ドストエーフスキイの会 ニュースレター No.119 News Letter of Japanese Dostoevsky Society 2013.10.30 ----------------------------------------------------------------- 事務局・〒273―0853 船橋市金杉9-17-2 木下方 (Tel&Fax:047-448-9213) Home
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報告者紹介:中本信幸(なかもと のぶゆき) 神奈川大学名誉教授。東京外語大ロシア語学科卒。専攻は、ロシア文学・演劇。2004年のチェーホフ没後百年記念委員会の運営委員長。演劇評論家。07年、日本の文化勲章に当たるロシア最高のプーシキンメダルを受賞。「チェ―ホフのなかの日本」「エカテリナ2世物語」などの 著書がある。 ニュースレター119 2013――――――――2――――――――――――― 第218回例会報告要旨 ドストエフスキーとチェーホフ 中本信幸 ドストエフスキー(1821‐81)とチェーホフ(1860‐1904)は、同時代人である。両者は出会ったことはなかったが、チェーホフはドストエフスキーに深く馴染んでいた。 1)チェーホフは青年時代からドストエフスキーの作品に親しんでいた。 「わたしの生活はこんなにも豊富で、こんなにも複雑で、こんなに多彩で・・・・。でもそれにしても、わたしは不幸だわ!わたしはドストエフスキー好みの苦悩者ですわ・・・。わたしの心を世界の人に見せてやって、ヴォリデマール,この憐れな心を見せてやって!あなたは心理学者なんですもの。ここでこうして話し込んでまだ一時間とたたないうちに、わたしのことはもうすっかり、何から何までおわかりなんですもの!」(チェーホフ『謎の性格』1883、松下裕訳) 以上のように、チェーホフの初期作品にドストエフスキーの影響がうかがわれる。 チェーホフの多幕物戯曲のひとつ『ワーニャ伯父さん』から。 「一生を棒に振っちまった!ぼくだって才能もあるし、頭も冴えているし、勇気もあって・・・ まともな生き方をしていりゃ、ショーペンハウエルにも、ドストエフスキーにもなれたかもしれない!ぼくは、なんでこんな下らんことを!ぼくは頭にきている・・・ お母さん、ぼく、やけっぱちだ!お母さん!」と、ヴォイニツキーがぼやく(チェーホフ『ワーニャ伯父さん』第3幕、1899)。 2)なぜか旧ソ連時代のロシアでは、「ドストエフスキーとチェーホフ」を扱った論考はあまり刊行されていなかった。しかし、1970年代から「ドストエフスキーとチェーホフ」を扱う論考が相次いで刊行されるようになる。 ベールキン著『ドストエフスキーを読む』(モスクワ、1973)、クレショフ『チェーホフとドストエフスキー』(『チェーホフ論叢ヤルタ』モスクワ、1978)、ミハイル・グロモフ『チェーホフとドストエフスキー:大いなる対立』(ミハイル・グロモフ『チェーホフに関する本』モスクワ、1989)、ゲオルギー・ベルドニコフ『チェーホフトドストエフスキー』(『ゲオルギー・ベルドニコフ選集2』モスクワ、1986)など。 3)ドストエフスキーとチェーホフの多彩で豊饒な相関関係があぶりださ れた。その一端を紹介する。ドストエフスキーの『永遠の夫』(1869‐1870) ――――――――――--―3――――――――――――ニュースレター119 2013 の主人公の苗字はヴェリチャンニノフで、チェーホフの『中二階のある家』(1896)の女主人公たちはヴォルチャニノフ家の令嬢リージヤ・ヴォルチ ャニノワとその妹ジェーニャ・ヴォルチャニノワである。その他多くのドストエフスキーとチェーホフの相関関係にスポットを当てる。チェーホフの『サハリン島』(1895)、(短編『黒衣の僧』)(1893) 創作技法の点でも:ドストエフスキーのA・コルヴィン・クルコフスカヤ宛の手紙(1864年12月14日付け)は、作家の技量は「彫琢・余分のものを削ること」と強調している。これは、チェーホフの有名な箴言「簡潔は才能の姉妹」と照応する。 ――― 参考文献:『現代に生きるチェーホフ』(東洋書店、2004)、清水正『チーホフを読め』(鳥影社、2004)、Кулешов В.И. «Чехов и Достоевский:великое противостоние»(-Кулешов В.И . Чехов и Достовский. В кн. Чеховские чтения в Ялте Москва 1978)、Бердников Г.П.
Чехов и Достоевский Вк. Бердников Г.П Избранные работы в двух томах Т.2.-----М.1986、Михаил Громов
Книга о Чехове, М. 1989 . 第217回例会傍聴記 原口美早紀氏の「『白痴』を流れるキリスト教思想とは何か—ヨハネ福音書とヨハネ黙示録—」を聴いて 熊谷のぶよし 発表は、前半「『白痴』のイデーとヨハネ福音書」と後半「『白痴』の世界とヨハネ黙示録」の二部に別れた。ヨハネ福音書とヨハネ黙示録はヨハネ教団の思想を共有しており、そこには生の「饗宴」の感覚がある。この「饗宴」の感覚を『白痴』の登場人物たちの物語の中に見出していったのが今回の発表であった。 第一部冒頭で、「完全に美しい人」について述べた手紙に「ヨハネ福音書」への言及があることを指摘する。その福音書にある歓びの感覚を、ドストエフスキーは、死刑からの恩赦の時の決定的なイエス認識の瞬間の中で体験し、ムイシキンのキリスト性として壺割りの演説において再現したと原口さんは言う。 一方、無限の憐れみを持つムイシキン像は、死期の近いイッポリートや妻を亡くしたレーベジェフへの同情の欠如によって退けられる。彼の同情はナスターシャだけに向けられたものであり、その同情も、幼児期に虐待を受けた者同士の共感という経験の次元で理解される。こうしてムイシュキンのキリスト性はあえて言えば抽象的な「憐れみ」から生の体験に根ざした「歓喜」へと収斂される。 第一部の最後では、死んだナスターシャの足音としてのマテリアルな復活が論じられたが、ナスターシャの復活とは、足音をきっかけにしてムイシキンとロゴージンに よって為された、死せるナスターシャについての、生きている人のことを思い浮かべ る時の歓びに満ちた追想のことだと言いたいのだと私は思った。この追想が復活と呼 ニュースレター119 2013 ――――――――4――――――――――――― ぶに値することは分かる。しかし、こうした他者の復活がどのようにして自己の復活に結び付くのかという根本的な疑問が常にある。 第二部では、ドストエフスキーの黙示観である終末的な「災いの歴史」から「天上のエルサレム」の理想への人類史的な移行のイメージが、レーベジェフとイッポリートの個人の物語の中に生きていることを見ていった。 レーベジェフの小説の中での変化は激しい。情報通の道化として登場し、妻の死を悲しみつつその復活の予感を持ち、イヴォルギン将軍を死に追いつめる殺人者でもある。「災いの歴史」を恐れつつ体現し、イヴォルギン将軍の妻ニーナ夫人によって悔い改め「復活」にいたる。このプロセスを原口さんは小説中に記述された「データ」によって説明する。この手法と着眼点は『黒澤明で「白痴」を読み解く』(高橋誠一郎)でおこなったレーベジェフの分析と重なり、かつ異なり興味深かった。 イッポリートの遺書「不可欠なる弁明」で述べられている「最後の信念」とは、朗読によって、皆が「何かのことで僕の赦しを請い、そして僕も皆の赦しを請う」場である饗宴を出現させることであり、イッポリートの真の魅力は、「黙示録的現実を生きながらも、饗宴の創出、太陽(生命)に自身のすべてを賭ける」ところにあると原口さんは語った。 イッポリートの朗読は自意識によって屈折しているが、「饗宴」のイデーには屈折がない。ドストエフスキーの作品では、読者はひとつの出来事から屈折した複数の意味を読み取る。我々は、ムイシキンの歓喜の演説が冷ややかな聴衆の前で行われ壺を割る醜態で終ったことを知っているし、レーベジェフの復活もマルメラードフの改心と同じようになし崩しになると想像できる。こうした多義性が作品のリアリティーとなっていることは間違いない。 それにもかかわらず、「饗宴」に着目する原口さんの発表に説得力があったのは、小説上の事実によって主人公達の内面を緻密に洞察し、屈折を経る前の内面の希求として「饗宴」を見出したからだ。 「饗宴」とは人々の共感の場であるはずだが、『白痴』では「饗宴」はまだ独りよがりな高揚として生きられ、そのことによって他者に拒否され内面に閉じ込められている。それを取り出して魅力であるとする原口さんの今回の発表に、私は強く力づけられた。 事務局便り ○今回の例会には、会外から、チェーホフを中心とするロシア演劇の紹介者として有名な、中本信幸氏にご報告をお願いすることができました。興味深いテーマでのお話です。 ○10月19日に高橋、福井、熊谷、木下の4人が集まり、「広場」23号の編集会議を起ち上げました。例会発表者を中心とする5本の論文のほかに、エッセイ、書評などの候補を決めました。なおエッセイの執筆希望者は申し出てください。原稿の締め切りは年内、12月末日としますが、遅延の場合は1月20日が最終締切日となります。 執筆要領は昨年と変わりなく、会員に限り、報告論文は400字15枚、寄稿論文は10枚、エッセイは5枚まで、会負担とします。それより枚数超過の場合は400字につき400円の執筆者負担ですが、この単価で負担額を割った部数が執筆者に還元されます。 (木下豊房)
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