スポーツとしての釣り

し前のこと、会社の同僚が釣りの話をしていたので、てっきり海釣りのことだと早合点していたら、バス釣りのことだった。最近では、釣りと言えばまずバス釣りの事が多いようだ。そういえば書店でもバス釣り関係の雑誌が多く見受けられるようになった。

が小さい頃、釣りと言えば海釣りだった。勿論、バス釣りの盛んな最近でも、海や川での釣り人も結構居るのだろう。それでもバスが受けるのは、道具に凝ることが出来るとか、より大きな(重い)魚を釣ることへの欲求の顕れだろうか? いやいや、釣りと言うスポーツはもともと道具・技術など、工夫を凝らす部分も多く、それが釣果として跳ね返るものだ。いくらいい道具を揃えても、技術的に勝っていると思っていても、釣れなければ面白くない。

て、そのバス、(恐らくブラック・バス)は元々日本には居ない。琵琶湖などはブラック・バスで有名となっているが、それも外国から持ち込まれ、放流されたものだ(この様な外来種の持ち込みについては様々な動植物について、現在問題になっている)。このブラック・バスは生命力・繁殖力が強く、あっという間に増えてしまった。ブラック・バスが増えるということは、その分、元々居た魚が生活できない(駆逐される)ことになる。しかも、「より大きなバスを釣る」事が目的なので、釣ったものを食べるわけでもなく、「キャッチ&リリース」と言って逃がしてしまう。傷つき、逃がされたバスは成長して、再び釣られるかも知れない。この「キャッチ&リリース」、本当に魚の為を考えたことになっているだろうか???

ちらこちらに点在する溜池では、釣り人の姿を見かけることが多くなった。私自身小学生以来釣りをしていないし、側に寄った訳ではないので、彼らが何を釣っているのかは知らない。しかし、もし勝手にブラック・バスなどを放流しているとしたら、それはやめて欲しい。先にも記したとおり、長い間定着している生物を駆逐するからだ。また、水難事故や治安の問題からも、金網を破っての釣りはいいとは思えない。

賀県が"We Love BIWA"(違っていたらゴメンナサイ!)といったキャンペーンを行い、それをTV番組で見た記憶がある。最早、古くからの生態系を失った琵琶湖のバス釣り大会などを行っているのを見ていたら、"We Love BIWA"自体が欺瞞の様にも思えて仕方がない。因みに、琵琶湖は湖底の泥の堆積と沈降の微妙なバランスにより、太古の昔からその形を留めている、世界にも貴重な湖らしい。先ほどのTV番組での救いは、バス料理の紹介だった。釣り人よ、釣ったバスは食べましょう!

ころで、ある意味で命を弄ぶ可能性のあるスポーツとしては、釣り以外には余り思いつかない。本来は食糧確保の為の技術であるが、それをスポーツとしてしまうところに本来性が欠ける要因となっているのだろう。釣った魚を食べることは、その正当性を主張する意味でも重要だ。これはバス釣りに限ったことではない。「釣ったら食べる」「食べる以上には釣らない」が守られる範囲においてのみ、私は釣り人に賛同できる。


んな中、とうとう釣り人のマナーの悪さから、兵庫県のある溜池では漁業権が行使され、釣り人が追い出される形となった。溜池は主に農業用水として用いられるが、捨てられた釣り糸や釣り針、その他のゴミがそのまま放置され、農地への給水の際に引っかかったりする。再三の注意にも関わらず、それに応じなかったため、魚の養殖場として申請し認められた。これで、この溜池で勝手に釣りをすれば、漁業権の侵害と見なされ処罰の対象となる。今後、この様な動きは他でも見られるだろう。

た、錘(おもり)に使う鉛などは、鳥がエサと間違えて口に含み、消化器官の中に蓄積されると鉛中毒になって死亡するらしい。釣りでは鉛はポピュラーな錘だった記憶がある。しかし、鳥達のことも考えて使用を控えて欲しい。勿論、使ってしまった場合は必ず回収しなければならない。


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