1.最初の部屋探し
こちらに来て、偶然、主人のボスの家で、食事の用意をしてる人が日本人の女性Mさんだったので、主人のボスがその方にお願いしたようだ。でも、前から分かってるはずなのに、ボスは日本人は身じかにいないといっていた、、、?。アメリカへついた初日に時差ぼけのままMさんを紹介され、私達は、分け分からず、、、ホントにいろいろお世話になる。御主人も日本人で、ストニーブルック大学の大学院生で、御夫婦ともにいろいろ苦労されてるようだ。
私達も、こちらでは、主人の研究のため、お給料が少ないため、アパート探しは、安めを条件にする。それで、大学関係の人むけのホームページで、最初は850〜950ドル(10万前後ーこれでもかなりきついが、この辺りでは安め)の物件をMさんたちに探してもらい、直接電話交渉してもらう。Mさんの御主人は、10年アメリカで学生をやっていて、英語はもうペラペラで心強い。こちらは、6月が移動と言う事で、4月の移動は少なく、アパート探しは厳しいものに、、、。電話をかけまくってもらったが、ほとんど良い物件はもう、空きがなく2つだけ空きの物件があった。
1つめー大家さんがいる、2ベットルーム960ドルの部屋 1階のフロアーを全てかしてくれて、2階に大家がいると聞いて行ったが、実際は、物置き小屋のような薄暗い所に狭い2部屋&キッチン&バス&トイレがあるところ。大家さんの庭を使って良いと言われてもフェンスがありその部屋からは行けない感じ。中国人の大家さんで、日本人歓迎とのこと。
2つめーアパートメントコンプレックス、1ベットルーム950ドル 日本で言うアパートやマンションで大家というより管理人がいる。テニスコートやジムがあり、住人は使用して良い。ここはすごく綺麗で、1ベットルームだが申し分なかった。でも、主人の職場から少し離れているし、町の環境も少し良くないようだった。
来て2日目で、主人のボスに言われたので、早く部屋を見つけなければと言う思いもあったが、私達は疲れきっていた。
そんな時、日本でメール交換していた、こちらの日本人会の事を思い出し、慌ててメールで連絡をとってみた。アメリカ4日目は、日曜日で、近くで日本語学校を開いているので遊びに来ませんか?の誘いだった。疲れきっていた私達には、暖かい歓迎で、すごく落ち込んでいた気分が救われた。いろいろな日本人の親子がいて、日本にかえって日本語に苦労しないようにや、永住していても日本語を忘れないようになど、の理由で子供達が日本語を学んでいた。
そこでは、日本人の御主人Tさんとアメリカ人の奥さん子供2人のお家がその学校に部屋を貸していた。そして、1部屋開いているから、しばらく落ち着いて、ゆっくり部屋を探したら?と言うラッキーな話があった。私達は、早速そちらのお家へ引っ越しする。家賃と食費を払って生活する。子供もおもちゃがたくさんあって大喜び。子供にとって一番良い環境だった。家では、日本語を話してる家庭で、御主人が日本食を毎日作ってくれる。