ママの英語学校通い
英語がしゃべれなくてもまず生活できるが、いざという時に困るし、やっぱりとっさに出てこないとすごく落ち込みストレスになる。ママは、アキと昼間過ごし、日本人のお友達が多いので、英語に触れる機会がほんとに少ない。というわけで余り英語も必要無いけれど、耳などが慣れていないとスーパーなどでたまに定員さんに何か言われると「は〜?」という感じで、言葉が出てこなくて、ばかにされちゃうのが現実。ここに住んでいれば英語がしゃべれると思っていたが現実は厳しく、かなり積極的な性格じゃないと上達しないみたいだ。
アキが学校へ行くようになり、同時にママ向けの無料でセカンドランゲージとして英語を教えてくれる学校が10月から始まる。9月に申し込み、簡単なテストを受けレベルがわけられる。
English As A Second Language(母国語が英語では無い人)で、morning(9〜12時)、afternoon(12〜3時)、evening(7〜10時)にわかれている。毎日通っても良いし、自分の好きな時に選んで行ってもよい。というわけでママは、アキがPreschoolに行ってる間の週2回ーmorningに行く事にした。
レベルは0〜4まであり、ママは、一番下のクラスを覚悟していたが、レベル2となった。
テストは、筆記とspeakingで筆記はすごく簡単で、中学校レベルのものが1ページ。日本人なら誰でも間違う事が無いようなもの。しかし、speakingになるとうまく伝えれないし、絵を見ていろいろ話して下さいといってもなかなか出てこない。他の国の人は、私達と逆で、筆記が苦手で、文法は違っても話す事は得意な人も多いようだ。
学校初日
学校の日は、ママは、忙しくなる。アキの学校も9時からなので、アキとパパを早めに連れて行き、ママは学校へ車でむかう。ちょっと離れている。アキは11時半に終わるがママは12時までなので、パパにアキの迎え&ランチをお願いするためその日はみんなのランチも必要になる。忙しい朝となる。
ちょっと遅れて到着、でもみんな時間が適当だから遅れる人も多い。その日は15人くらいクラスにいて、ちょっと狭い感じだった。先生は年輩の女の人。
プリントが渡され、穴埋めしていき、適当な人が答えていく。すごく簡単なもの。でも、周りの人はあまり分かっていないようで、私に「なぜ、heのときは、goがgoesになるの?」理解できない!!と隣の人が聞いてきた。プリントはとても簡単だが、先生との雑談の時は、みんなすごく喋りまくり、国のなまりはあるものの私なんかよりはるかに言いたい事を表現できていた。アメリカに長く住んでる人もいて、喋る事はできるが文法がダメだと言う人も少なくなかった。私はやっぱり言いたい事がすぐ英語にならなくてなかなかうまくしゃべれない。
休憩時間になるといろいろな国の人と少しずつ話し、みんなゆっくり相手の話を聞き、答えてくれるので、すごく話しやすく、みんなアメリカで同じ気持ちなんだ〜と共感が持て楽しかった。すごく世界が広がったような気がした。
そして中には、あのアメリカを攻撃したテロリストが今、存在するというアフガニスタン出身の女の人が2人いて、今の心境を聞かせてくれた。その人たちはアメリカでの生活も長いようで、すっかりこっちの人かと思われる雰囲気で、みんなアフガニスタンから来たといっても信じられない感じだった。「テロリストはほんのひとにぎりの人たち。私達は悲しい。アメリカが大変なことになって残念。私達を信じて!!信じて!!ゴッド ブレス アメリカ!!」と言っていた。クラスには、いろんな国の人が集まっているので、みんないろいろな思いでその人達の話を聞き、静まりかえっていた。その人たち自身はほんとにとても良さそうな人でみんな仲良くしていた。
ママは英語を趣味で習ってきたが、現地ではすごく苦労しています。独身の頃から、あのN*V*の鈴木さんのように通っていた事もあったが、消極的な性格のせいか進歩がみられなかった。
他の国の人たちは英語がしゃべれなくても、国のなまりを出しながら、一生懸命ハッキリとたくさん話そうとし、見習うところがいっぱいあります。。
その後
通いはじめて半年後クラスも上がることができ、少し上達したかな?でも もっと積極的に!!が必要。
サキを出産してからは、通えないので、図書館にボランティアの英語の先生(TUTOR)
を申し込み、半年後 先生が決定。週1回 夜に図書館で英語の勉強をしているよ。パパに子供たちはお願いしているよ。
月曜日の午前中にインタ−ナショナルサポートプログラムで いろいろな国の人達と交流。
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