ドストエフスキー文学の

「最高の意味でのリアリズム」とは何か

                     

                   (初出:「江古田文学」662007

 

 

ドストエフスキーは他界する直前の時期、一八八一年のメモに、自分の創作の特質についてこうのべています。「私は心理学者と呼ばれているが、正しくない。私は最高の意味でのリアリストだ。すなわち、人間の魂のすべての深みを描くのである」(2765[i]

 

 この言葉の数行前には、「完全なリアリズムのもとで、人間の内なる人間を発見すること」との記述も見られます。 また『未成年』を発表して、『カラマーゾフの兄弟』にとりかかる前、『作家の日記』と題する一連の社会評論に精力的にとりくんでいた一八七六〜七七年の頃のメモにはこういう記述を残しています。「リアリストたちは正しくない。なぜなら人間は全体として、未来にのみ生きるのであって、現在によってすべてが汲みつくせることはけっしてありえないからである」(24247248

 ドストエフスキーがここでいっている「リアリストたち」とは、いわゆる19世紀リアリズム文学の作家たちで、人間描写において、多かれ少なかれ、自然環境、社会環境、遺伝的因子、生理的要素など外部的な要因を重視する「決定論」的な人間観を共通の基盤とした小説家たちのことです。ロシアでいえば、ツルゲーネフ、ゴンチャロフ、レフ・トルストイなどはこの系列に入ります。二葉亭四迷がゴンチャロフの方法についてのべている次のような表現が、その特徴をうまく伝えています。「かういう境遇に育ったから、かういふ経過を経て、かういう性質に成つて了つた。かういふ性質になつて了つてゐるから、かういう場合に臨んで、どうしてもかうより外にすることは出来なかつたと云うような書き方」(「露西亜文学談」)[ii]

 一九七〇年代から九〇年代にかけて、ロシアを代表する知性といわれた中世ロシア文学研究の権威で、ドストエフスキーについても幾つかのすぐれた論文を残しているドミトリー・リハチョフ(一九〇六〜一九九九)も興味深いことをいっています。

「ドストエフスキーに近い先行作家たち、また同時代の作家たちは、時間を描くのに、一つの視点から、しかも不動の視点から描いた。語り手はあたかも読者の前で想像上の快適な安楽椅子(いささか地主風の、いわばツルゲーネフ風の)に腰を落ち着けて、発端も結末も承知のうえで、おもむろに自分の物語をはじめたといった感じである」(90[iii] 起承転結、因果関係をモチーフにした叙述はドストエフスキーにはなじまないというのが、リハチョフの一貫した見方で、「ドストエフスキーの語りの自在さは、因果関係の系列からの自由、心理学の抵抗からの自由、初歩的な風俗描写の論理からの自由を要求する」[iv]とのべ、『カラマーゾフの兄弟』の裁判の場面で、弁護士が検事の論告を反論する際に使った「心理学は両端のあるステッキ」という表現にドストエフスキーの立場を見ています。人間の内面を心理学的にいかに外部から詳細に観察し、原因、結果の文脈で分析してみても、本質には迫れないということを指摘しているのです。

 これはいわば自然主義文学に典型的な、外部からの観察によって人物像を固定する方法に対する根元的な批判というべきで、確かにドストエフスキーは処女作『貧しき人々』で、ジェーヴシキンに『外套』の作者ゴーゴリを非難させた時に、すでにそのような自然主義的な人間把握に批判的な立場を宣言したのでした。あまり知られていないドストエフスキーのメモに次のような言葉があります。「存在は非存在に脅かされる時、はじめてありうる。存在は非存在の脅威を受けるその時はじめて存在しはじめるのである」(24240

 ドストエフスキーがとらえるこのような人間存在のありかたを解明し、それを基礎にドストエフスキー論を展開したのが、ミハイル・バフチン(一八九五〜一九七五)でした。バフチンは一九二九年に発表したドストエフスキー論(『ドストエフスキーの創作の諸問題』)を書く前に、その予備的な作業として、のちに『美学活動における作者と主人公』と題してまとめられる一連の論文を書いています。そこでバフチンは前記のドストエフスキーのメモの注釈とも見える考察を展開しています。

「現にあるものがすべてである、という時間的に完全に完結した意識、そうした意識を持っては何も成すことがないし、生きることもできない。<・・・>私自身にとって、すでにある現在の在りようは一瞬たりとも自己満足とはなりえないし、容認できるものではない。私が容認できるものはつねに未来にある」(185[v]

 人間の内的生命のこのような志向を洞察し、その心理的な動きを描くこと−ここに「最高の意味でのリアリズム」を掲げるドストエフスキーの中心課題があったと思われます。しかしこれが芸術家にとっていかに困難な課題であるかは、バフチンのさらなる次のような考察によって浮かび上がってきます。「自分自身に向ける私の反省は一瞬たりとも現実的ではありえない。私は自分自身に対して与えられた客観的事実の形を関知しない。与えられた客観的事実の形は根底において、私の内的存在の状況を歪めるものである」(186

「私の自己規定は<・・・>時間的存在のカテゴリーにはなく、未だ非存在のカテゴリー、目標と意味のカテゴリーにあり、過去、現在におけるあらゆる私の在りように敵対する、意味をもった未来に存する」(187) 

 バフチンによる人間主体のこのような人間学的理解に対応する内的な生の姿を、私たちはドストエフスキー文学の主人公たちに、容易に認めることができるでしょう。『貧しき人々』の主人公ジェーヴシキンをはじめとして、大方の主人公たちは、第一に、自分の「与えられた客観的事実の形」、つまり自分が外側から規定されるような社会的地位や物質的な条件に対して、多かれ少なかれ、否定的に反応し、それは彼らの「内的存在の状況を歪める」、つまり自尊心を傷つけ、夢を、未来を奪うものと感じています。第二に、そうした主人公たちにとって、<自分にとっての私>は現存の時間のなかにあるのではなく、<未だ存在しないこと>、いいかえれば「未来」、しかも、堪え難い過去、現在とは対照的な「未来」の可能性にあります。

人間的存在のそのような解釈はただちに地下室人やラスコリニコフをはじめとするドストエフスキーの空想家の形象を想い起こさせます。もちろん空想家の形象は、『白夜』の主人公が「それは風変わりで、とても滑稽なタイプです」というように、社会的タイプとしてとらえることもできます。 ロマン主義的人間としての空想家はその誕生の文脈から見ると、19世紀ロシアの社会状況、プーシキンをはじめとする先行文学、同時代文学の伝統、とりわけ「余計者」の意識と結びついていますが、「最高の意味でのリアリズム」といった場合には、問題はドストエフスキーによって、より一般化され、形而上的次元に移され、人間学的、存在論的問題として提起されることになります。

そのような人間学的次元で、作者は主人公との関係において、どのような問題に直面するのでしょうか。バフチンはこうのべています。「現実の人間が経験する形式は私と他者のイメージのカテゴリーの相関関係である。唯一の自分を経験する私の形式は、根本的に他者の形式、すなわち例外なく、すべての他の人間をその形においてわたしが経験する形式とは根本的に異なっている。他の人間の私は、わたしによってわたし固有の私とはまったく違った風に経験され、その固有の私も他者のカテゴリーのもとに、その一モメントに位置づけられる。この相違は美学ばかりか倫理学にとっても本質的な意味をもつ」(117)

このような人間学的原則から発して、作者の意識にきわめて複雑なプロセスが生じてきます。「美学的意識というのは、価値を見出そうとする愛にみちた意識であり、意識の意識である。他者なる主人公の意識が有する作者私の意識である。美学的な出来事においては、私たちは二つの意識、原理的には一体化し合えない二つの意識の出会いを持つ。その際、作者の意識は主人公の意識に向かって、モノとしての組成、モノとしての客体的な意義の視点ではなく、生命にみちた主観の統一体という視点から臨む。そして主人公のその意識は具体的に局限化され(もちろん具体化の程度はさまざまであるが)、具象化され、愛情をこめて完結される」(159

ここにいたり、主人公に対する作者の関係において生じる、相互に正反対な二つのプロセスが重要な意味を帯びてきます。それは「同情的共体験(симпатическое сопереживание)」に対する「外在性(вненаходимость)」という対向概念、あるいは「内面的一体化(внутреннее слияние)」、「体験共有(вживание)」に対する「自己への、自己の場所への回帰(возврат в себя , на свое место)」、「体験共有した素材の完結(завершение материала вживания)」という対向概念のプロセスです。

私はこれまで発表してきたドストエフスキー論の中で、バフチンと同じ意味で、「同化」と「離脱(距離の確保)」という概念を使ってきました。示唆をあたえてくれたのは、ツルゲーネフとドストエフスキーの主人公に対する態度を対比してのべた二葉亭四迷の「作家苦心談」の中の指摘です。二葉亭によると、ツルゲーネフは人物の外部にあって、批評的な態度で臨んでいるが、ドストエフスキーは「人物と殆ど同化してしまッて、人物以外に作者は出ていない趣がある」。自分はドストエフスキーのやりかたに興味を覚えるが、「是には動もすれば抒情的に傾く弊が」あって、人物を「活現する妨げをなす虞はある」。しかし「是は弊ですから、何とか好い工夫」をしたらよいだろう、というのです。[vi]二葉亭が「抒情的に傾く弊」といっているのは、バフチンのいう作者の「外在性」の必要をいみじくも指摘したものと私は理解します。

ところでこの正反対のプロセスは作者の創作行為においてどのように作動するのか?

この問題について、バフチンはこうのべます。「体験共有と完結のモメントは時間的順序を追って継起するのではない。私たちはそれらの意味上の違いを主張しはするものの生の経験においてはそれらは相互に緊密にからみあっている。言語作品においては、それぞれの言葉は二つのモメントをもっていて、二重の機能を持ち、体験共有をめざしながら、完結し、優位に立つのはいずれかのモメントである」(108

ところで、たいへん興味深いことに、一九二〇年代の中頃まで、たとえば『美学活動における作者と主人公』の一連の著述にいたるまで、バフチンは1929年の著作『ドストエフスキーの創作の諸問題』では、キーワードともなる「対話」という用語をなぜかまったく用いていません。そのことは著作集巻末の語彙索引から見ても一目りょう然です。

さて、一九二九年のドストエフスキー論ではこのあたりの問題はどう論じられているでしょうか。「内的な人間を冷静な中立的な分析の客体として支配し、洞察し理解することは出来ない。それと一体化し、感情移入することによっても、それを支配することはできない。いな、内的な人間に接近し、彼を開示することができるのは、より正確にいえば、彼自身に自己開示を迫ることができるのは、ひたすら彼との対話的な交流によるのみで、<・・・><人間の内なる人間>はひたすら交流、人と人との相互作用においてのみ、他人にとってもまた彼自身にとっても開示されるのである」[vii]

そこで「人間の内なる人間」が開示される芸術的雰囲気について、バフチンはこうのべます。「このような雰囲気のどの要素一つとっても中立的ではありえない。すべてが主人公の急所を刺激し、挑発し、問いかけ、論争し嘲笑さえしかけなければならない。すべては主人公自身へ向けられ、反転されなければならない。すべては欠席者について語る言葉ではなく、目の前の席にいる者についての言葉として、<三>人称の言葉ではなく<二>人称の言葉として感触されなければならない」[viii]

バフチンのこれらの言葉から、私たちは二つの重要なモメントを引き出すことができます。一つは主人公に対するこのような作者の言葉は一種のアイロニーにほかならないということです。いうならばそれはソクラテス的な作者のアイロニーで、しかも、ソクラテスの場合のような理知的、知性的な次元のものではなく、実存主義的な、むしろキルケゴール的なアイロニーです。もう一つの重要なモメントは、マルチン・ブーバー(18781965)の<われー汝>の人間学に見られる意味での二人称的態度が強調されているということです。

ブーバーと似た思想を一九一四年に、ロシア象徴主義の詩人ヴャチェスラフ・イワーノフ(一八六六−一九四九)がドストエフスキーの「最高の意味でのリアリズム」の概念に関連してのべています(『ドストエフスキーと悲劇としてのロマン』)。イワーノフはドストエフスキーのリアリズムを認識ではなく、洞察だとして、こうのべます。「洞察というのは主体のある種のtranscensus(超越)であって、その状態にあっては、他人の()を客体としてではなく、もう一つの主体として受け入れることが可能になる。<・・・>そのような洞察の象徴は、全意思でもって、理解力のすべてをかけて、他人の存在を<汝あり>と絶対的に確言することにある。<汝あり>とは、《汝がわたしによって現存として認識される》のではなく、《汝の存在がわたしによって、わたしの存在として経験される》、もしくは《汝の存在によってわたしは自分を現存するものと認識する》ことを意味する」[ix]

バフチンはイワーノフの概念を継承しながら、「主人公は作者にとって、<彼>でもなく、<私>でもなく、完全な価値を有する<汝>、すなわち完全に対等な別の他者の<私>(《汝あり》)である」[x]とのべます。私の見解では、《汝あり》、いいかえれば、<われー汝>の問題は、イワ−ノフにあっての場合も、バフチンの場合も、議論の範囲はまだ詩学(創作方法)の枠内にあって、実存的、存在論的問題に十分に触れて展開されているとはいえません。

ブーバーの場合には似通った人間学的認識が、人間の実存的、存在論的問題として提起されます。この思想家の場合にも、他者との関係性において、相互に正反対の二重のプロセスを示す対概念<われ−汝>、<われ−それ>が登場しますが、それは人間の存在論的条件を示すものです。ブーバーによれば、「ひとりのひとにたいし、わたしの<なんじ>として向かい合い、根元語<われーなんじ>をわたしが語るならば、そのひとは、ものの中の一つのものではなく、ものから成り立っている存在者でもない。

そのひとは、他の<彼><彼女>と境を接している<彼><彼女>ではない。時間、空間から成り立つ世界の網に捉えられた一点ではなく、また経験され、記述される性質のものでもなく、いわゆる個性と呼ばれるような緩い束のようなものでもない」(15[xi]

ブーバーのこのような人間学的、存在論的理解をバフチンの主人公に対する作者の関係にあてはめるならば、おそらく、「同情的共体験」対「外在性」という相互に対向する二重のプロセスの意義と不可避性が人間学的思想の側面から浮かび上がつてくるはずです。

ブーバーはもう一つの重要な命題を提示します。すなわち、「<なんじ>の世界は時間と空間になんら関連をもたず」、「個々の<なんじ>は<われ−なんじ>の関係が終わりに達すると、<それ>とならなければならない」(46) そうであるからには、芸術家は自らは時間空間の拘束に縛られることなく、自立性と自由を保ちつつ、自分の仕事を完結するためには、言い換えると、時間空間の因果関係によってのみ実現可能な形式を主人公にあたえ、描くためには、つねに先回りして、主人公との距離を確保しなければなりません。

こうした作者の一種の策略をわたしは対話性の本質ともいうべきイロニーと呼びたいのです。人間学的思想によれば、「個々の<それ>は、関係のなかにはいってゆくことにより、<なんじ>となることができる」のですから、作者はつねに自由に、変幻自在に主人公の内部へ入りこみ、<われ−汝>の関係を繰り返し回復することができるわけです。このようにして、作者は時間、空間の因果関係による固定化を回避しつつ、「同情的共体験」−「外在性」の緊張をはらんだ閾(しきい)で、全知の存在として、作品の中を自由自在に動きまわることになります。バフチンにいわせると、「一次的作者は形象になりえない。彼はあらゆる形象のイメージから逃れ出てしまう」[xii]というわけです。

こうした人間学的思想に基づいて、あらためてドストエフスキーの世界を見渡すならば、<われ−汝>、<われ−それ>の対向の二重のプロセスは、作者と主人公の関係ばかりではなく、ドストエフスキーの作品の主題構成にも反映しているとことがわかります。

すでに初期作品群の主人公たち、ジェーヴシキン(『貧しき人々』)、ゴリャードキン(『分身』)、『白夜』の主人公、『弱い心』のワーシャやアルカージイ等々は、他者との共体験、共同主観のユートピア的夢想に捉えられた人物としてまず作品に登場します。他の人物に対する彼らの感情(共感、同情、体験共有など)は、<われ−汝>の共有体験のカテゴリーに非常に近いものです。ところが、時間、空間のなかでの主題の展開にともなって、通常、他者に対する彼らの関係は、質的にだんだんに変化し、<われ−それ>の客体化の世界に陥ちていきます。その結果、ある瞬間、不協和音があらわになり、彼らの夢は崩壊に瀕するのです。そのような運命にブーバーは美しい表現をあたえています。「われわれの世界にあって、それぞれの<なんじ>が<それ>とならなければならないということ、これはわれわれの運命の高貴な悲しみである」(26

わたしはかって書いた「“貧しき騎士”・ムイシキン公爵の“運命の高貴な悲しみ”」と題する論文で、ムイシキン公爵のそのような運命のプロセスの分析を試みました。[xiii]<われ−汝>のカテゴリーの意味での「同情」の理念を体現する公爵は、彼に出会う人物の心を初対面から、瞬時にとりこにし、相手の心理的な多面性を開示させる腕を持っていて、まさしく作者の意を体した対話的な存在として登場するのですが、時間経過にともなう主題の展開のなかで、二重の三角関係の争いに巻きこまれ、二人の女性の奪い合いの的(モノ)となって、<われ−それ>の状態に頽落し、精神病の再発に到るのです。

似たようなテーマと同様の主題構成は『弱い心』という中編小説にも見ることができます。「小説『弱い心』の秘密−なぜ二人は互いに理解し合わなかったのか?」と題する論文で、わたしは『弱い心』の主人公ワーシャ・シュムコフ破滅の原因を分析しました。[xiv]

シュムコフの内面に入りこみ、親友の心理を共有しようとするアルカージィは、友を救おうという善意の思いにもかかわらず、主題の展開の中で、友人の心理的圧迫者に、否応なしに変質していきます。シュムコフが発狂して病院へ連れ去られることになり、二人が別れる最終場面で、一次的作者の声を映した語り手の言葉が響きます。「このわざわいはどこに潜んでいたのか?どうして彼等は互いに理解し合わなかったのか?」 このようにして、この小説のテキストのもう一つの隠された層が突然に露出してきます。さらに、小説フィナーレの有名なネワ河の場面では、通常、「幻想」と訳されていますが、実はアルカージイには「幻想」にとどまらず、「洞察」の感触が不意に訪れます。ここで使われている語彙 «видение»(ヴィデーニエ、ヴィーデニエ)はアクセントの位置によって、「幻想」と「洞察」の両意義があり、「彼の唇はふるえて、目は急に燃えたった。彼は見る見るうちにあおざめてきた。この瞬間、何かある新しいものを洞察したような具合だった・・・」(傍点―筆者)という叙述は、アルカージイに神秘的な感覚と洞察の感触が明確に到来したことを告げています。これこそ「最高の意味でのリアリズム」の象徴というべきでしょう。

 ドストエフスキーが「最高の意味でのリアリズム」に到達した時期をめぐって、ヴャチェスラフ・イワーノフは、作家の死刑執行劇とシベリアでの獄中体験後と仮定し、「ドストエフスキーの創作のすべてはこの時期より、内的な人間、精神的に誕生し、限界を超えた人間を暗示するものとなった。その世界感覚においては、先験的なものがわたしたちにとって内在的となり、内在的なものが、ある部分、先験的なものとなる」とのべています[xv]。また現在のロシアの代表的な研究者の一人、カレン・ステパニャンはその時期を、「ドストエフスキー自身が一種の告白と懺悔を経過した」『地下室の手記』以後に見ています。[xvi]

 わたしの考えでは、「最高の意味でのリアリズム」は、すでに『貧しき人々』に十分に実現されていて、それはジェーヴシキンとワルワーラの関係の展開の描写に見てとることができます。ワルワーラとの関係において、<われ−汝>の「体験共有」、主観共同を求めるジェーヴシキンの夢は、主題展開の過程で、いつの間にか変質し、ワルワーラにゴーゴリの『外套』を読まされた後に、目立って頽落の道をたどります。主観共同、共感、同情といった主人公たちの関係に、現実の別の時間が底流し、客体化、<われ−それ>の状態への転落が顕在化してくるのです。『貧しき人々』のフィナーレの場面で、ワルワーラがジェーヴシキンを自分のレースや刺繍のことで、使い走りさせる行為の意味を、ジェーヴシキンの彼女の生活への過度のおせっかいに対する「償い」、抗議だとする、批評家ワレリアン・マイコフ(一八二三〜一八四七)(新進作家ドストエフスキーの創作の本質の鋭い理解者)の指摘は、一見、突飛なように思えますが、<われ−汝>の運命の鋭い洞察に裏付けられたうがった見方です。[xvii] 芸術における「共感の法則」の理論家であったマイコフは、おそらく、「体験共有」−「外在性」の閾(しきい)の問題を感知し、主人公たちの二重の心理的プロセスのダイナミズムを察知するところがあったにちがいありません。

 ここで、「最高の意味でのリアリズム」に関連して、<われ−汝>の理念の別の側面にもう一度、立ち返ります。ブーバーによれば、「個々の<それ>は、関係のなかにはいってゆくことによって、<なんじ>となることができる」(46)いいかえると、いったん客体に陥ちた人間も、ふたたび<われ−汝>の関係で、よみがえることができる、「精神の時間においては、<それ>となったものは再び人間の心を捉え、応答をひき起こすとき − この対象となってしまった<それ>はいく度も<なんじ>の現存へと燃え上る」。(51) ここで「精神は言葉である」と記されています。ここによみがえりの思想が浮かび上がってきます。ステパニャンは「最高の意味でのリアリズム」に結びつけて、一つの空間の中に、地上の都市ペテルブルグと黙示録的な新エルサレムの二つの層の共存を指摘していますが、わたしの考えでは、これはこれまで考察してきた二重のプロセスの文脈で、根源的に捉えることができるはずです。すなわち、時空間の因果関係に束縛された客体化への頽落のベクトル(ペテルブルグの現実)とその束縛から脱して自由へ、復活の夢への熱烈な衝動のベクトル(新エルサレム)です。<われ−汝>、<われ−それ>の人間学的、存在論的なこのような対向する局面の相互関係が、ドストエフスキーの創作の主題を初期から後期にいたるまで、決定しているといえます。アイロニー的な策略である<体験共有−外在性・完結性>という形での、作者の主人公に対する対話的態度は、時には完全な価値を有する人格である主体として現象し、時には客体化されたモノとして現象する二つの局面の閾(しきい)に運命づけられた人間存在の「人間の内なる人間」を描くという芸術的課題に、完全に対応したものと見ることができるでしょう。

 

 



本論文は第一三回国際ドストエフスキー・シンポジュウム(二〇〇七年七月三日―七日、ハンガリー・ブタペスト)で発表したテキストを基に、手を加えたものです。

 

[i] ドストエフスキーの著作からの引用は全てロシア語版三十巻全集(レニングラード、ナウカ社版、一九七二−一九九〇)による。括弧内の数字は巻数と頁を示す。

[ii] 新書版・二葉亭四迷全集全九巻第五巻(岩波書店、一九六五年)一七九頁

[iii] D.S. リハチョフ 「文学―現実―文学」(レニングラード、ソビエト作家出版所、一九八四)九〇頁

[iv] 前掲書、七六頁

[v] M.M. バフチン「一九二〇年代の著述」(キエフ、Next社、1994)、以下括弧内の数字は同書からの引用頁。

[vi] 前掲書、二葉亭四迷全集全九巻第五巻、一六五頁

[vii] M.M. バフチン『ドストエフスキーの創作の諸問題』(キエフ、Next社、1994)、一六〇頁

[viii] 前掲書、五七頁

[ix] V. イワーノフ「ドストエフスキーと悲劇としてのロマン」(『身寄りのものと全世界的なもの』所収、モスクワ、レスプーブリカ社、一九九五、二九四−二九五頁)

[x] 同上、『ドストエフスキーの創作の諸問題』、八四−八五頁

[xi] マルチン・ブーバー著、植田重雄訳『我と汝・対話』(岩波文庫)、以下括弧内の数字は引用頁

[xii] M.M. バフチン「一九七〇−一九七一のメモから」(『文学作品の美学』所収、モスクワ、一九七九、三五三頁)

[xiii] 拙著『ドストエフスキー・その対話的世界』(成文社、二〇〇二年)所収 「『白痴』論 − ”貧しき騎士“ムイシキン公爵の”運命の高貴な悲しみ“−」三六−五七頁

[xiv] 拙著(ロシア語論文集)『ドストエフスキーの創作の人間学と詩学』(サンクト−ペテルブルグ、銀の時代社、二〇〇五年)所収、九八−一〇八頁

[xv] V. イワーノフ 前掲書 二九七頁

[xvi] K.A. ステパニャン『意識すること、語ること―ドストエフスキーの創作方法としての“最高の意味でのリアリズム” 』(モスクワ、RARITET社、二〇〇五)一〇七頁

[xvii] V.N. マイコフ 「一八四六年のロシア文学についてのあれこれ」(『文学批評』所収、レニングラード、藝術文学出版所、一九八五、一八一頁)。詳しくは拙論「ドストエフスキーの創作理念とヴァレリアン・マイコフの“共感の法則”」(『ドストエフスキー・その対話的世界』 成文社、二〇〇二年)所収、五八−六八頁、参照