ダラヴォーエ、ドストエフスキー少年時代の思い出の地

                                           木下豊房

 

2006827日〜29日、ザライスク―ダラヴォーエで、学会が開かれました。

ザライスクはモスクワ東南160キロの距離にある、人口3万人ほどの小都市ですが、『罪と罰』のペンキ職人ミコールカの郷里であり、またラスコリニコフの郷里とも推定される土地です。父親ミハイルの領地で、ドストエフスキー少年が10歳から15歳までロシアの自然と親しんだダラヴォーエ村は、ザライスクから車で30分ほど行った、自然豊かな田舎で、復元された別荘とその一帯はザライスク郷土博物館の分館という形になっています。

また隣村のモノガロヴォにはドストエフスキー一家が通っていた教会があり、ソ連時代には倉庫に使われたりして、いまだには廃墟同然になっていますが、教会の傍らには父親ミハイルの墓があって、廃墟の教会の中と墓前で、供養が行われました。ちなみに、2006年はドストエフスキー一族が歴史に記されるようになって500年というので、ルーツに関する関心が高まり、この学会も、11月のペテルブルグ博物館での学会もこれを記念して、催されました。

『作家の日記』の思い出の記「百姓マレイ」の舞台であり、『貧しき人々』のワルワーラの少女時代の思い出、『虐げられし人々』

の語り手ワーニャのワシリエフスキイ村の回想を彷彿とされるダラヴォーエの自然を写真でご紹介します。

 

 

                     復元された別荘

 

   周辺の森と草地、そして池

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別荘の裏手に出来たドストエフスキー像  

挨拶する曾孫ドミトリー

 

 

                     

仮設のスナックで歓談

 

 

                                    

 

 

                  

                    

 夕暮れチェルマーシニヤへ向かう      チェルマーシニャ入り口の農家

 

 

 

 


突然の豪雨 農家に避難、日が暮れてチェルマシニャ行きをあきらめる

 

 

 

 

 

 

 

モノガロヴォ村の教会

左・中央下の十字架が父親の墓

 

墓前での追悼祈祷

父ミハイル・ドストエフスキーの墓 

 

             教会の内で追悼祈祷                       

 

 

ダラヴォーエでの学会

      ザライスクの遠景