツィンにあっては、絶対主観の独善的自我主義としての「地下室的な心理」はほとんど主題としては登場しないことである。むしろより実存主義的な極限状況のなかでの人間の生きざまがソルジェニーツィンの主題であって、『ガン病棟』の主人公オレークが志向するカドミン夫妻の生きかた、つまり流刑生活を「笑いと絶えざる喜び」をもって受け入れる態度が根源的な人間の条件として提示されている。絶望のなかでの精神の高揚としての「歓喜」、これはドストエフスキーの地下室人の自意識やキルケゴールの「不幸な意識」に通低するものの、自我主義に収斂するのではなく、他者との「存在了解」、「生きている実感のなかに、人々とともにあること」の喜びを示す「微笑」に転位される―これは椎名麟三が『永遠なる序章』で提示した主題でもあった。[xvi]

「今日からわたしの肉体も自分にとってはもはや無用の長物だ。ただ私の精神と良心だけが、私にとって何より重要なのだ」「すべてを諦めた人だけが勝つのだ!」(1-193)『収容所群島』の記述に見られるこうした逆説の精神こそ、私たちの想像を絶する苦難の時代と状況を超人的に生き抜き、九〇歳にわずか四ヶ月とどかずして世を去った偉大な作家の人間と文学の真髄をなすものであったと、私には思われてならない。

 

 

 



[i] 舞台の裏に隠れた「一次的作者」とそれに代わり表に出た「語り手」、そして権威のない語り手の役割を奪って表面に出て弁説をふるう副主人公といった、ドストエフスキーにおける同時代の「自然派」の作者たち(ゴーゴリやツルゲーネフなど)とは異質な語りのスタイルの自在さを、私は初期中『弱い心』の分析で考察した。拙論「小説『弱い心』の秘密―なぜ二人は互いに理解し合わなかったのか?―」(「ドストエーフスキイ広場」一四号、二〇〇五)を参照されたい。

[ii] 「作中人物の言葉を直接話法や間接話法によらず、語り手の声にかぶせて再現する手法で、これにより語り手と作中人物の声(視点)が二重化される」(F.シュタンツェル『物語の構造』、前田彰一訳、岩波書店。一四頁)

[iii] ドストエフスキー全集(Полн. собр.соч.в 30 тт. Л.Наука, 1972-1990 )引用末尾括弧内は巻数と頁

[iv] 『イワン・デニーソヴィチの一日』木村 浩訳、新潮文庫、八頁

[v] Лихачев Д.С. Литература-реальность-литература .Л., 1984.С.88

[vi] Гиголов М.Г. Типология рассказчиков раннего Достоевского// Достоевский: Материалы и исследования. Т.8.Л.,1988.С.5

[vii]  Ягодовская А.Т. Образ и смысл предметного мира в романах Ф.М. Достоевского // Типология русского реализма второй половины Х1Х века. М., 1979.С.138

[viii] А.Л. Толстой. «Анна Каренина» Гос. изд-во Худ.лит., М.,1955 引用末尾括弧内は頁

[ix] ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』木村浩・松永緑弥訳 タイムライフ社、一九六九 引用末尾括弧内は巻数と頁

[x] ソルジェニーツィン『ガン病棟』小笠原豊樹訳 新潮社 1969 引用末尾括弧内は巻数と頁

[xi] ソルジェニーツィン『マトリョーナの家』木村浩訳、新潮社文庫、一九七八 引用末尾括弧内は頁

[xii] ラスコーニコフの背後にいる語り手はマルメラードフと彼との出会いの場面を次のようにコメントする。

 

「まったく見知らぬ間柄でありながら、ひとことも言葉を交わさない前から一目見て、とつぜん、急に興味を感じだすといった出会いがあるものである。ちょっと離れた場所に座っていて、退職官吏に似ている客がラスコーリニコフにまさしくそのような印象をあたえた」(612

 

ロゴージンは小説の冒頭の部分、列車での出会いの後、駅頭での別れ際に、ムイシキンにこう告げる。

 

「公爵よ、なぜお前を好きになったのか、おれにも分からねえ。こんな時に出会ったせいかもしれねえな。 でもこいつ(彼はレーベジェフを指した)にも出会ったのだが、好きにはなれなかったものな。公爵、おれんちに遊びにこいよ」(812

[xiii] ソルジェニーツィン『クレチェトフカ駅の出来事』(『マトリョーナの家』木村浩訳、新潮社文庫、一九七八所収)引用末尾括弧内は頁

[xiv] 主人公ゾートフのこの思いの背後に、作者ソルジェニーツィンが『収容所群島』で「継電器探知器」と名づけている彼の独特の直感能力の存在が感じられる。

 

「自分がその創造に関与しなかったこの神秘的な継電器探知器は、私がそのことを思い出すより早く作動した。相手の顔や目を一目見たとたん、あるいはその声を耳にした瞬間、それはひとりでに作動して、私の心をその相手に開放するか、ほんの少ししか開かないか、あるいは完全に閉じてしまうかするのだった。それは常に誤りがなかったので、私には保安将校が懸命に密告者を狩り出すのもばからしく思われたほどである。なにしろ、裏切者の役を買ってでた連中はその顔を見ても聞いてもすぐわかるからだ。非常にうまく化けているように見える連中でも、どこかしっくりしないものだ。また、これとは逆に、私の探知器は自分が最も大切に心にしまっていたこと、たとえばもし当局に知られたらそれこそ死刑にもなるような隠しごとや秘密を、知り合った最初から打ち明けてもいいような人びとの識別にも力をかしてくれた。こうして私は懲役八年、流刑三年、さらに危険性では前者に少しも劣らない地下著作業の六年を過し、この十七年間にわたって何十人という人びとに軽率にも心を打ち明けてきたが、ただの一度も失敗したことはなかった! ― こんなことはどの本でも読んだことがないので、私はここに心理学の愛好者のために書きとめておくことにする。このような精神的メカニズムは多くの人びとに備わっているように思われる。だが、あまりにも技術と知性の発達した時代に生きる私たちは、このような奇跡を軽視し、それが自分のなかで発達することを妨げているのである」(『収容所群島』T 木村浩訳、新潮文庫、一九七六、二七三頁)

 

[xv] この問題については、「ドストエフスキーと漱石−『草枕』における「憐れ」と「非人情」の概念をめぐって」(拙著『ドストエフスキー その対話的世界』成文社 二〇〇二 所収)を参照されたい。 

[xvi] 拙論「椎名麟三とドストエフスキー」(「ドストエーフスキイ広場」一二号、二〇〇三、三一頁)